ロシアから帰国後、記者団の取材に応じる日本維新の会の鈴木宗男氏=参院議員会館で2023年10月5日午後4時54分、竹内幹撮影
はじめに、私は、9月28日に右目を、10月5日に左目の白内障の手術を受けましたが、現在が手術前より視力は落ちています。ことに右目は、眼帯がとれた6日、7日は寒い日にマスクをして、眼鏡をかけて曇ったような状態での検眼には驚きました。
今夕やっと左の目も落ち着きましたが、テレビを観るのに日頃の強い眼鏡より弱い眼鏡の方がよく見えます。医師の悦明では眼圧を落とさなければということらしいです。
上記とは、まったく関係ないいですが、私は鈴木宗男さんも岸田総理も、もちろんプーチン大統領も大嫌いですが、
毎日新聞の伊藤智永さんが書かれているこの意見こそが外交と言うものだと思います。知っているだけでもサハリン2プロジェクトほかの投資の権益が中国に移ったり没収されたりするのか?
アメリカ一辺倒の外交だと誠に心もとない、米国大統領だっていつ変わるのか、米国がウクライナ支援を止めた時日本はどうするのか?トマホークも1年前倒しで購入するらしいし....。
土記 だからロシアと外交を=伊藤智永
毎日新聞 2023/10/7 東京朝刊 有料記事
<do-ki>
まだ首相官邸が戦前からの古い建物(改装して現在は首相公邸)だった頃、首相や官房長官が在室中、番記者はドアの前の廊下で来客の出入りを見張っていた。
ある日、野中広務官房長官(小渕恵三政権)の複数いる秘書官のうち1人が、そっと部屋を出た。いつもの重厚な黒の書類カバンでなく、無地の小さい紙袋を手に提げているのが気になり、後を追う。話しかけても上の空である。玄関を出るとき「ついて来ないでください」と軽くにらまれた。普段と様子が違う。尾行したら、議員会館の一室に消えた。
数週間後、官邸に現れたことのない社会党議員が官房長官室に入った。北朝鮮へ行った報告だという。ピンときた。秘書官が訪ねた部屋の議員じゃないか。すると、あの紙袋の中身は……。
後刻、議員に取材した。額は言わないが、官房長官から「餞別(せんべつ)」が届いたと認めた。「聞かれればこうして話すんだから、やましいことは何もない。むしろ北朝鮮みたいな国とは、正規の外交ルートではできないことを議員外交が担う。国会で丁々発止やっていても、政府は時には野党のパイプも使って必死に情報を集め、交渉の糸口を作るもんだよ」
長官と秘書官は認めない。記事にはならなかったが、それ以来、同じ紙袋を持って部屋を出る秘書官たちを何度か目撃した。
後年、野中氏に確かめると、「私の考えでやりました。非公式にいろいろ打診して反応も探らなきゃならん。外務省の言うことだけ聞いてたら、外交なんてできませんよ。官僚は保身第一だから。どうせ外務省から来た秘書官を通じて、何やっているか役所は全部知っとるしね」と答えた。
日中国交正常化が、当時野党の公明党を通じた地ならしで成就した経緯はよく知られている。東西冷戦真っ最中でも、自民党に共産党中国との国交を求めて活動する議員が絶えたことはなかった。
鈴木宗男参院議員(日本維新の会)のロシア訪問が「政府の渡航中止勧告を無視したスタンドプレー」と非難の的だ。現地メディアに「ロシアの勝利」と発言するなど言動は過激だが、外交で国論が一色に染まるより、このくらいの政治家がいた方がいい。
これが実は官邸と気脈を通じているとしたら……。荒唐無稽(むけい)な空想である。ただし、安倍晋三元首相の日露交渉に鈴木氏は少なからず関与していた。北方領土2島返還論へ転換したのは岸田文雄氏が外相を辞めた後だから、ご存じないのだろう。一度、鈴木氏の話も聞いてみたら。(専門編集委員)
はじめに、私は、9月28日に右目を、10月5日に左目の白内障の手術を受けましたが、現在が手術前より視力は落ちています。ことに右目は、眼帯がとれた6日、7日は寒い日にマスクをして、眼鏡をかけて曇ったような状態での検眼には驚きました。
今夕やっと左の目も落ち着きましたが、テレビを観るのに日頃の強い眼鏡より弱い眼鏡の方がよく見えます。医師の悦明では眼圧を落とさなければということらしいです。
上記とは、まったく関係ないいですが、私は鈴木宗男さんも岸田総理も、もちろんプーチン大統領も大嫌いですが、
毎日新聞の伊藤智永さんが書かれているこの意見こそが外交と言うものだと思います。知っているだけでもサハリン2プロジェクトほかの投資の権益が中国に移ったり没収されたりするのか?
アメリカ一辺倒の外交だと誠に心もとない、米国大統領だっていつ変わるのか、米国がウクライナ支援を止めた時日本はどうするのか?トマホークも1年前倒しで購入するらしいし....。
土記 だからロシアと外交を=伊藤智永
毎日新聞 2023/10/7 東京朝刊 有料記事
<do-ki>
まだ首相官邸が戦前からの古い建物(改装して現在は首相公邸)だった頃、首相や官房長官が在室中、番記者はドアの前の廊下で来客の出入りを見張っていた。
ある日、野中広務官房長官(小渕恵三政権)の複数いる秘書官のうち1人が、そっと部屋を出た。いつもの重厚な黒の書類カバンでなく、無地の小さい紙袋を手に提げているのが気になり、後を追う。話しかけても上の空である。玄関を出るとき「ついて来ないでください」と軽くにらまれた。普段と様子が違う。尾行したら、議員会館の一室に消えた。
数週間後、官邸に現れたことのない社会党議員が官房長官室に入った。北朝鮮へ行った報告だという。ピンときた。秘書官が訪ねた部屋の議員じゃないか。すると、あの紙袋の中身は……。
後刻、議員に取材した。額は言わないが、官房長官から「餞別(せんべつ)」が届いたと認めた。「聞かれればこうして話すんだから、やましいことは何もない。むしろ北朝鮮みたいな国とは、正規の外交ルートではできないことを議員外交が担う。国会で丁々発止やっていても、政府は時には野党のパイプも使って必死に情報を集め、交渉の糸口を作るもんだよ」
長官と秘書官は認めない。記事にはならなかったが、それ以来、同じ紙袋を持って部屋を出る秘書官たちを何度か目撃した。
後年、野中氏に確かめると、「私の考えでやりました。非公式にいろいろ打診して反応も探らなきゃならん。外務省の言うことだけ聞いてたら、外交なんてできませんよ。官僚は保身第一だから。どうせ外務省から来た秘書官を通じて、何やっているか役所は全部知っとるしね」と答えた。
日中国交正常化が、当時野党の公明党を通じた地ならしで成就した経緯はよく知られている。東西冷戦真っ最中でも、自民党に共産党中国との国交を求めて活動する議員が絶えたことはなかった。
鈴木宗男参院議員(日本維新の会)のロシア訪問が「政府の渡航中止勧告を無視したスタンドプレー」と非難の的だ。現地メディアに「ロシアの勝利」と発言するなど言動は過激だが、外交で国論が一色に染まるより、このくらいの政治家がいた方がいい。
これが実は官邸と気脈を通じているとしたら……。荒唐無稽(むけい)な空想である。ただし、安倍晋三元首相の日露交渉に鈴木氏は少なからず関与していた。北方領土2島返還論へ転換したのは岸田文雄氏が外相を辞めた後だから、ご存じないのだろう。一度、鈴木氏の話も聞いてみたら。(専門編集委員)