東京ではさくらが満開のようだが、小父さんの近くはまだつぼみ。去年もカメラを担いであちこち回ったが今年は、もう少しいい写真を撮りたい。去年は、姫路城と大阪城は中国からの観光客が多かったな。しかも乳母車を押してのまるで公園に遊びにでも来ているようなファミリースタイルの人も・・・。
たまたまなのか?下のコラムのような酔っ払いには出逢わなかった。むしろポトマック河畔に桜並木を作ることを提案したシッドモアさんのような桜の花をたくさん観た。さあ、外国人に占領されないように花見の準備をしなくては!
下のギリシア神話のサテュロという表現は面白いね。うん、昔はそんな輩もたくさん居た。ん?今でもいるのかな?(笑)
ワシントンDC ポトマック河畔の写真は 中ちゃんの気まぐれ桜旅 からお借りした
毎日新聞 2017年4月4日 東京朝刊
「桜の時期はまた向島の華やかな季節でもある。全東京市民が向島巡りをするのだ」。1879年4月6日の日記にこう記しているのは明治初めにお雇い外国人として来日していた ドイツ人医学者ベルツである
▲その彼は堤の上を埋める色とりどりの人の群れと小枝も見えぬほどぎっしり花におおわれた桜のみごとな眺めを記している。だがやや奇異に感じるのは人々はおとなしく、酔漢の大声も聞こえないと、行儀の良さを称賛している点だ
▲しかし別の外国人は違う観察を書いている。「向島のカーニバルは古代ローマ人そっくりだということを示してくれるのが、この酒宴である」という 米女性旅行家シッドモアで、人々を酔って大騒ぎをする精霊(せいれい) サテュロスにたとえた
▲「全員が生まれつきの俳優、弁士、パントマイム役者なのだ。こんなに酔っ払いながらも表現するのは喜悦と親愛の情だけである。それがこの春の底抜け騒ぎだ」。彼女は人々が日常から抜け出して飲食を共にする祝祭をそこに見た
▲昨年は208万人の外国人が来日した4月の花見シーズンである。今や花の下で歓楽を共にして春の到来を喜ぶ「花見」そのものが観光資源になったようだ。外国人にすれば「おとなしい日本人が騒ぐのが面白い」という観察もある
▲とはいえ調子にのってはめを外し、明治の観察者の顔をつぶしてもよろしくない。一方、世界からの客人にも花見の作法を知ってほしい。誰もが分け隔てなく、春らんまんを等しく楽しむ花の下である。