毎日新聞 2022/4/13 東京夕刊 有料記事
世間ではこれを「焼け太り」と呼ぶのだと思う。国会議員に月100万円支給されている「文書通信交通滞在費」(文通費)に関する与野党合意のことである。
合意によれば、在職1日でも満額100万円もらえる今の仕組みを日割り支給に変える。そこまでは当然だ。ところが共産党を除く各党は、法律の名称と目的まで変更するという。
「文書通信費」は「調査研究広報滞在費」に名称を変え、目的は「国政に関する調査研究や広報、国民との交流、滞在等の議員活動を行うため」となるそうだ。
これでは秘書の給与に使うのも「調査研究」で、居酒屋で国民と飲食するのも「交流」となりかねない。「等」も入っているから、さらなる使い道の拡大も可能だ。
この議論は昨秋の衆院選で当選した日本維新の会の新人議員が問題提起したのがきっかけだった。しかし、維新議員も文通費を政党支部に移し替えていることなどが判明し、目的外利用ではないかという指摘が、その後出ていた。
国会議事堂(手前)と周辺=東京都千代田区で、本社ヘリから佐々木順一撮影
結局、各党は「みんなで渡れば怖くない」とばかりに、おかしな現状を改めるのではなく、法律の方を変えて現状にお墨付きを与えようとしているのである。維新は使途公開の議論が先送りされる点には強く反対しているが、名称と目的変更は認めている。
実はもう一つ、あまり指摘されていない点がある。
維新の馬場伸幸・共同代表らは「きちんと公開して有権者の判断を仰ぐのが基本だ」と言う。
確かに政治資金規正法には、そうした目的が記されている。だがそれは、とんでもない使い方をしていても選挙で当選すれば許されるという話ではない。
大半の有権者は文通費の使い方だけを投票の判断材料にしているわけではない。どうも自民党の一部も含めて「選挙で勝ちさえすれば、何でもありだ」という選挙万能主義が、ここでも横行しているような気がしてならないのだ。
無論、選挙は重要だ。でも、やはり政治家にはそれ以前に持つべき倫理観というものがある。
それにしても、なぜ、「身を切る改革」を掲げ続ける維新に一定の国民の支持が集まるのか。
ポピュリズムと言ってしまえばそれまでだが、何より、いまだにこれが政治の主要テーマとなっていることを、各党は恥ずかしいと思わなければ。(専門編集委員)
全く、国民が汗水流して納めた税金を好き勝手に使っていて、一端立ち止まったかと思ったら、屁理屈を付けてまだ続けるのかい!これは官僚の知恵?それとも議員バッチつけた先生方が考えたものなのか?私にはどうも前者の気がする。
「選挙で勝ちさえすれば、何でもありだ」という選挙万能主義が、ここでも横行しているってフレーズ、私は殺人者・プーチンの「戦争に勝ちさえすれば、何でもありだ」の戦争万能主義の姿勢をイメージしてしまうが、いい過ぎだろうか?