今日は明石シニアカレッジ ゆう・あい明石Gの方のパワーポイントを使っての講義と明石にまつわるカルタ取りの会もあった!
講義では「柿本人麻呂」についてと「三木合戦と大久保の光触寺」の二つ。
明石にはぶらり歩こう会でも立ち寄った柿本神社もあるがこの講義をきっかけにウィキペディアにも目を通してみた。「 歌聖(かせい・・・歌の道で,最もすぐれた人)柿本人麻呂」だとも言われるが、万葉の歌人として活躍していた頃の人麻呂は、唯の人、つまり無位無官の人に過ぎなかったのが、のちに万葉集が編纂され、人麻呂の「歌」に高い評価が与えられるようになったため、紀貫之 が「正三位」が追贈されたのではないかとか。
講義では出生地の1が近江説、2が大和説、3が石見説などなど、あたかも「邪馬台国論争」にも似た考古学のような説明が長々とあった。次に柿本神社にお参りする機会があったら悠久の歴史に想いが繋がるかも知れない。
「三木合戦と大久保の光触寺」は織田信長の家臣羽柴秀吉が三木城の別所長治を兵糧攻めした結果(三木の干殺し)自決させた時に本陣を構えていたのが、すぐ近くの光触寺なのだそうだ。光触寺(こうそくじ)縁起をひも解くと源平のころにさかのぼるという。ここもぶらり歩こう会で訪れたことがあって昨夜たまたまその記録を整理していたとこだった(笑)。明石の歴史を調べると数多くの遺産が埋もれていることにまた気付かされた。下は子供も大人も遊びながら学べるカルタ取りで学級生のNo1は17枚のカルタを取っていた!