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2013年08月01日
そして名画があった 毎日jp
◇タイムスリップで珍騒動
東京で封切られた1985(昭和60)年12月7日は暦の上では「大雪(たいせつ)」。平年より気温は高く雨雲が広がったが、奥多摩では5センチの積雪があり、当時有料の道路(現奥多摩周遊道路)が閉鎖された。
この朝、池袋からスキー列車が出発、はしゃぐ若い女性客らの写真が毎日新聞の夕刊社会面に載っている。企業に週休2日制が広がり始めたころである。
男女雇用機会均等法は翌年4月に施行、やがてバブル景気の足音も聞こえてくる。
監督ロバート・ゼメキス、そしてスピルバーグが製作総指揮に加わった。
物語の舞台はカリフォルニアの町。主人公マーティ(マイケル・J・フォックス)は17歳の高校生。スケートボードとギターが得意だ。町で変わり者扱いされている科学者で「ドク」と呼ばれるブラウン博士(クリストファー・ロイド)と親しい。
そのドクが名車デロリアンを改造し、一定のスピードにに達すると過去・未来に移動できるタイムマシンを発明、犬を使った実験に成功する。しかし、思わぬ横やりが入り、期せずしてマーティ1人が30年前(映画製作年を起点にしている)の1955年の町にタイムスリップする。
マーティの高校があり、何と17歳の父ジョージと母ロレインが通っている。
ジョージは粗暴なビフが率いる不良たちにいじめられ、彼らの宿題を一手に引き受けさせられても、ニヤニヤとへつらいの笑みを浮かべている。ロレインはそんなジョージは眼中になく、突然町に現れた不思議な少年マーティに恋心を燃え上がらせる。
マーティは慌てる。ジョージとロレインこそ将来を約する仲になってくれないと、未来は変更されて自分はこの世に存在しないことになる。
ジョージに勇敢でタフな男を演じさせるべく珍作戦を思い立つが……。
ともあれ、乱行限りないビフを、思いがけぬジョージの拳が1発でKOするシーンはまことに痛快である。
30年先の未来からいろんな知識や常識を持ち込むから、珍騒動や混乱も起きる。
けがをしたギタリストの代役として高校のダンスパーティーのバンドに入れられたマーティは、何かやってみろといわれて、50年代後半の曲「ジョニー・B・グッド」をやった。ロックンロールの祖ともいえるチャック・ベリーの名曲中の名曲。初めて聴くパーティー会場の若者たちは興奮して盛り上がる。
Johnny B. Goode - Back to the Future (9/10) Movie CLIP (1985) HD
ベリーの縁者が会場にいて、その場でベリーに電話し「新しいサウンドだ」と受話器を掲げて聴かせる。
シーンはそこまでだが、かくして名曲は生まれ、後年これを覚えたマーティは30年前にタイムスリップし、これを聴いたベリーは……と輪廻(りんね)のようなサイクルができてしまうことを示唆している。
またマーティは55年の町で、将来に事をなそうと意欲満々の黒人青年に出会う。85年時点で市長になっている人物だ。マーティは軽食堂で働く彼に思わず将来市長を目指してはどう、と勧め、青年もすっかりその気になるが、周囲は、まさか黒人が、と冷めている。その後の時代の大きな変化を感じさせるところだ。
55年の町では、若き日のドクに出会い、85年の大統領は誰だと問われる。マーティが「ロナルド・レーガン」と答えると、ドクはなかなか信じようとせず、「じゃ、副大統領はジェリー・ルイス(喜劇俳優)か」とちゃかす。
レーガンはハリウッドの俳優だった。米大統領としての歴史的業績について評価は分かれるが、話術にたけ、独特のウイットもあって人気はあった。有名なのは暗殺を図った銃撃で重傷を負い、緊急の手術を前に医師らに「君たちは全員共和党員だろうな」と冗談で笑わせたというエピソードである。
彼はドクにからかわれる映画のこのシーンに、怒るどころか面白がったといわれる。
SFの分野を確立した英国人作家、H・G・ウェルズが19世紀末に発表した「タイムマシン」以来、時間を旅する物語は多く作られた。時間を支配するとは、過去の修正と未来の予知という“禁断の実”を手にすることだ。
当事者はしばしばその誘惑と自制心の板挟みになり、苦しむのである。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は89年に第2作、90年に第3作と続き、バブル景気に華やぐ街角の風景の中にそのポスターは張り出された。第2作で不良のビフは未来の出版物で分かるスポーツ結果を悪用し、ギャンブルで大富豪になる。足るを知らぬビフの精神的な退廃ぶりは、私たちに何かを示唆するようでもある。
映画製作時から30年近くたつ。あのころ、私たちは30年後の東京を、日本を、どう思い描いていただろう。
とても滑稽なバック・トゥ・ザ・フューチャーは、テレビで観はじめたら最後まで釘付けになるが(笑)、この映画は観たのか観ていまいのかはっきり覚えていない。しかし、繰り返しテレビで放映されるこのシリーズの名画と呼ばれる所以が玉木研二によって見事に書かれているね。
小父さんもこれくらい評論できれば本の1冊でも出せるんだが、まあ初めから諦めていた方が身のためだ。ストーリーに風刺と教訓が同居しているところがいいのかな。ドラえもんのように奇想天外だから子供から大人まで楽しめる。映画って面白いね。
読み返して1985年出来ごとのウィキペディアのリンクをつけようとしたら、なんと阪神タイガースが日本シリーズで、西武ライオンズを破り4勝2敗で日本一になった年じゃーないか。いや30年後の東京、そして日本は変わり果てたものだね。
2013年08月01日
そして名画があった 毎日jp
◇タイムスリップで珍騒動
東京で封切られた1985(昭和60)年12月7日は暦の上では「大雪(たいせつ)」。平年より気温は高く雨雲が広がったが、奥多摩では5センチの積雪があり、当時有料の道路(現奥多摩周遊道路)が閉鎖された。
この朝、池袋からスキー列車が出発、はしゃぐ若い女性客らの写真が毎日新聞の夕刊社会面に載っている。企業に週休2日制が広がり始めたころである。
男女雇用機会均等法は翌年4月に施行、やがてバブル景気の足音も聞こえてくる。
監督ロバート・ゼメキス、そしてスピルバーグが製作総指揮に加わった。
物語の舞台はカリフォルニアの町。主人公マーティ(マイケル・J・フォックス)は17歳の高校生。スケートボードとギターが得意だ。町で変わり者扱いされている科学者で「ドク」と呼ばれるブラウン博士(クリストファー・ロイド)と親しい。
そのドクが名車デロリアンを改造し、一定のスピードにに達すると過去・未来に移動できるタイムマシンを発明、犬を使った実験に成功する。しかし、思わぬ横やりが入り、期せずしてマーティ1人が30年前(映画製作年を起点にしている)の1955年の町にタイムスリップする。
マーティの高校があり、何と17歳の父ジョージと母ロレインが通っている。
ジョージは粗暴なビフが率いる不良たちにいじめられ、彼らの宿題を一手に引き受けさせられても、ニヤニヤとへつらいの笑みを浮かべている。ロレインはそんなジョージは眼中になく、突然町に現れた不思議な少年マーティに恋心を燃え上がらせる。
マーティは慌てる。ジョージとロレインこそ将来を約する仲になってくれないと、未来は変更されて自分はこの世に存在しないことになる。
ジョージに勇敢でタフな男を演じさせるべく珍作戦を思い立つが……。
ともあれ、乱行限りないビフを、思いがけぬジョージの拳が1発でKOするシーンはまことに痛快である。
30年先の未来からいろんな知識や常識を持ち込むから、珍騒動や混乱も起きる。
けがをしたギタリストの代役として高校のダンスパーティーのバンドに入れられたマーティは、何かやってみろといわれて、50年代後半の曲「ジョニー・B・グッド」をやった。ロックンロールの祖ともいえるチャック・ベリーの名曲中の名曲。初めて聴くパーティー会場の若者たちは興奮して盛り上がる。
Johnny B. Goode - Back to the Future (9/10) Movie CLIP (1985) HD
ベリーの縁者が会場にいて、その場でベリーに電話し「新しいサウンドだ」と受話器を掲げて聴かせる。
シーンはそこまでだが、かくして名曲は生まれ、後年これを覚えたマーティは30年前にタイムスリップし、これを聴いたベリーは……と輪廻(りんね)のようなサイクルができてしまうことを示唆している。
またマーティは55年の町で、将来に事をなそうと意欲満々の黒人青年に出会う。85年時点で市長になっている人物だ。マーティは軽食堂で働く彼に思わず将来市長を目指してはどう、と勧め、青年もすっかりその気になるが、周囲は、まさか黒人が、と冷めている。その後の時代の大きな変化を感じさせるところだ。
55年の町では、若き日のドクに出会い、85年の大統領は誰だと問われる。マーティが「ロナルド・レーガン」と答えると、ドクはなかなか信じようとせず、「じゃ、副大統領はジェリー・ルイス(喜劇俳優)か」とちゃかす。
レーガンはハリウッドの俳優だった。米大統領としての歴史的業績について評価は分かれるが、話術にたけ、独特のウイットもあって人気はあった。有名なのは暗殺を図った銃撃で重傷を負い、緊急の手術を前に医師らに「君たちは全員共和党員だろうな」と冗談で笑わせたというエピソードである。
彼はドクにからかわれる映画のこのシーンに、怒るどころか面白がったといわれる。
SFの分野を確立した英国人作家、H・G・ウェルズが19世紀末に発表した「タイムマシン」以来、時間を旅する物語は多く作られた。時間を支配するとは、過去の修正と未来の予知という“禁断の実”を手にすることだ。
当事者はしばしばその誘惑と自制心の板挟みになり、苦しむのである。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は89年に第2作、90年に第3作と続き、バブル景気に華やぐ街角の風景の中にそのポスターは張り出された。第2作で不良のビフは未来の出版物で分かるスポーツ結果を悪用し、ギャンブルで大富豪になる。足るを知らぬビフの精神的な退廃ぶりは、私たちに何かを示唆するようでもある。
映画製作時から30年近くたつ。あのころ、私たちは30年後の東京を、日本を、どう思い描いていただろう。
とても滑稽なバック・トゥ・ザ・フューチャーは、テレビで観はじめたら最後まで釘付けになるが(笑)、この映画は観たのか観ていまいのかはっきり覚えていない。しかし、繰り返しテレビで放映されるこのシリーズの名画と呼ばれる所以が玉木研二によって見事に書かれているね。
小父さんもこれくらい評論できれば本の1冊でも出せるんだが、まあ初めから諦めていた方が身のためだ。ストーリーに風刺と教訓が同居しているところがいいのかな。ドラえもんのように奇想天外だから子供から大人まで楽しめる。映画って面白いね。
読み返して1985年出来ごとのウィキペディアのリンクをつけようとしたら、なんと阪神タイガースが日本シリーズで、西武ライオンズを破り4勝2敗で日本一になった年じゃーないか。いや30年後の東京、そして日本は変わり果てたものだね。