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お茶にします? /9 消えた大掃除の風景=高村薫 / 毎日新聞

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イラスト・森部志保         
 いやはや、子供の頃の福岡では上の森部志保さんのイラストそのものの大掃除にいそしんでいたことが思い出される。畳をあげること、障子の張替なんて今の子供たちに説明してもピンと来ないだろうね。

 日本の伝統は子々孫々に受けついで行きたいなんてぼんやり思っていたけれど、我々の世代こそが伝統をことごとく終わらせて行っていることに気づかされる。

 高村薫さんのおかげで、自分が日本国で育ったことを思い出しました。現在は生活習慣共々、随分と西欧化されてしまいました。よくテレビのコントで「ちゃぶ台返し」なんてありますが、今の日本でちゃぶ台を使っている人ってとても少ないんでしょうね。有難うございました。

 
  

 お茶にします? /9 消えた大掃除の風景=高村薫

 毎日新聞 2015年12月13日 東京朝刊
 忘年会、クリスマス、子どもたちの冬休みに、お正月の準備。なにかとにぎやかな師走である。でも、一昔前までそこにはもう一つ、大掃除という大きな行事が含まれていた。私の記憶では、大(おお)晦日(みそか)は不思議に晴れる日が多く、早朝からどの家も男たちが畳を上げて干し、家じゅうのガラス戸を外して洗うのだ。そこここで干した畳をたたくパンパンという乾いた音は、まさに大晦日の音で、それを聞きながら子どもたちも自分の部屋の掃除をする。ふすまや障子の張り替えは女たちの仕事で、午後からはおせち料理づくりになる。

 大都市近郊の住宅地では、昭和三十年代にはもう自宅で餅をつく家はなく、代わりにお米屋さんが事前に注文を取って、大晦日に伸(の)し餅と鏡餅を各戸に配達していた。鏡餅を三宝に載せて正月飾りを施したり、伸し餅を切り餅にしたりするのは、これまた男の仕事で、どこの家でもふだん家事とは無縁の男たちが、一年で一度だけ、ねじり鉢巻きで立ち働く姿を見せるのが大晦日だった。

 もっとも、私の住む古い住宅地でも、この大掃除の風景はすでに消えて久しい。高齢者の独居世帯や夫婦だけの暮らしでは、確かに大掃除の必要はないが、離れて暮らしている息子や娘が正月休みに帰省しても、高齢の親に代わって実家の大掃除をするという話は聞かない。洋風の家が主流になったいまでも、畳の部屋が一つもない家は少ないと思うが、わざわざ畳を上げて干さずとも、掃除機の進化でほこりやダニを十分に吸い取れる時代になったということだろうか。

 毎年、年末になると新聞の家庭面や雑誌、テレビなどで掃除の特集が組まれ、汚れ落としの基本だの、便利な道具だのが紹介されることから察するに、掃除はいまも主婦の悩みの種ではあり、日ごろ気になっている汚れをきれいに落として新年を迎えたいという思いは、いまも昔も変わらないということだろう。変わったのは、掃除をする主体である。かつては、油汚れのひどいレンジフードや換気扇の掃除は、大晦日の男の仕事の一つだったが、今日では主婦が便利グッズを駆使して何とか片づけるか、もしくはハウスクリーニング業者の出番になる。

 こう考えてみると、この国から大掃除の風景が消えた一番の理由は、世帯主の男たちが大晦日のねじり鉢巻きをしなくなったことにあるのだろう。そこにはもちろん、家族観やライフスタイルの変化があるが、端的に、現代の家族では、父親や息子たちは大掃除の主役であることを求められなくなったということである。夫が先頭に立ってガラス磨きをしてくれるよりも、年に一度くらいはハウスクリーニング業者を頼み、楽をさせてもらうほうが主婦はうれしいということである。そして男たちも、せっかくの休みは楽をするほうがいいに決まっている。

 かくして個々の本音は気持ちの余裕をうみ、年末年始の風景を変えた。大晦日は家族でカウントダウンのイベントに出かけたり、国内外の旅行先でのんびり過ごしたりすることが当たり前になったのだが、それにしてもこうして家族のあり方の変化に思いをはせている私自身は独り暮らしなので、もとより大掃除も迎春準備もない。毎年、大晦日と元日は弟一家の世話になり、一緒に初詣にも行くが、当然のことながら、親が生きていたころの年末年始の感覚はもうない。

 そういえば子どものころは気づかなかったが、大晦日がどこの家も大掃除でてんやわんやだった時代でも、高齢者の独り暮らしの家にその晴れやかな風景はなかったのだ。(小説家)=次回は1月10日掲載

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