女の気持ち:祖母の故郷 大阪府豊中市・田坂百合子(主婦・58歳)
毎日新聞 2013年07月08日 大阪朝刊
石垣島のどこまでも続く青い海が、テレビ画面に映し出されていた。それを見て、大好きだった祖母のことを思い出した。
香川に住んでいた高校生の頃、大阪に母の実母がいることを知った。大阪の大学に行くことになり、メリヤス工場を経営していた祖母に初めて会った。祖母の眼鏡の奥の眼光は鋭く、思わず後ずさりした。
大学を卒業して、就職のため、祖母の家に下宿させてもらうことになった。祖母は一日中、ミシンを踏んでいた。
5年が過ぎ、私の結婚が決まった。祖母は、私を部屋に呼び寄せると、ぽつりぽつりと話し出した。
2度の結婚、そして別れ。可愛い赤ちゃんだった娘を手放さなければならなかった理由。二十歳になった娘と再会し、自分とあまりに似ている娘に驚き、思わず娘の頬に触れたこと。
祖母の目から涙が流れた。遠くを見つめ、さらに話を続けた。
両親が黒砂糖作りをするため、徳島から石垣島に移住したこと。両親は、7歳までに亡くなったが、兄さんたちに大切にしてもらったこと。1人で海へ行き、マングローブの木に登って遊んでいると、潮が満ちて、木から下りられなくなったこと。泣いていると、すぐ上の兄さんが迎えに来てくれ、とてもうれしかったこと。
いつしか、祖母に笑顔が戻っていた。
祖母が亡くなって25年になる。祖母のフロンティア精神を受け継ぎ、祖母の故郷石垣島を訪れたいと思っている。
人はそれぞれが、大きな思いを背負って生きておられるんですね。祖母さまが、田坂百合子さんを呼び寄せて話しをされている様子が目に浮かびぐぐっと来るものがありました。私も一度だけ石垣島に行ったことがありますが、故郷の山河に海は、知らず知らずの内に人に無言の教えを授けてくれますね。
どうぞ石垣島に渡って、祖母さまの足跡と会話を楽しんで来て下さい。私も九州に眠っている辛抱強い母親のことを思い出しています。田坂さん有難うございました。
毎日新聞 2013年07月08日 大阪朝刊
石垣島のどこまでも続く青い海が、テレビ画面に映し出されていた。それを見て、大好きだった祖母のことを思い出した。
香川に住んでいた高校生の頃、大阪に母の実母がいることを知った。大阪の大学に行くことになり、メリヤス工場を経営していた祖母に初めて会った。祖母の眼鏡の奥の眼光は鋭く、思わず後ずさりした。
大学を卒業して、就職のため、祖母の家に下宿させてもらうことになった。祖母は一日中、ミシンを踏んでいた。
5年が過ぎ、私の結婚が決まった。祖母は、私を部屋に呼び寄せると、ぽつりぽつりと話し出した。
2度の結婚、そして別れ。可愛い赤ちゃんだった娘を手放さなければならなかった理由。二十歳になった娘と再会し、自分とあまりに似ている娘に驚き、思わず娘の頬に触れたこと。
祖母の目から涙が流れた。遠くを見つめ、さらに話を続けた。
両親が黒砂糖作りをするため、徳島から石垣島に移住したこと。両親は、7歳までに亡くなったが、兄さんたちに大切にしてもらったこと。1人で海へ行き、マングローブの木に登って遊んでいると、潮が満ちて、木から下りられなくなったこと。泣いていると、すぐ上の兄さんが迎えに来てくれ、とてもうれしかったこと。
いつしか、祖母に笑顔が戻っていた。
祖母が亡くなって25年になる。祖母のフロンティア精神を受け継ぎ、祖母の故郷石垣島を訪れたいと思っている。
人はそれぞれが、大きな思いを背負って生きておられるんですね。祖母さまが、田坂百合子さんを呼び寄せて話しをされている様子が目に浮かびぐぐっと来るものがありました。私も一度だけ石垣島に行ったことがありますが、故郷の山河に海は、知らず知らずの内に人に無言の教えを授けてくれますね。
どうぞ石垣島に渡って、祖母さまの足跡と会話を楽しんで来て下さい。私も九州に眠っている辛抱強い母親のことを思い出しています。田坂さん有難うございました。