Newsweek
今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ2013年11月25日(月)10時10分〔11月19日号掲載〕
先日、ラーメン店のカウンターで昼を食べていると、隣の年配男性に話し掛けられた。「ラーメン、お好きですか?」
私が「ええ、あなたも?」と聞き返すと、「そりゃ日本人ですから好きですよ!」と、男性は笑った。「私もです」とこちらも返してから、私たちは再びラーメンに向き直り、麺をすすった。
こういうやりとりは日常茶飯事。目の前に「日本文化」があると、私は感想を聞かれるのだ。日本の文化を本当の意味で楽しめるのは日本人だけだという意識は根強く、質問攻めにされることもある。日本酒は好きですか? 寿司は? 納豆は?夜は風呂に漬かります?
ちなみに塩辛は苦手だが、日本人でも塩辛が苦手な人は多い。だからといって、その人の日本人らしさが薄まるだろうか。塩辛の好き嫌いが示すのは文化の理解度なのか、それとも個人の嗜好なのか。普通の日本人より頻繁にラーメンを食べる私は、日本人より日本人らしいということなのか。いや、単に太るだけだろう。
初めて東京に来た頃と違い、最近はあまりとんちんかんなことを聞かれることがなくなった。今の東京人は日本の文化がすべてユニークだとは思っていないし、外国人と触れ合う機会も多い。
それでも、私が日本文化を楽しんでいることを強調しなければならないケースはある。刺し身を日本酒で流し込むのは最高だと本気で思うし、古い寺の美しさには本当に胸を打たれる。好きなふりをしてるわけではない。
とはいえ、私の場合は日本文化を楽しむ理由が違うと思われているのだろう。日本人らしさを表現するためにラーメンを食べているとみられたのかもしれない。私が「こってり味噌ラーメン」を注文したのは日本文化に敬意を払うためではない。腹が減っていたからだ。
外国人にハンバーガーが好きかどうか尋ねるニューヨーカーはいないし、カフェでワインを飲むのが楽しいかどうか聞くパリジャンもいない。ハンバーガーやワインはアメリカ人らしさやフランス人らしさの表現ではなく、単なる楽しみだと分かっているからだ。
■東京五輪は大きなチャンスに
日本の文化を楽しもうとすると、なぜ個人の嗜好よりも日本人かどうかが意識されるのか。お堂で大仏の穏やかな表情を見上げれば、国籍を問わず誰もが圧倒されるのではないだろうか。
日本人は生まれながらにして日本文化の「所有権」を与えられるかのようだ。合気道を習得するのに、外国人だから何度も道場で投げ飛ばされる必要はあるのか。陶芸の修業に余計に何年も励む必要はあるのか。日本人に生まれれば、合気道も陶芸も自動的に「自分のもの」なのか。文化はそんなに簡単なものではないはずだ。
文化の所有権を抱え込み、外国人との間に壁をつくるのは、誇りがあるからだと理解できる。だが日本人は少々過保護かもしれない。境界線をなくせば文化は混乱するが、それは新しい始まりでもある。一国の儀式だった文化が、より多くの人々の視線と関心にさらされるのだ。
かつてアメリカで、ジャズはアフリカ系アメリカ人にしかできない音楽と考えられていた。だが世界の人々が少しずつジャズに触れ始めて、今では素晴らしい楽曲を奏でるようになった。
世界は今後、どんな日本文化を受け入れるのだろう。寿司やアニメが人気を得たのはエキゾチックな不思議さが受けたからではなく、人間の普遍的な欲望にアピールしたからだ。
東京オリンピックが近づき世界が日本に注目すれば、文化も見直される。オリンピックは日本文化が世界に認められ、理解される絶好のチャンスだ。
ラーメンについていえば、普遍的に愛される昼飯となることだろう。
コラムニストプロファイル
Michael Pronko マイケル・プロンコ
60年、米カンザスシティー生まれ。明治学院大学教授。専門はアメリカ文学と文化。先頃、本欄「Tokyo Eye」の連載をまとめた『トーキョーの謎は今日も深まる』が刊行された。その他の著作に『僕、トーキョーの味方です』『僕、ニッポンの味方です』(すべてメディアファクトリー)。長年英語を教えてきた経験から、英語と日本人の関係を考えるエッセーをサイトで公開。http://www.essayengjp.com/ ジャズに対する造詣が深く、ジャズに関するサイト「Jazz in Japan」も運営している。
マイケル・プロンコさん、井の中の蛙である日本人のことがよくわかります。でも私自身、7年くらい前京都の居酒屋にたぶんアメリカ人の娘さんが入ってきて寿司の盛り合わせを割り箸を割ってぱくぱく食べ始めた時は、驚きましたよ。そして日本酒の熱燗がつけられてお猪口で飲み始めるではありませんか!遅れて、たぶんその娘のお父さんらしき人もやって来て向かい合わせで同じようなメニューを注文されましが、私自身軽いカルチャーショック?を受けましたね。
「外国人にハンバーガーが好きかどうか尋ねるニューヨーカーはいないし、カフェでワインを飲むのが楽しいかどうか聞くパリジャンもいない。」
正に、そういうことなんですね。ひとつ思い出しました。現役時代にホステスさんが席についてサービスしてくれる神戸のクラブでのこと、全く西洋人の顔をしたハーフのお嬢さんがついてくれました。日本語も完璧でしたが「もう、人に見られるのは慣れました」と言ってましたね。日本人は西洋人そのものの存在が珍しいんですね。まあ、国際都市東京ですらそうだとしたら日本が国際化するのは遠い将来なんでしょう。いや、どうも今の感覚がずっと続くような気もしますけど・・・。
今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ2013年11月25日(月)10時10分〔11月19日号掲載〕
先日、ラーメン店のカウンターで昼を食べていると、隣の年配男性に話し掛けられた。「ラーメン、お好きですか?」
私が「ええ、あなたも?」と聞き返すと、「そりゃ日本人ですから好きですよ!」と、男性は笑った。「私もです」とこちらも返してから、私たちは再びラーメンに向き直り、麺をすすった。
こういうやりとりは日常茶飯事。目の前に「日本文化」があると、私は感想を聞かれるのだ。日本の文化を本当の意味で楽しめるのは日本人だけだという意識は根強く、質問攻めにされることもある。日本酒は好きですか? 寿司は? 納豆は?夜は風呂に漬かります?
ちなみに塩辛は苦手だが、日本人でも塩辛が苦手な人は多い。だからといって、その人の日本人らしさが薄まるだろうか。塩辛の好き嫌いが示すのは文化の理解度なのか、それとも個人の嗜好なのか。普通の日本人より頻繁にラーメンを食べる私は、日本人より日本人らしいということなのか。いや、単に太るだけだろう。
初めて東京に来た頃と違い、最近はあまりとんちんかんなことを聞かれることがなくなった。今の東京人は日本の文化がすべてユニークだとは思っていないし、外国人と触れ合う機会も多い。
それでも、私が日本文化を楽しんでいることを強調しなければならないケースはある。刺し身を日本酒で流し込むのは最高だと本気で思うし、古い寺の美しさには本当に胸を打たれる。好きなふりをしてるわけではない。
とはいえ、私の場合は日本文化を楽しむ理由が違うと思われているのだろう。日本人らしさを表現するためにラーメンを食べているとみられたのかもしれない。私が「こってり味噌ラーメン」を注文したのは日本文化に敬意を払うためではない。腹が減っていたからだ。
外国人にハンバーガーが好きかどうか尋ねるニューヨーカーはいないし、カフェでワインを飲むのが楽しいかどうか聞くパリジャンもいない。ハンバーガーやワインはアメリカ人らしさやフランス人らしさの表現ではなく、単なる楽しみだと分かっているからだ。
■東京五輪は大きなチャンスに
日本の文化を楽しもうとすると、なぜ個人の嗜好よりも日本人かどうかが意識されるのか。お堂で大仏の穏やかな表情を見上げれば、国籍を問わず誰もが圧倒されるのではないだろうか。
日本人は生まれながらにして日本文化の「所有権」を与えられるかのようだ。合気道を習得するのに、外国人だから何度も道場で投げ飛ばされる必要はあるのか。陶芸の修業に余計に何年も励む必要はあるのか。日本人に生まれれば、合気道も陶芸も自動的に「自分のもの」なのか。文化はそんなに簡単なものではないはずだ。
文化の所有権を抱え込み、外国人との間に壁をつくるのは、誇りがあるからだと理解できる。だが日本人は少々過保護かもしれない。境界線をなくせば文化は混乱するが、それは新しい始まりでもある。一国の儀式だった文化が、より多くの人々の視線と関心にさらされるのだ。
かつてアメリカで、ジャズはアフリカ系アメリカ人にしかできない音楽と考えられていた。だが世界の人々が少しずつジャズに触れ始めて、今では素晴らしい楽曲を奏でるようになった。
世界は今後、どんな日本文化を受け入れるのだろう。寿司やアニメが人気を得たのはエキゾチックな不思議さが受けたからではなく、人間の普遍的な欲望にアピールしたからだ。
東京オリンピックが近づき世界が日本に注目すれば、文化も見直される。オリンピックは日本文化が世界に認められ、理解される絶好のチャンスだ。
ラーメンについていえば、普遍的に愛される昼飯となることだろう。
コラムニストプロファイル
Michael Pronko マイケル・プロンコ
60年、米カンザスシティー生まれ。明治学院大学教授。専門はアメリカ文学と文化。先頃、本欄「Tokyo Eye」の連載をまとめた『トーキョーの謎は今日も深まる』が刊行された。その他の著作に『僕、トーキョーの味方です』『僕、ニッポンの味方です』(すべてメディアファクトリー)。長年英語を教えてきた経験から、英語と日本人の関係を考えるエッセーをサイトで公開。http://www.essayengjp.com/ ジャズに対する造詣が深く、ジャズに関するサイト「Jazz in Japan」も運営している。
マイケル・プロンコさん、井の中の蛙である日本人のことがよくわかります。でも私自身、7年くらい前京都の居酒屋にたぶんアメリカ人の娘さんが入ってきて寿司の盛り合わせを割り箸を割ってぱくぱく食べ始めた時は、驚きましたよ。そして日本酒の熱燗がつけられてお猪口で飲み始めるではありませんか!遅れて、たぶんその娘のお父さんらしき人もやって来て向かい合わせで同じようなメニューを注文されましが、私自身軽いカルチャーショック?を受けましたね。
「外国人にハンバーガーが好きかどうか尋ねるニューヨーカーはいないし、カフェでワインを飲むのが楽しいかどうか聞くパリジャンもいない。」
正に、そういうことなんですね。ひとつ思い出しました。現役時代にホステスさんが席についてサービスしてくれる神戸のクラブでのこと、全く西洋人の顔をしたハーフのお嬢さんがついてくれました。日本語も完璧でしたが「もう、人に見られるのは慣れました」と言ってましたね。日本人は西洋人そのものの存在が珍しいんですね。まあ、国際都市東京ですらそうだとしたら日本が国際化するのは遠い将来なんでしょう。いや、どうも今の感覚がずっと続くような気もしますけど・・・。