青山誠一先生による昨年からの講義、今日は木のこころ その3「城」だった。織田信長は小牧山城、岐阜城(先の稲葉山城)を造営した後、集大成として安土城を建てたという。その信長が城の原型を作ったと。
信長は熱田神宮の宮大工の棟梁・岡部又右衛門に上の大型軍船、長さ三30間(約54㍍)、幅7間(約13㍍)、櫓100挺を建造させて琵琶湖の制海権を掌握し、長浜城、坂本城、大溝城、そして安土城と湖上交通上の要所に城を置き、湖の城郭網を築いたとされる。そして安土築城をその棟梁に指揮させた。下の動画はその小説の映画化だとか。
火天の城(予告編)
時に1575年(天正3年)、長篠の戦いで甲斐の武田勢を破った織田信長は、翌1576年、その天下統一事業を象徴するかのごとき巨城を、琵琶湖を臨む安土の地に建築することを決意。設計及び現場の総棟梁として、熱田の宮大工・岡部又右衛門を総棟梁に任命する。「安土の山をまるごとひとつ、三年で城にせよ。」信長から直々の厳命を受け、又右衛門は、妻・田鶴や娘・凛、門下の大工たちの支えを得ながら、徐々に築城を進めていく。しかし、巨大な城を支えるためにはその主柱に、これまでになく巨大な檜が必要であった・・・直木賞作家・山本兼一が第11回松本清張賞を受賞した同名歴史小説『火天の城』(文藝春秋刊)を完全映画化。
城=天守閣というイメージがありますが、天守閣は城の一部であり天守閣が無くても城です。城は戦いの砦として、権力の象徴として、政治の中心として発展してきした。記録に残っている城は、25,000に達するといわれています。江戸時代末期には、200を切り、その内、天守閣のあったのは、70程といわれています。さらに、その中で、今日までのこっているのは、たった12の城です。
木のこころのまとめとして
①「樹齢1000年の檜(ひのき)を使えば、建造物は1000年もつ」
②木のくせや性質をいかして、それを組み合わせて初めて長生きする。「堂塔の木組みは寸法で組まず、木のくせで組め」
③1300年経った檜でも、荷重をのけてやれば、反ってくるということは、木に命があるということ。
④千年の時を超えて受け継がれてきた匠の技。現代社会・建築技術に刺激を与えている。
●世界最古の高層建築「法隆寺の五重塔」から学ぶもの。東京スカイツリーから何を学んだか。
⑤日本の城郭建築にも、1000年以上前の木の持っている特質が生かされている。 ほか
~配布資料より
「木のこころ」その1
木のこころ その2 「塔」