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憂楽帳 忘れぬために / 毎日新聞

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鴨川と三条大橋(右)。左手にお堂の屋根が見えるのが瑞泉寺。この場所に塚があり、当時は中州のような河原だった=京都市中京区で2023年9月1日午後1時12分、野上哲撮影

毎日新聞 2023/9/6 東京夕刊 有料記事

 鴨川に架かる三条大橋の西側。京都随一の歓楽街、木屋町通にぽっかりと静かな空間がある。慈舟山瑞泉寺。豊臣秀吉のおい、秀次一族を弔い、供養してきた菩提(ぼだい)寺だ。

 文禄4(1595)年8月2日の白昼、都人も目を覆う光景が広がった。秀次は謀反を疑われ、高野山で前月に自害。三条河原で5人の幼子、若き側室ら39人が処刑された。遺体は河原の穴に投げ込まれ、その上に塚を築き、秀次の首を入れた石櫃(せきひつ)を置いて悪逆塚と刻む残酷。今の暦では9月5日、秋の気配だった。

境内の地蔵堂には刑場で引導を授けたと伝わる地蔵尊が安置され、豊臣秀次の側室、幼子、家臣らの姿を写した京人形が奉納されている=京都市中京区で2023年8月4日午後2時42分、野上哲撮影

 16年後、高瀬川開削のため豪商、角倉了以がこの地を訪れた。荒れ果てた塚に心を痛め、堂を建てたのが瑞泉寺の始まりとされる。

 法灯を継ぐ22代目の中川龍学住職(57)は「事件は終わっていない」と語る。ある日、側室の末裔(まつえい)が訪れ、「ひそかに身内で伝えてきたがようやくお参りできた」と話したという。押された烙印(らくいん)に400年苦しめられたのだ。

 「ここは人間の過ち、業を忘れないためのお寺。守り続けるのが私の役割」。穏やかだがりんとした住職の言葉が胸に響いた。【野上哲】

 戦国時代の天下人たちは、人命に対する尊厳のかけらもなかったんだろうね。京都の句会に通っていた時、そのような歴史話も話題に上ったこともあったが、こんなところにあったのか!6月には、このすぐ側を歩いていた。次回、機会が有ったらお参りしこよう。

 しかし、21世紀の今日でも世界は似たようなことが連日テレビにまで映し出されている。人類の進歩って一体全体何だろうね?

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