開会、コミュニテイセンター所長挨拶
委員長挨拶に続いての発表風景。発表が楽し過ぎて後半の写真撮影を忘れている。
いやー、今日の発表はとても楽しかったな〜。帰宅して別件で学級生と話していたが、彼もこんなに盛り上がったのは初めだったと言っていた。テープレコーダーにでも録っておいてもう一度聞きたいくらいだとか。うまく行った一つの要因は時間を切らなかったことだと思う。3年前に小父さんが発表した時には持ち時間が10分で予備が5分ということで、ぎちぎちに10分に押し込めたものだ。
今日のテーマを順序不同で記すと「なつかしい思い出」「私の失敗だん」「老いに向かって」「コミセンに参加して1年半を振り返って」「『まち学』のすすめ」「日日是好日」ということだった。
「なつかしい思い出」では、他所のシニアカレッジで3年やられた中、明石西国三十三ヵ所霊場巡りでその企画・立案をやられたそうだが、寺さがし、寺との交渉(宝物を見せてもらえないか、歴史や縁起を説明してもらえないか等)、パンフレットを見て下さい。宝物は公開できないなど回答もあったが、要望を聞き入れてもらった時はとても楽しかったとか。この方「簡単ですが」と3〜4回言われたがいつまでも発表がおわらなかった(笑)。
「私の失敗だん」は会社勤めで苦情処理をやらされ、そのストレス解消にはコーヒー1杯で酒なら2合半の飲めるというので飲みまくっていたが、ある時JRの駅からタクシーで帰宅したらいいものを、途中歩きながら何軒かの店に寄ってどうも見ず知らずの他人の家に上がり込んだらしい。翌朝気がつくと病院のベッドの上で点滴していたとか。奥さんがカンカンに怒って郷里の母親に言い付けるというが、その母は85〜86歳で一人で畑をしている。「それだけは勘弁してくれ」と言いつつもそんな失敗の繰り返しからクリニックに行ったり断酒会に入ったりで散々極道をしてきて、今は金もなくなってしまったけど酒を止めたおかげで幸せな生活を送っているとか(発表はかなり長くみなさん大笑いだった)。
「老いに向かって」はご婦人だった。ご主人の病、介護など発病して8年が過ぎ、66歳から独り生活になったが、四国八十八ヶ所霊場参りから写経、西国三十三ヶ所巡り、四国 の風吹山・剣岳登山、しまなみ海道8回完歩、霧雨の大台ヶ原(吉野熊野国立公園)、北海道国後、宗谷岬の昆布、十勝原野の牛、観光施設の網走監獄、信州、沖縄、琵琶湖1周ウォーク、明石市の移動図書館利用などなど、ご主人との思い出を背負って前向きに人生を送られている姿が行間にこもっていた。
「コミセンに参加して1年半を振り返って」は70歳後半からコミュニティセンターに行くのは遅いのじゃーないかと思いつつ門戸を叩くと同世代の人の顔を見て安心した。毎日1万歩以上歩かれているそうだが、この近辺の大小の公園9ヶ所には春夏秋冬の歳時記あり、万葉集の歌碑もすべてありでその解説もされていた。いやー、青い鳥はすぐ近くに居たという証しだね。いやいや、知っているつもりの自分の町にもこんな奥行きがあることに感心した。とても詳細な資料も配られた。
「『まち学』のすすめ」ではフーテンの寅さんに言わせたら「てめえさしずめインテリだな」と形容しそうな方の主に関東育ちの大阪学かな?(笑)。東京本社から大阪勤とめにになって50年が過ぎたらしいが、言葉もイントネーションも真似できない。味つけが違う。大阪ではうどんがお湯の中を泳いでる。どうやって食べるのか悩んだとか。国鉄の大阪駅を歩くと東京は右を歩くのに大阪の人は皆左側を歩くのでぶつかるが、それでも知らん顔。ある時は若い女性の口紅を肩につけられて困ったがその娘も知らんぷり。エスカレーターの立ち位置も左右が逆なので、ちなみに名古屋駅に問い合わせると真ん中とってどちらでもいいとの回答(笑)。こだわりの性格なのでフランスと英国の大使館双方にどちらを歩いているのか問い合わせた所人は左を歩くとか。さらに大阪府警に問い合わせてみると昭和24年の道路交通法施行から車は左人は右と言い始めたのではないかと。そうか!武士は刀は左に差していて右側を歩くとぶつかったからかとイメージしたと。東京はお上の膝もとだから道路交通法を守って、大阪は昔のままの習慣が残っているのではないかと思ったとか。単語で言うと飴ちゃん、お豆さん、おいもさん、おいなりさんと言ってなぜおごぼうさんとは言わないのか?豊中の昆布屋さんは樹齢400年の欅が家の屋根を突き抜けている。欅の生育によって屋根を作り直し、店の前には賽銭箱を置いて客が拝んで帰る、店の名を「けやき昆布本舗」という不利を逆手に取って話題作りするのにも興味を持ったなどなどの関西人の考察いろいろ。
「日日是好日」の発表者の話を聞くのは二度目だ、一番のご高齢だと思うがこの方は巧い。父親なき姪とバージンロードを歩きながら、彼女の父(兄)が交通事故に遭った時のこと、音楽一筋に進んでオペラの勉強もし、父の命日に挙式の日を合わせ、讃美歌312番を感動を持って唄われたた話を聞き、小父さんも胸にじんとくるものがあった。この方は交通栄誉章をもらってあるが、実姉の交通事故死を胸に刻んで結婚写真をずっと車に積んであるそうだ。この中に仙台、水戸、名古屋出身のご婦人方はおられないかとの質問あり。三大美人の産地は京都、秋田、博多だそうだが(その説明はメモ漏れ)。前掲の町からは織田信長、 豊臣秀吉、 徳川家康の三人が美人を連れ去ったとかなんとか(笑)。これからは病院経営も大変になるだろうからポイントカードが導入されて、100点たまったら薬がただになったり、1000点たまると入院が無料の時代が来るだろうとの予測も立てられた。(笑)
笑いあり感動ありの2時間もオーバーしてしまったが、小父さんが感じたことは自分は青いな〜ということ。人生経験から言うと何も知らないという感じ。たぶん小父さんより若い年齢はコミュニティーセンター所長だけだと思う。でも所長の話は格段に上手い。そんなとこかな!?
委員長挨拶に続いての発表風景。発表が楽し過ぎて後半の写真撮影を忘れている。
いやー、今日の発表はとても楽しかったな〜。帰宅して別件で学級生と話していたが、彼もこんなに盛り上がったのは初めだったと言っていた。テープレコーダーにでも録っておいてもう一度聞きたいくらいだとか。うまく行った一つの要因は時間を切らなかったことだと思う。3年前に小父さんが発表した時には持ち時間が10分で予備が5分ということで、ぎちぎちに10分に押し込めたものだ。
今日のテーマを順序不同で記すと「なつかしい思い出」「私の失敗だん」「老いに向かって」「コミセンに参加して1年半を振り返って」「『まち学』のすすめ」「日日是好日」ということだった。
「なつかしい思い出」では、他所のシニアカレッジで3年やられた中、明石西国三十三ヵ所霊場巡りでその企画・立案をやられたそうだが、寺さがし、寺との交渉(宝物を見せてもらえないか、歴史や縁起を説明してもらえないか等)、パンフレットを見て下さい。宝物は公開できないなど回答もあったが、要望を聞き入れてもらった時はとても楽しかったとか。この方「簡単ですが」と3〜4回言われたがいつまでも発表がおわらなかった(笑)。
「私の失敗だん」は会社勤めで苦情処理をやらされ、そのストレス解消にはコーヒー1杯で酒なら2合半の飲めるというので飲みまくっていたが、ある時JRの駅からタクシーで帰宅したらいいものを、途中歩きながら何軒かの店に寄ってどうも見ず知らずの他人の家に上がり込んだらしい。翌朝気がつくと病院のベッドの上で点滴していたとか。奥さんがカンカンに怒って郷里の母親に言い付けるというが、その母は85〜86歳で一人で畑をしている。「それだけは勘弁してくれ」と言いつつもそんな失敗の繰り返しからクリニックに行ったり断酒会に入ったりで散々極道をしてきて、今は金もなくなってしまったけど酒を止めたおかげで幸せな生活を送っているとか(発表はかなり長くみなさん大笑いだった)。
「老いに向かって」はご婦人だった。ご主人の病、介護など発病して8年が過ぎ、66歳から独り生活になったが、四国八十八ヶ所霊場参りから写経、西国三十三ヶ所巡り、四国 の風吹山・剣岳登山、しまなみ海道8回完歩、霧雨の大台ヶ原(吉野熊野国立公園)、北海道国後、宗谷岬の昆布、十勝原野の牛、観光施設の網走監獄、信州、沖縄、琵琶湖1周ウォーク、明石市の移動図書館利用などなど、ご主人との思い出を背負って前向きに人生を送られている姿が行間にこもっていた。
「コミセンに参加して1年半を振り返って」は70歳後半からコミュニティセンターに行くのは遅いのじゃーないかと思いつつ門戸を叩くと同世代の人の顔を見て安心した。毎日1万歩以上歩かれているそうだが、この近辺の大小の公園9ヶ所には春夏秋冬の歳時記あり、万葉集の歌碑もすべてありでその解説もされていた。いやー、青い鳥はすぐ近くに居たという証しだね。いやいや、知っているつもりの自分の町にもこんな奥行きがあることに感心した。とても詳細な資料も配られた。
「『まち学』のすすめ」ではフーテンの寅さんに言わせたら「てめえさしずめインテリだな」と形容しそうな方の主に関東育ちの大阪学かな?(笑)。東京本社から大阪勤とめにになって50年が過ぎたらしいが、言葉もイントネーションも真似できない。味つけが違う。大阪ではうどんがお湯の中を泳いでる。どうやって食べるのか悩んだとか。国鉄の大阪駅を歩くと東京は右を歩くのに大阪の人は皆左側を歩くのでぶつかるが、それでも知らん顔。ある時は若い女性の口紅を肩につけられて困ったがその娘も知らんぷり。エスカレーターの立ち位置も左右が逆なので、ちなみに名古屋駅に問い合わせると真ん中とってどちらでもいいとの回答(笑)。こだわりの性格なのでフランスと英国の大使館双方にどちらを歩いているのか問い合わせた所人は左を歩くとか。さらに大阪府警に問い合わせてみると昭和24年の道路交通法施行から車は左人は右と言い始めたのではないかと。そうか!武士は刀は左に差していて右側を歩くとぶつかったからかとイメージしたと。東京はお上の膝もとだから道路交通法を守って、大阪は昔のままの習慣が残っているのではないかと思ったとか。単語で言うと飴ちゃん、お豆さん、おいもさん、おいなりさんと言ってなぜおごぼうさんとは言わないのか?豊中の昆布屋さんは樹齢400年の欅が家の屋根を突き抜けている。欅の生育によって屋根を作り直し、店の前には賽銭箱を置いて客が拝んで帰る、店の名を「けやき昆布本舗」という不利を逆手に取って話題作りするのにも興味を持ったなどなどの関西人の考察いろいろ。
「日日是好日」の発表者の話を聞くのは二度目だ、一番のご高齢だと思うがこの方は巧い。父親なき姪とバージンロードを歩きながら、彼女の父(兄)が交通事故に遭った時のこと、音楽一筋に進んでオペラの勉強もし、父の命日に挙式の日を合わせ、讃美歌312番を感動を持って唄われたた話を聞き、小父さんも胸にじんとくるものがあった。この方は交通栄誉章をもらってあるが、実姉の交通事故死を胸に刻んで結婚写真をずっと車に積んであるそうだ。この中に仙台、水戸、名古屋出身のご婦人方はおられないかとの質問あり。三大美人の産地は京都、秋田、博多だそうだが(その説明はメモ漏れ)。前掲の町からは織田信長、 豊臣秀吉、 徳川家康の三人が美人を連れ去ったとかなんとか(笑)。これからは病院経営も大変になるだろうからポイントカードが導入されて、100点たまったら薬がただになったり、1000点たまると入院が無料の時代が来るだろうとの予測も立てられた。(笑)
笑いあり感動ありの2時間もオーバーしてしまったが、小父さんが感じたことは自分は青いな〜ということ。人生経験から言うと何も知らないという感じ。たぶん小父さんより若い年齢はコミュニティーセンター所長だけだと思う。でも所長の話は格段に上手い。そんなとこかな!?