1947年生まれの小父さんの小学校の運動会
詳しくは覚えていないが、中庭にプレハブ教室も急造されて小父さんも二部授業は経験したなー。小3年のクラスの人数は65名、4年生の初めに校区割り変更があったので6年生は56名だった。一学年下は分校が新設されてさらにそちらに転校した。中学に進んでも中2年から分校が出来て小父さんもそこに移された(笑)。
2025年から、受験地獄を通り抜けた小父さんたちはまた、医療や介護、福祉サービスに葬式や墓からもあぶれ始めるのか!(泣)。いや、本当に泣きを見るのはあす、あさって、入学式の臨む小中学生なのか!それこそ今日、はちきんIzyさんのブログで拝見した"楢山節考"でもしなければ数が合わなくなってくる。
官僚さん、政治家さん、妙案はあるんでしょうかね!?オリンピックや万博で浮かれていたら、8年先の2025年は目の前ですよ。小父さんたちも倹約と健康に心がけます!どこまでも自分の命は自分で守るようになっておきたいものです。延命治療は不要です。願わくば 「ピンピンコロリ」で終わりたい!
2017年4月5日(水)Web東奥
1週間のうち3日は朝から、あとの3日は午後から学校に行く。教室が足りず、児童を午前と午後に分けて同じ授業をする「二部授業」でしのいでいた。63人学級の教室は<せまくてぎゅうぎゅう…>。新聞にのった都内の小学3年生の一文を、『昭和時代 三十年代』(中央公論新社)が紹介している。
1954(昭和29)年、255万人を超える子どもたちが小学校にはいった。第1次ベビーブームの初年度にあたる47年生まれの世代で、前の年を55万人以上も上回ったという。ほかの学年よりはるかに長い新1年生の整列は壮観であったろう。
ブームは49年までつづき、3年間の出生数は800万人を超えた。のちに、堺屋太一氏によって「団塊の世代」と名づけられた。「全共闘世代」とも重なるという。
世代は大きな塊であるだけに、時代ごとに社会に影響を与えてきた。今度は「2025年問題」である。後期高齢者になるころ、みんな一斉に医療や介護、福祉サービスを求め出す。塊に対して人の手がたりない。対応できなくなると、恐れているのである。
県内のほとんどの小中学校で、あす、あさって、入学式がある。晴れやかな笑顔を見せるであろう子どもたちが、社会の中核となるころ、「肩車型」社会が訪れると国は言う。65歳以上の1人を、20~64歳の1.2人で支えるという予想である。それは、あまりに。
詳しくは覚えていないが、中庭にプレハブ教室も急造されて小父さんも二部授業は経験したなー。小3年のクラスの人数は65名、4年生の初めに校区割り変更があったので6年生は56名だった。一学年下は分校が新設されてさらにそちらに転校した。中学に進んでも中2年から分校が出来て小父さんもそこに移された(笑)。
2025年から、受験地獄を通り抜けた小父さんたちはまた、医療や介護、福祉サービスに葬式や墓からもあぶれ始めるのか!(泣)。いや、本当に泣きを見るのはあす、あさって、入学式の臨む小中学生なのか!それこそ今日、はちきんIzyさんのブログで拝見した"楢山節考"でもしなければ数が合わなくなってくる。
官僚さん、政治家さん、妙案はあるんでしょうかね!?オリンピックや万博で浮かれていたら、8年先の2025年は目の前ですよ。小父さんたちも倹約と健康に心がけます!どこまでも自分の命は自分で守るようになっておきたいものです。延命治療は不要です。願わくば 「ピンピンコロリ」で終わりたい!
2017年4月5日(水)Web東奥
1週間のうち3日は朝から、あとの3日は午後から学校に行く。教室が足りず、児童を午前と午後に分けて同じ授業をする「二部授業」でしのいでいた。63人学級の教室は<せまくてぎゅうぎゅう…>。新聞にのった都内の小学3年生の一文を、『昭和時代 三十年代』(中央公論新社)が紹介している。
1954(昭和29)年、255万人を超える子どもたちが小学校にはいった。第1次ベビーブームの初年度にあたる47年生まれの世代で、前の年を55万人以上も上回ったという。ほかの学年よりはるかに長い新1年生の整列は壮観であったろう。
ブームは49年までつづき、3年間の出生数は800万人を超えた。のちに、堺屋太一氏によって「団塊の世代」と名づけられた。「全共闘世代」とも重なるという。
世代は大きな塊であるだけに、時代ごとに社会に影響を与えてきた。今度は「2025年問題」である。後期高齢者になるころ、みんな一斉に医療や介護、福祉サービスを求め出す。塊に対して人の手がたりない。対応できなくなると、恐れているのである。
県内のほとんどの小中学校で、あす、あさって、入学式がある。晴れやかな笑顔を見せるであろう子どもたちが、社会の中核となるころ、「肩車型」社会が訪れると国は言う。65歳以上の1人を、20~64歳の1.2人で支えるという予想である。それは、あまりに。