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学校と私  ふっとかけてくれる言葉、宝物に=お笑い芸人・芋洗坂係長さん

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  芋洗坂係長さん        

 ほんと人生って係長さんの姉さんの言葉や担任の先生の言葉や父上と進路指導の先生の反対も含めて積みあがって行くんだね。父上と進路指導の先生の言葉が一番適切なアドバイスだったのかも知れないし・・・。

 ごめんなさい私は芋洗坂係長さんのこと全く知りませんでしたが、努めて番組表を見てテレビを拝見したく思います。きっとその体で小錦みたいにリズムに乗って踊られるんですね。楽しみにしています。

 ああ、私も福岡市の出身で流れ流れて今、兵庫県にいます!

   

芋洗坂係長(いもあらいざかかかりちょう)さん
毎日新聞 2016年9月19日 東京朝刊

 小学生の頃、姉が中学校の文化祭でトシちゃん 田原俊彦さん)のダンスをしなきゃいけないから、なぜか分からないけど「あんたも覚えて」って言われたんですよね。まだビデオがなくて、テレビの歌番組を見てその場で覚えるしかなかった。2人で一緒に見て覚えて、そこから僕はトシちゃんにはまってしまって、トシちゃんが出す曲を全部覚えて人前で踊らないと気が済まなくなったんです。

 中学では昼休みに放送室に勝手に入って「歌謡ショーをやります」と全校放送し、トシちゃんの曲をかけて友達と一緒に踊ったり、ドラマの殺陣を覚えて忍者ショーをやったりしました。学校だけで飽きたらずに、春は地元の和布刈(めかり)公園(北九州市門司区)で踊って花見客にチップやおやつをもらいました。こうやってお金を稼ぐんだって学びました。

 高校時代は自分の中でときめく大学が見つかりませんでした。3年のときに進路指導室で学校紹介の本を見ていたら1校だけダンスの専門学校を見つけて、その瞬間から大学受験をやめてダンスを仕事にしていこうと思いました。

 父にも進路指導の先生にも反対されましたが、大学に行くことに意義を見いだせなくて担任の先生に相談したら、「おーいいやないか。お前はそっちの方が合っているよ」と言ってくれた。先生が背中を押してくれたことで専門学校に進学しました。

 自分の人生の中では大きな分岐点でしたが、40歳を過ぎて「芋洗坂係長」としてテレビに出るようになって先生と久しぶりに再会したら、「そんなこと言ったかな」と言うんですよ。先生は「やりたいことが見つかったって真剣に言う子供の夢は絶対に摘まない方がいいと思っただけだ」って言うんですが、僕にとっては「この子は才能がある」と言ってくれたような気がずっとしていました。

 先生の一言もそうですが、一緒に過ごしてくれる仲間がふっとかけてくれる言葉が、後々の人生の宝物になることがあるんですよ。今の自分を作り出してくれたのは子供のころに出会った一人一人の仲間だと思います。その人たちがいたから僕は今も踊っているんだろうと思います。【聞き手・川上珠実】


 ■人物略歴

 1967年生まれ。本名・小浦一優(こうら・かずまさ)。歌って踊るサラリーマンのキャラクターで知られ、バラエティー番組などで活躍。俳優、振付師としても活動。

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