百万長者ペンドルトン3世(フレッド・アステア)が、フランスの孤児院で見つけた18歳の娘ジュリー(レスリー・キャロン)
ストーリー
ニューヨークの百万長者ペンドルトン3世(フレッド・アステア(88歳没))は、フランスの孤児院で見つけた18歳の娘ジュリー(レスリー・キャロン(89歳))の才気と明朗さに感服し、自分の本名は明かさず、ジョン・スミスという仮名で、彼女をアメリカの大学で勉学させることにする。ジュリーはスミス本人の顔を知らず、ただ孤児たちが脚の長い人影を見たと言うのを頼りに、スミスを「足ながおじさん」と呼ぶ。大学の寄宿舎に入ったジュリーは、約束によって「足ながおじさん」宛に真心をこめた手紙を書きつづけるが、当のペンドルトンは読もうともせず、秘書がそれを読んでジュリーの真情に心を打たれ、手紙は保管されていく。その間、彼女の「足ながおじさん」への憧れは次第に深くなる。一方秘書のすすめでジュリーの手紙を読んだペンドルトンは、彼女の学友リンダ(テリー・ムーア)の伯父として大学を訪れ、かって孤児院で見たときより見違えるほど美しく成長したジュリーの様子に驚く。その後ペンドルトンはジュリーをニューヨークに招き、一流のホテルに泊らせて見物させる。ジュリーはニューヨークの素晴らしさにも増して、ペンドルトンの魅力に惹きつけられる。彼の方もジュリーが好きになり求婚しようとするが、友人に年甲斐もないと意見されて思いとどまる。やがて大学を卒業することになったジュリーは、ペンドルトンのことが忘れられず、保護者である「足ながおじさん」に会って悩みを打ち明けたいと手紙を書き、ニューヨークの彼の邸で会見することになる。ジュリーはここに初めてペンドルトンとスミスが同一人であることを知り、ふたりは結ばれるのだった。~映画.comから
Daddy Long Legs (1955) 8/15
ジュリー(レスリー・キャロン)の学友リンダの伯父として大学を訪れ、かって孤児院で見たときより見違えるほど美しく成長したダンスパーティーでのジュリーの様子に驚く。
アメリカ合衆国のミュージカル映画で、小説『あしながおじさん』をミュージカル映画化した作品だそうだが、私は正直なところフレッド・アステアがオードリー・ヘプバーンと共演した『パリの恋人』( Funny Face 1957年)程度くらいしか知らないのだが、数々の踊りとビッグバンドが奏でる音楽に歌がとてもフィットした(良かった)。小生が8歳の時公開された作品だが、こんなバンド演奏が身体のどこかに入っているんだろう?(笑)。古い話だが、NHKのバラエティ番組(1961年~1966年)『夢であいましょう』はこんな映画がモデルだったんじゃーないかなとも勝手に思った。
ストーリー
ニューヨークの百万長者ペンドルトン3世(フレッド・アステア(88歳没))は、フランスの孤児院で見つけた18歳の娘ジュリー(レスリー・キャロン(89歳))の才気と明朗さに感服し、自分の本名は明かさず、ジョン・スミスという仮名で、彼女をアメリカの大学で勉学させることにする。ジュリーはスミス本人の顔を知らず、ただ孤児たちが脚の長い人影を見たと言うのを頼りに、スミスを「足ながおじさん」と呼ぶ。大学の寄宿舎に入ったジュリーは、約束によって「足ながおじさん」宛に真心をこめた手紙を書きつづけるが、当のペンドルトンは読もうともせず、秘書がそれを読んでジュリーの真情に心を打たれ、手紙は保管されていく。その間、彼女の「足ながおじさん」への憧れは次第に深くなる。一方秘書のすすめでジュリーの手紙を読んだペンドルトンは、彼女の学友リンダ(テリー・ムーア)の伯父として大学を訪れ、かって孤児院で見たときより見違えるほど美しく成長したジュリーの様子に驚く。その後ペンドルトンはジュリーをニューヨークに招き、一流のホテルに泊らせて見物させる。ジュリーはニューヨークの素晴らしさにも増して、ペンドルトンの魅力に惹きつけられる。彼の方もジュリーが好きになり求婚しようとするが、友人に年甲斐もないと意見されて思いとどまる。やがて大学を卒業することになったジュリーは、ペンドルトンのことが忘れられず、保護者である「足ながおじさん」に会って悩みを打ち明けたいと手紙を書き、ニューヨークの彼の邸で会見することになる。ジュリーはここに初めてペンドルトンとスミスが同一人であることを知り、ふたりは結ばれるのだった。~映画.comから
Daddy Long Legs (1955) 8/15
ジュリー(レスリー・キャロン)の学友リンダの伯父として大学を訪れ、かって孤児院で見たときより見違えるほど美しく成長したダンスパーティーでのジュリーの様子に驚く。
アメリカ合衆国のミュージカル映画で、小説『あしながおじさん』をミュージカル映画化した作品だそうだが、私は正直なところフレッド・アステアがオードリー・ヘプバーンと共演した『パリの恋人』( Funny Face 1957年)程度くらいしか知らないのだが、数々の踊りとビッグバンドが奏でる音楽に歌がとてもフィットした(良かった)。小生が8歳の時公開された作品だが、こんなバンド演奏が身体のどこかに入っているんだろう?(笑)。古い話だが、NHKのバラエティ番組(1961年~1966年)『夢であいましょう』はこんな映画がモデルだったんじゃーないかなとも勝手に思った。