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熊本地震 「この6年、前を向いてきた」 熊本地震追悼式、各地で祈り / 毎日新聞

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熊本地震から6年を迎え、犠牲になった宮守陽子さんの自宅跡地を訪れて献花する遺族ら=熊本県益城町で2022年4月14日午後1時7分、平川義之撮影



熊本地震6年 仮設団地で竹灯籠をともす

 

仮設団地の集会所で竹灯籠に明かりをともした後、犠牲者の冥福を祈り黙とうする人たち熊本県益城町で2022年4月14日午後6時57分、平川義之撮影


熊本地震で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。


毎日新聞 2022/4/14 18:56

 観測史上初めて最大震度7を2度記録し、災害関連死を含めて276人が亡くなった熊本地震から14日で6年になった。残された人たちの悲しみが癒えることはないが、家族や友人の遺志を継いで自らを奮い立たせている。被災地では復興が進む一方、今も37世帯95人が仮設住宅で暮らす。この日は熊本県庁(熊本市中央区)で県主催の犠牲者追悼式があり、遺族や蒲島郁夫知事など約30人が犠牲者に花を手向けた。

 2016年4月14日午後9時26分、1回目の震度7を観測した前震で被害が広がった熊本県益城町。倒れた家屋の下敷きになって亡くなった宮守陽子さん(当時55歳)の自宅跡地では、遺族らが地震発生時、宮守さんが座っていたリビング付近に祭壇を設けて花を手向けた。

 「この6年、くよくよしてばかりじゃやっていけないと前を向いてきた」。次女(26)は更地になった現場で手を合わせた。父親を地震前に事故で亡くし、1人で何でもこなす母の存在は大きかった。料理上手で、馬のホルモン煮込みは忘れがたい「おふくろの味」だ。

 生前、宮守さんに「婿養子ばもらって、結婚後もお母さんと一緒に住む」と言うと、照れくさそうに「嫌だ」とかぶりを振った。22年2月に結婚して福岡に転居したが、月命日には帰省する。「いつか家族が増えたら、母が大切にしてきたこの地に家を建てたい」と笑った。

 熊本県庁であった犠牲者追悼式では、遺族を代表して同県御船(みふね)町の持田佳征(よしまさ)さん(54)が言葉を述べた。「元気でいるのが当たり前だと思っていた母を亡くし、今、その存在の大きさを実感しています」。70歳で亡くなった母哲子さんへの思いを語った。

 1回目の最大震度7を観測した16年4月14日夜の前震では無事だったが、16日午前1時25分、マグニチュード7・3の本震が起きた。前震を持ちこたえた築100年超の実家は2度目の激震に耐えきれず全壊。「かあちゃんがわからん」。父武久さん(81)の連絡を受け、当時住んでいた熊本市内から駆けつけたが、哲子さんは変わり果てた姿で発見された。

 「料理が上手で優しい母でした。自分は甘えてばっかりで何にもしてやれなかった」。金婚式に家族旅行、実家を建て直して同居する計画もあったが「かなわなかったことが心残りです」。持田さんは2年前、実家があった御船町に自宅を再建。父も一緒に暮らす。「家族で支え合いながら何とか自宅を再建できて、母への供養になったのでは。復興はまだ道半ばですが、私たち家族もしっかり前に進んでいきたい」【中村園子、野呂賢治】

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