誰が県名の変更を言いはじめたのか知らないが、滋賀は有名だよね~。小父さんも延暦寺、彦根城、草津市がぱっと滋賀県には結びつかなかったが、小父さんの故郷の博多と福岡の区別の方が余程よその人には分かりにくいと思う。
下の赤い字「必要以上に言葉をつくり出したりせず、手持ちの言葉で説明できることはそれで間に合わせるべき」ってとても大事なことだと思う。小父さん自身への戒めだ。
小社会
2015年07月28日08時08分 高知新聞
作家の井上ひさしさんの名前は漢字で書くと「廈」。誰も正しく読んでくれないので改名しようとしたが、大学時代の恩師の教えを思い出して自制したという。それは「オッカムの剃刀(かみそり)」という話だった(「改名は三文の得」)。
オッカムは14世紀の英国の哲学者。彼は「正しい言葉には必ずそれに対応した存在がある」と言った。だから必要以上に言葉をつくり出したりせず、手持ちの言葉で説明できることはそれで間に合わせるべき だ、と。
なぜ剃刀なのか。オッカムは無用の言葉を「心に生えた無精ひげ」とみた。正しい思考をするためには時々無精ひげ、すなわち余計な言葉を剃(そ)るよう心掛けなければならない。
滋賀県の認知度アップのために県名を変える必要があるかどうか。県民に尋ねた世論調査で8割が「必要なし」と答えた。「近江県」「琵琶湖県」の新名称候補もあったが、県民は心の剃刀で余計な言葉を剃ったということか。
香川の「うどん県」、鳥取の「蟹取(かにとり)県」と改名ばやりだがあくまで愛称。実際に県名を変えるには住民投票など手間も経費もかかる。何より廃藩置県の当時、大津があった滋賀郡に由来する県名への深い愛着があろう。
地方創生にも自治体の切磋琢磨(せっさたくま)は必要だ。ただし奇をてらうのではなく、「住んでよかった」「住んでみたい」と思わせる地道な取り組みが大切。それなしでは改名しても「三文の得」にもなりはしない。