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高御位山(たかみくらやま)

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 頂上 2012.5.6尾根歩きした時のもの。   

  

高御位山周辺の歴史

?【高御位山の古代信仰】 高御位山は、古代から山岳崇拝の聖地として播磨一円の厚い信仰を集め、頂上のシンボルである巨岩は神霊の宿る場として、長い歴史の流れの中で人々は崇拝の心でその山容を仰ぎつつ今日に至っている。 高御位神社南側の岩場は、今から約1200年前の大同2年3月21日に、大国主命が国造りのためにこの岩場に下りて来られたという言い伝えがある。 また神社前方の岩場一帯は、弥生時代から古墳時代にかけての古代人が神をお祭りするための「祭事」を行った跡であろうと言われている。禊(みそぎ)跡である扇形のくぼみは、古代人が神にお参りする前に身を清めるための水を溜めるのに、岩をくりぬいて作った穴であろうと言われている。 盃状穴(はいじょうけつ)址、盃のような形をした小さな穴は古代人が、石のようなもので岩肌をこすりながら神に祈りをささげたときに出来た穴であろうと言われている。 御水(みもみ) 址、米粒のような形にくりぬいて作った穴は、古代人が神にお供えする水を溜めるために岩をくりぬいて作った穴であろうと言われている。

?【高御位山の中世の言い伝え】北山奥山付近に岩肌が赤錆が浮いたような色の岩が山道脇にあるのですが、説明板によると「今から約400年余り昔の天正年間に羽柴秀吉が志方城を攻めたときここに本陣を置いてこの岩に腰を下ろして采配をとったといわれています」あなたも一度この石に座って太閤気分に浸ってみてはどうですか。桶居山の頂上付近では宮本武蔵が天狗に剣術を習ったという言い伝えが残っている。また小高御位山付近では江戸時代に大阪堂島の米相場の情報を須磨の旗振山等を経由して姫路へと伝えていた米相場中継所跡の旗振り場があったと伝えられています。

?高御位山の近世の歴史山頂にある飛翔の碑は大正10年(1911年)に志方町の渡辺信二が21歳の時、山頂から自身が製作したグライダーで滑空したことを記念して建立されたものです。このように我らのホームグラウンドである高御位山周辺には長い長い歴史が詰まっており遠い昔から現在に至る長い時間を経過しても常にその時代の人々に信仰され、親しまれた歴史があります。皆さんも登ったときに歴史を確認してみてはいかがでしょうか、また違った山の姿が垣間見えるのではないでしょうか。  
 上記は高御位山遊会HPから転載させていただいた。


     

播磨アルプス尾根歩き   



  

 明日は山友と今年最初の足馴らしで鹿島神社から高御位山に登る予定だ。上の動画は2年前に尾根歩きをしているが、お互いにまだ体調は万全じゃーないのでどの程度歩くかは未定(笑)。


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長年、一緒に仕事していた人が亡くなって通夜から戻って来たところ。もう我々の年代もそんな齢になって来たんだ。 合掌




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