写真はTRY!アウトドアからお借りした
女の気持ち:ラブレター 茨城県取手市・伊藤さち子(無職・65歳)
毎日新聞 2014年02月25日 東京朝刊
夫の一周忌を終え、少しずつ遺品整理を始めることにしました。思い出深い物を手に取るたびに時を忘れてしまいます。
そんな中、40年ぶりに忘れられていたたくさんの手紙が出てきました。あのころ、携帯電話のない時代でしたので、東京と千葉との間で、ラブレターを出しあっていました。会えるのは月に1度か2度……手紙が2人の唯一の支えでした。
手紙のおかげで結婚し、子供たちにも恵まれ夢のような幸せな生活でした。でも40年間の長い歳月には、人並みの苦労も経験しました。夫の両親と途中同居、家を新築し子供の教育と、彼も私も夢中で働きました。
子育てが終わり、両親の介護、そして、みとり。気がついた時、2人の心と夢は交わることがなくなっていました。それに彼は大病を患い、医者から告げられた言葉は、取り返しのつかない状態のものでした。残された時間はあっという間でした。
結婚前、伴侶となる人と槍ケ岳に登ると決めていた! それは君だよと言ってくれ、山登りを教えてもらいました。たくさんの思い出、宝を残してくれたのにいろいろあって晩年、彼の優しさに背を向けていました。
夫の死後、現実感がなく泣けなかった私は、今ラブレターを何度も読み返し、初めて心からの涙が流れました。若い日の恋しい「彼」に会えたのです。優しく最高にすてきだった彼は、言葉いっぱいの愛であふれていました。「お父さん、大好きでした。届かない手紙を送りました!!」と呼びかけています。
伊藤さち子さん、私も66歳です。こんな年齢では人生のおおよそのことは体験しますね。私も手紙も書いたことはありますし、かみさんとの喧嘩も数かぎりなくあります(笑)。果たして、もし万一自分が先か、独りが残されたとしたら何か思い出の品は残っているかな〜なんて考えています。
私には17年前に義姉と死別した85歳の長兄が去年までいました。子供も居ない独り暮らしでしたが、亡くなった後、義姉へのたくさんの愛情がこもったアルバムの山も残されていました。
伊藤さんのご主人のラブレターを読ませていただいて、とても心温まるものがありました。ありがとうございました。
女の気持ち:ラブレター 茨城県取手市・伊藤さち子(無職・65歳)
毎日新聞 2014年02月25日 東京朝刊
夫の一周忌を終え、少しずつ遺品整理を始めることにしました。思い出深い物を手に取るたびに時を忘れてしまいます。
そんな中、40年ぶりに忘れられていたたくさんの手紙が出てきました。あのころ、携帯電話のない時代でしたので、東京と千葉との間で、ラブレターを出しあっていました。会えるのは月に1度か2度……手紙が2人の唯一の支えでした。
手紙のおかげで結婚し、子供たちにも恵まれ夢のような幸せな生活でした。でも40年間の長い歳月には、人並みの苦労も経験しました。夫の両親と途中同居、家を新築し子供の教育と、彼も私も夢中で働きました。
子育てが終わり、両親の介護、そして、みとり。気がついた時、2人の心と夢は交わることがなくなっていました。それに彼は大病を患い、医者から告げられた言葉は、取り返しのつかない状態のものでした。残された時間はあっという間でした。
結婚前、伴侶となる人と槍ケ岳に登ると決めていた! それは君だよと言ってくれ、山登りを教えてもらいました。たくさんの思い出、宝を残してくれたのにいろいろあって晩年、彼の優しさに背を向けていました。
夫の死後、現実感がなく泣けなかった私は、今ラブレターを何度も読み返し、初めて心からの涙が流れました。若い日の恋しい「彼」に会えたのです。優しく最高にすてきだった彼は、言葉いっぱいの愛であふれていました。「お父さん、大好きでした。届かない手紙を送りました!!」と呼びかけています。
伊藤さち子さん、私も66歳です。こんな年齢では人生のおおよそのことは体験しますね。私も手紙も書いたことはありますし、かみさんとの喧嘩も数かぎりなくあります(笑)。果たして、もし万一自分が先か、独りが残されたとしたら何か思い出の品は残っているかな〜なんて考えています。
私には17年前に義姉と死別した85歳の長兄が去年までいました。子供も居ない独り暮らしでしたが、亡くなった後、義姉へのたくさんの愛情がこもったアルバムの山も残されていました。
伊藤さんのご主人のラブレターを読ませていただいて、とても心温まるものがありました。ありがとうございました。