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火論:学校は野を越え=玉木研二 / 毎日jp/ケニアのJは妹を連れて片道15キロサバンナを横切る・・・

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写真はシネマカフェネットから    

  

火論:学校は野を越え=玉木研二 / 毎日jp

毎日新聞 2014年04月15日 東京朝刊
 <ka−ron>
 全国で順次公開されるフランスのドキュメンタリー映画「世界の果ての通学路」は隔絶した辺地などから、時に命懸けで難路を越えて学校へ通う子供たちを描く。

 そのけなげさに感心し、それに引き換え我ら豊かな「先進国」の状況は、と嘆息する向きもあるだろう。あるいは、この困難と貧しさの社会的要因をもっと掘り下げるべきだという、もっともな意見もあるかもしれない。

 だが、たぶんこの映画の素朴な感動の源は、未来を疑わぬ子供たちの明るさである。そして「学校へ行って学ぶ」とは何か、ふと考えさせるところにあると思う。忘れかけていないだろうか。

 ケニアのジャクソン(11)は7歳の妹を連れて片道15キロ、危険なサバンナを横切る。アルゼンチンのカルロス(11)は羊飼いを手伝いながら、馬で18キロの平原を越えて通学する。幼い妹も乗せて。

 モロッコの少女ザヒラ(12)は毎週22キロの険しい山道を歩き全寮制の学校へ通う。家族の中で学校へ行くのは彼女が初めてだ。生来足が不自由なインドのサミュエル(13)は、弟2人が粗末な車椅子を押して4キロの悪路を行く。

 互いに関係のない子たちだが、共通しているのは、それぞれが夢や目標を持ち、難路の向こうの学校(決して整ったものではないけれど)がその扉を開いてくれるものと映っていることだ。

 ジャクソンは世界を見て回れるパイロット、カルロスは故郷パタゴニアのための獣医師、ザヒラとサミュエルは医師を思い描いている。

 貧しくとも学校へ行けるという点、目標を持っていて勉強も好きだという点では、確かにこの映画の子供たちは恵まれた方かもしれない。

 でも、それよりも「かなわないな」と感じるのは、この子供たちが無意識に発する自然な自己肯定感、自信のようなものだ。どうだろう。

 映画の解説パンフレットによると、パスカル・プリッソン監督は、撮影前に単身でそれぞれのロケ地にしばらく滞在し、カメラ抜きで子供たちと語らい、遊び、通学して信頼関係を持ったという。

 朝、砂地を素手で丹念にすり鉢状に掘り、しみ出てくる水を生活用水に確保するジャクソン。学校に着ていく服も丁寧に洗う。少年は監督にこう言ったそうだ。

 「いちばん貧しい暮らしを送っているからって、汚い服で学校に行かなきゃいけないことはないからね」

 子供たちの自然な気高さが伝わってくるようである。(専門編集委員)

  

 玉木さんの映画の紹介と下の予告編を見ただけで感動した。この映画は神戸まで出向かないと観れないが是非行こう。小父さんは子供にはめっぽう弱い!これこそ日本の小中学生全員に見せることは出来ないものかな?いろんな原因はあるのだろうが、小父さんは、日本のひねくれた小中学生は冷めた目で見ている。


    


映画「世界の果ての通学路」予告編 
   



 公式サイトはこちら  「世界の果ての通学路」    


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