変わらぬ魅力:1964年生まれのロングセラー
毎日新聞 2014年01月02日 12時00分(最終更新 01月02日 15時58分)
この50年、私たちの暮らしを支えるモノやサービスは大きく進化した。一方、東京五輪の年に生まれ、変わらず愛され続けるモノもある。この半世紀に生み出されたモノとサービスを振り返ると、次の半世紀が見えてくるかもしれない。
◇味ぽん 家庭で料亭の味を 東西の鍋文化の違い乗り越え
「味ぽん」は、ぽん酢にしょうゆ、だしを加えたシンプルな調味料。鍋料理だけでなく、焼き肉、焼き魚から炒め物、冷ややっこまで家庭の食卓に欠かせない調味料として浸透している。
食酢の老舗、中埜(なかの)酢店(現ミツカングループ本社)の7代目社長の中埜又左エ門氏(故人)が、福岡の料亭で食べた水炊きの調味料の味に感激。「家庭でも料亭の味が楽しめるように」と考えたのが「味ぽん」開発のきっかけだ。
担当者が各地の料亭に通って味を研究。1964年に前身の「ぽん酢<味つけ>」が完成、関西限定で発売した。67年には全国発売に踏み切ったが、関東ではさっぱり売れなかった。つけダレで食べる水炊きが一般的だった関西と異なり、関東はあらかじめしょうゆなどで味つけした鍋が主流だったからだ。東京・築地市場で業者に試食してもらったり、スーパーでは鍋を景品につけたりして魅力をアピール。東西の鍋文化の違いを乗り越えていった。
67年に「味ぽん酢」、79年に「味ぽん」に商品名を変更。家族で鍋を囲むテレビCMも普及に一役買った。おろし焼き肉など鍋以外のレシピも提案、通年商品に育てた。健康志向を意識した減塩タイプや、のせたりあえたりするジュレタイプなど姉妹品も続々と登場。今では20カ国以上の家庭に「料亭の味」を届けている。【和田憲二】
50年も前からあったとは!小父さんはたぶん福岡では「味ぽん」を使ってなかったんじゃーないかな。味の素に醤油かけかソースをダブダブかけて辛いものが味覚くらいに思っていたような気がする。いつの頃からか「味ぽん」が好きになり、これさえあれば何もいらないって感じで特に関西人のかみさんと一緒になってからは、味の素・醤油・ソースをほとんど使わなくなった。
「中埜又左エ門氏の博多(=福岡)の料亭で食べた水炊きの調味料の味に感激」とあるね。もうとても長いこと食べたことがないのだが、博多の鶏の水だきの味が懐かしいものだ。最近はもつ鍋?とか何とか流行っているようだけど、昔の博多の名物と来たら鶏の水だき・新三浦と相場が決まっていた。
社長さんもきっとここで食事されたのだろう。そうか!とんと縁がなくなったと思ったらうちのかみさんは鶏嫌いだった(笑)。