毎日新聞 / 連載 「田中優子の江戸から見ると」から
毎日新聞(サンデー毎日)2023/6/1 05:00 有料記事
非正規、低賃金、子育て不安の元凶
広島サミットで見えた「岸田政権」の正体
平和の拠点、広島で行われたサミットは、果たして非核・非戦のメッセージを世界に発信し得たのか? 「否。核抑止を肯定し、現政権の対米従属姿勢をあらわにしただけではないか」と喝破するのは、田中優子元法政大総長だ。岸田軍拡は女性を犠牲にすると言う田中氏が、女性の視点で戦争への傾斜を告発する――。
広島サミットが終わった。自民党内は「大成功」モード、支持率上昇と株高が加わり、解散風が満帆だ。
だが、ちょっと頭を冷やしたい。本当に成功だったのか。世界の核保有国首脳に原爆資料館で40分間、被爆の実相と向き合ってもらったのはいい。韓国やグローバルサウスの国々を呼んだのも会議全体に広がりを持たせた。ただ、そのほかに日本外交として胸を張るべきことがあったのか。
岸田文雄首相がこだわったはずの核軍縮に関する「広島ビジョン」は、過去のこの種の文書からも後退した。核拡散防止条約(NPT)の過去の合意文書に明記されていた「核兵器の廃絶」の約束を盛り込めなかった。被爆地発なのに核の非人道性の記述が薄く、92カ国が署名、68カ国が批准する核兵器禁止条約への言及もなかった。代わりに、ロシアによるウクライナへの核威嚇を強く非難、中国にも核軍縮への注文をつけ、米国などG7陣営の核保有については、防衛目的の抑止力として正当化した。
そもそもなぜ原爆資料館視察を完全非公開としたのか。メディアの館内取材を認めず、首脳がどんな展示を見たかも非公表で、表情も伝わってこなかった。広島は、イデオロギーや立場を超えて、いかなる国の核の使用も威嚇も許さない、とのメッセージを発信できる、世界では長崎と並ぶ、ただ二つしかない被爆の聖地だ。その特異なポジションを活(い)かし切れなかった。これに加え、ウクライナのゼレンスキー大統領の飛び入り演出は、G7各国をして、停戦ではなく、戦争をさらに深みにはまらせる武器支援競争に煽(あお)り立てた。
中露包囲網を強化したい米国にとってはよくできたシナリオだったが、日本はそれに乗るだけでよかったのか。日本として核の惨禍を最も伝えたい中国に「ビジョン」の文言は届いただろうか。主催国として、核の非人道性をその実相から訴え、核廃絶を高らかに唱える、広島ならではのアピールにもっと固執できなかったのか。そのために広島開催にこだわったのではないのか。一連の軍拡政策に引き続き、岸田首相の対米従属性と非力さを改めて感じさせる結果となった。
この稿では、1月発足した「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」の共同代表の田中優子さん(法政大元総長)に時代状況の見立て、女たちの存念を聞く。
軍拡は男女の権力関係の問題でもある
「核廃絶への具体的な取り組みどころか、核は抑止力があるとの見解を公にしたことになる。実際は小型核兵器の開発で、すでに抑止力がなくなっていることを知っているはずだが、とにかく軍事力によって『強さ』を保ちたいと考えた場合、核保有はそのシンボルになっているのだと思う。G7の役割としても、ロシアを巻き込んだ停戦交渉や、対中外交活性化によるアジアの安定化、具体的な核廃絶への道のりの構築など、本来やるべきことをしなかった。ウクライナへの武器供与やグローバルサウスの抱き込みは、世界の分断をさらに広げたことになる。後から振り返って世界大戦への節目だったと言われることを私は恐れている」
なぜ、女たちの会?
「岸田政権が『5年で防衛費43兆円』という数字をいきなり出してきたことに女性たちが皆あれっと思ったところから始まりました」
「まずは、女性たちが置かれている現状です。働く女性の過半数が非正規労働だ。男性の2倍いて、給料は男性の67%だ。一人で子供を育てる事例も女性のほうが多い。コロナ下で仕事を失う非正規の女性が増え、ホームレスになる人もいる。2020年11月にはバス停で夜を明かそうとしていた60代の女性が近所の男性に石を入れた袋で殴られ、亡くなった。コロナで職を失った方だった。多くの女性が衝撃を受けた。あれは私だったかもしれないと」
「今の女性には、子供を産み育てることへの不安も広がっている。若い男性も結婚や子育ては〝贅沢(ぜいたく)品〟だと思い始めている。彼らが不安なのは、子供たちが大学を卒業して職に就くまで親として支えていけるか自信が持てないことだ。女性の晩婚化が進んでいる背景には、キャリアを積まないと自分一人でもやっていけないし、男性の給与にも頼れないという現実がある」
「教育の分野で言うと、授業料がタダで託児所があれば大学生でも出産、育児はできるが全くそうなっていない。授業料は相変わらず高いし無償の奨学金は多くない。保育園や幼稚園から大学までの教育無償化や給食費無償化は計6兆円でできると言われながら先送りされてきた。保育士、介護士の給料が上らないのは、高齢者の社会保険料がさらに高くなるから無理ですと説明されてきた。皆そう思い込んでいたところに、いきなり43兆円がポンと出た。これは単なる軍拡ではなく、女性たちを切り捨て、戦争のために使おうという話だと、皆が覚醒した」
「『軍拡より生活を』と二つを同時に押さえる運動が必要だという認識の下、1月11日『女たちの会』を数名で立ち上げた。声明を作り署名を開始したら1カ月足らずで約7万5000筆が集まり、2月8日、記者会見し、印字した署名簿を各党に渡した。同じ日に大阪、熊本、その後北海道と組織が次々に立ち上がった。地方にはまだ家父長的家族の中で苦しんでいる女性が多い。何でこんなに働くのが難しいのか、賃金が低いのか、家庭の中の役割に押し込められるのか。暴力にさらされている人も多い。女性たちの会にすることで、単に軍事力ではなくて、社会全体が抱えている問題、男女の権力関係の問題でもあることが見えてきた」
「女性たちでこの運動を立ち上げたもう一つの理由は、戦争になる可能性が迫っている事態を、女性たちが参政権をもって以来初めて迎えているからだ。戦前は女性たちに参政権がなく、投票もできなかった。明治以来少しずつ普通選挙に向かってきたが、戦前の女性は一度も投票していない。女性たちは治安警察法で集会さえ禁じられた。後に平塚らいてうらの努力で改善されたが、そういう中で戦争は起きた。戦争を知っている女性も知らない女性も今は投票できる。その重要性を女性たちと改めて確認したい」
「前の戦争では政府や軍部によって参政権のない女性たちによる銃後の婦人会が結成された。兵士や遺族のための愛国婦人会、陸軍省による大日本国防婦人会、1942年閣議決定で作られた大日本婦人会があり、当時は市川房枝さんも『女性解放のため』として、その中に組み入れられていた。自分たちで組織しないと、組織されてしまう」
表現への介入は満州事変以降に近似
4月の統一地方選では、女性議員、首長が増えた。
「女性たちには、自分が何をしたいのか明確な人が多い。理念ではなく現実生活で何が必要かを見つけ、訴える力がある。はっきりした言葉を使い、忖度(そんたく)しない。今回わりと若い人たちが立候補していることに気づいた。投票行為より立候補のほうに関心があるとすれば、むしろ子供の頃からそこに向けた教育をしていくのもいいかもしれない」
軍拡懸念、いつから?
「2012年、自民党憲法改正草案が発表された。15年、集団的自衛権行使解禁の安保法制が成立、軍事研究募集も始まった。この年は、放送法4条(政治的公平性)の解釈変更が行われ、テレビ局への締め付けが強化されたことが総務省文書で明らかになってもいる。この頃から南西諸島への自衛隊の配備が始まり、20年日本学術会議への人事介入が行われ、22年防衛力強化の有識者会議で、軍事産業の拡大と輸出振興が表明された。これは学者と学問への介入と弾圧、映画など表現の自由への介入が行われた満州事変以降の日本とよく似た状況だ」
「特に大学人としては軍事研究が気になった。15年に防衛装備庁が巨額な軍事研究費を出すことを決めた。各大学それぞれの反応だったが、法政大としては17年、この問題に対する声明を出すとともに公開シンポを行った。その中で私は、デュアルユース(軍民両用)といっても機密保持義務から実際には民生利用しにくく、学問で最も重要な研究の公開性、透明性が犠牲になる、といった軍事研究の特質について説明した。別に研究するな、と言ったわけではないが、総長自ら登壇したことに驚く教員もいた。軍拡の流れが大学と関わるのはまずは研究費の問題なので、避けるわけにはいかなかった。いずれ学術会議問題につながるんだろうなとも思っていた」
学術会議は17年、軍事研究を行わない旨表明した。その3年後の20年、菅義偉首相が同会議推薦の会員候補6人の任命を拒否した。
「さすがにこういう形で来るとは驚いた。しかも、菅さんだった。菅首相誕生時、法政大出身であることを大々的に広報すべきだという意見もあったが、私は抑制的にした。案の定、学問の世界でいうと、とんでもないことをやった。任命拒否に加え、なぜ拒否したか説明もしない。任命拒否された人たちの顔ぶれを見ると政権がこれからやろうとしていることが見えてしまった。軍拡だ」
この問題なお未解決だ。
「学術会議に対し、言うことを聞かないなら民間の団体にすると脅迫している。男性が、俺が食べさせてやっているんだから文句言うな、と言うのと似ている。国のアカデミーの扱い方としておかしい。どの国でもアカデミーの存在理由は政策を考える参考にしたいので専門家の意見を聞かせてもらう、という位置付けだ。研究者は皆自立している。政府が生かしてやっているわけではない」
台湾有事論に疑問あり?
「日中共同声明(1972年9月)は2項で、中華人民共和国を中国唯一の合法政府として承認し、3項で、台湾は領土の不可分の一部という中華人民共和国の主張に対し、日本はその立場を『十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する』としている。92年には中国と台湾の間での『一つの中国』という原則を口頭で確認している。これらを総合すると、中国が何らかの理由で台湾に入っていった時に日本がそれを邪魔する理由はないし、内政干渉になる」
「問題は、なぜ台湾有事が日本有事になるのか、根幹の説明が不十分のまま、43兆円の軍拡議論が進んでいることだ。昨年9月30日の防衛力強化の有識者会議議事要旨では『民間企業の防衛分野への積極的投資』『防衛産業を国力の一環として捉え直した防衛装備品の輸出拡大』をうたっている。産業構造を軍需にシフトさせようとしているようにも見え、腑(ふ)に落ちない。きちんと説明してほしい」
東アジアとの連携を強くするしかない
岸田政権、意外に右?
「岸田政権も安倍晋三政権も同じだ。考え方の根幹に自民党改憲草案のイデオロギーがあり、それに沿ってやっている。後は米国との関係だ。誰が首相になろうと同じことをしている」
「一方で、日米関係は過渡期に来ていると思う。米国の国力の衰えで、いずれは今のように日米安保で守ってくれるでしょうという幻想は持てなくなる。となると中国や東アジアとの関係を強くしていくしか、安全な道はない。それを見越した外交をすべきだと思う」
女性ベースでできない?
「やりたい。そんな声も出ている。上野千鶴子さんの本が中国でたくさん翻訳されているらしい。『82年生まれ、キム・ジヨン』(韓国の作家チョ・ナムジュの小説)も面白い本で、いずれも女性が抱えている問題を扱っている。東アジアの女性は同じ儒教的なイデオロギーの中で、家や家族に縛られてきた。そこでつながることができるのではないか。日本では、厚労省の言う『夫婦と子供2人』というモデル家族は今や5%しかない。今後さらに崩れ、独身率が上がっていく。韓国はもっと進んでいて、中国も同じ傾向だ。東アジア全体で女性たちがうんざりしていることが伝わってくる。全部が少子化に向かっている。そういう意味で東アジアの女性たちの連帯はありうると思う」
◇ ◇ ◇
「女たちの会」をどんな運動体にしたいかと聞くと、田中さん、首に巻いていたスカーフをはずし、その布地にミサイルがハト(平和)に変身する模様がいくつもあしらわれているのを見せてくれた。反軍拡を叫ばなくても、このスカーフをしているだけで意思表示できる息の長い運動とのことだった。田中さんが毎日新聞夕刊に連載していたコラム「江戸から見ると」(3月で終了)は、江戸の題材を使って現代を小気味よく切り裁く江戸っ子気質(かたぎ)の記事だったが、当欄でもその味を引き出せただろうか。
「女たちの会」は6月4日に神保町の専修大でシンポジウムを開く。
たなか・ゆうこ
1952年横浜市生まれ。江戸文学・江戸文化研究者。法政大名誉教授。『江戸の想像力』で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』で芸術選奨文科大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年、紫綬褒章受章。江戸から現代を見透し、非戦の立場から社会的発言を続けている。
くらしげ・あつろう
1953年、東京都生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部を経て、2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員
随分長いコラムだが、関口宏のサンデーモーニングで話す田中優子さんよりもきつい発言だ。いやいや大学運営の立場に「女性」としての観点など知らないことがたくさん述べてある。「厚労省の言う『夫婦と子供2人』というモデル家族」なんて極楽トンボみたいな言葉に聞こえるね。今朝の毎日新聞の1面には「少子化対策5000億円上積み 年3兆円台半ば 首相指示」とあるが財源には踏み込まず年末までに検討だって。これも選挙前のアドバルーン?
国会の野党の主張のインパクトが弱いだけに、学者や言論人が政権をチェックしていただけることに大いに期待しよう。
毎日新聞(サンデー毎日)2023/6/1 05:00 有料記事
非正規、低賃金、子育て不安の元凶
広島サミットで見えた「岸田政権」の正体
平和の拠点、広島で行われたサミットは、果たして非核・非戦のメッセージを世界に発信し得たのか? 「否。核抑止を肯定し、現政権の対米従属姿勢をあらわにしただけではないか」と喝破するのは、田中優子元法政大総長だ。岸田軍拡は女性を犠牲にすると言う田中氏が、女性の視点で戦争への傾斜を告発する――。
広島サミットが終わった。自民党内は「大成功」モード、支持率上昇と株高が加わり、解散風が満帆だ。
だが、ちょっと頭を冷やしたい。本当に成功だったのか。世界の核保有国首脳に原爆資料館で40分間、被爆の実相と向き合ってもらったのはいい。韓国やグローバルサウスの国々を呼んだのも会議全体に広がりを持たせた。ただ、そのほかに日本外交として胸を張るべきことがあったのか。
岸田文雄首相がこだわったはずの核軍縮に関する「広島ビジョン」は、過去のこの種の文書からも後退した。核拡散防止条約(NPT)の過去の合意文書に明記されていた「核兵器の廃絶」の約束を盛り込めなかった。被爆地発なのに核の非人道性の記述が薄く、92カ国が署名、68カ国が批准する核兵器禁止条約への言及もなかった。代わりに、ロシアによるウクライナへの核威嚇を強く非難、中国にも核軍縮への注文をつけ、米国などG7陣営の核保有については、防衛目的の抑止力として正当化した。
そもそもなぜ原爆資料館視察を完全非公開としたのか。メディアの館内取材を認めず、首脳がどんな展示を見たかも非公表で、表情も伝わってこなかった。広島は、イデオロギーや立場を超えて、いかなる国の核の使用も威嚇も許さない、とのメッセージを発信できる、世界では長崎と並ぶ、ただ二つしかない被爆の聖地だ。その特異なポジションを活(い)かし切れなかった。これに加え、ウクライナのゼレンスキー大統領の飛び入り演出は、G7各国をして、停戦ではなく、戦争をさらに深みにはまらせる武器支援競争に煽(あお)り立てた。
中露包囲網を強化したい米国にとってはよくできたシナリオだったが、日本はそれに乗るだけでよかったのか。日本として核の惨禍を最も伝えたい中国に「ビジョン」の文言は届いただろうか。主催国として、核の非人道性をその実相から訴え、核廃絶を高らかに唱える、広島ならではのアピールにもっと固執できなかったのか。そのために広島開催にこだわったのではないのか。一連の軍拡政策に引き続き、岸田首相の対米従属性と非力さを改めて感じさせる結果となった。
この稿では、1月発足した「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」の共同代表の田中優子さん(法政大元総長)に時代状況の見立て、女たちの存念を聞く。
軍拡は男女の権力関係の問題でもある
「核廃絶への具体的な取り組みどころか、核は抑止力があるとの見解を公にしたことになる。実際は小型核兵器の開発で、すでに抑止力がなくなっていることを知っているはずだが、とにかく軍事力によって『強さ』を保ちたいと考えた場合、核保有はそのシンボルになっているのだと思う。G7の役割としても、ロシアを巻き込んだ停戦交渉や、対中外交活性化によるアジアの安定化、具体的な核廃絶への道のりの構築など、本来やるべきことをしなかった。ウクライナへの武器供与やグローバルサウスの抱き込みは、世界の分断をさらに広げたことになる。後から振り返って世界大戦への節目だったと言われることを私は恐れている」
なぜ、女たちの会?
「岸田政権が『5年で防衛費43兆円』という数字をいきなり出してきたことに女性たちが皆あれっと思ったところから始まりました」
「まずは、女性たちが置かれている現状です。働く女性の過半数が非正規労働だ。男性の2倍いて、給料は男性の67%だ。一人で子供を育てる事例も女性のほうが多い。コロナ下で仕事を失う非正規の女性が増え、ホームレスになる人もいる。2020年11月にはバス停で夜を明かそうとしていた60代の女性が近所の男性に石を入れた袋で殴られ、亡くなった。コロナで職を失った方だった。多くの女性が衝撃を受けた。あれは私だったかもしれないと」
「今の女性には、子供を産み育てることへの不安も広がっている。若い男性も結婚や子育ては〝贅沢(ぜいたく)品〟だと思い始めている。彼らが不安なのは、子供たちが大学を卒業して職に就くまで親として支えていけるか自信が持てないことだ。女性の晩婚化が進んでいる背景には、キャリアを積まないと自分一人でもやっていけないし、男性の給与にも頼れないという現実がある」
「教育の分野で言うと、授業料がタダで託児所があれば大学生でも出産、育児はできるが全くそうなっていない。授業料は相変わらず高いし無償の奨学金は多くない。保育園や幼稚園から大学までの教育無償化や給食費無償化は計6兆円でできると言われながら先送りされてきた。保育士、介護士の給料が上らないのは、高齢者の社会保険料がさらに高くなるから無理ですと説明されてきた。皆そう思い込んでいたところに、いきなり43兆円がポンと出た。これは単なる軍拡ではなく、女性たちを切り捨て、戦争のために使おうという話だと、皆が覚醒した」
「『軍拡より生活を』と二つを同時に押さえる運動が必要だという認識の下、1月11日『女たちの会』を数名で立ち上げた。声明を作り署名を開始したら1カ月足らずで約7万5000筆が集まり、2月8日、記者会見し、印字した署名簿を各党に渡した。同じ日に大阪、熊本、その後北海道と組織が次々に立ち上がった。地方にはまだ家父長的家族の中で苦しんでいる女性が多い。何でこんなに働くのが難しいのか、賃金が低いのか、家庭の中の役割に押し込められるのか。暴力にさらされている人も多い。女性たちの会にすることで、単に軍事力ではなくて、社会全体が抱えている問題、男女の権力関係の問題でもあることが見えてきた」
「女性たちでこの運動を立ち上げたもう一つの理由は、戦争になる可能性が迫っている事態を、女性たちが参政権をもって以来初めて迎えているからだ。戦前は女性たちに参政権がなく、投票もできなかった。明治以来少しずつ普通選挙に向かってきたが、戦前の女性は一度も投票していない。女性たちは治安警察法で集会さえ禁じられた。後に平塚らいてうらの努力で改善されたが、そういう中で戦争は起きた。戦争を知っている女性も知らない女性も今は投票できる。その重要性を女性たちと改めて確認したい」
「前の戦争では政府や軍部によって参政権のない女性たちによる銃後の婦人会が結成された。兵士や遺族のための愛国婦人会、陸軍省による大日本国防婦人会、1942年閣議決定で作られた大日本婦人会があり、当時は市川房枝さんも『女性解放のため』として、その中に組み入れられていた。自分たちで組織しないと、組織されてしまう」
表現への介入は満州事変以降に近似
4月の統一地方選では、女性議員、首長が増えた。
「女性たちには、自分が何をしたいのか明確な人が多い。理念ではなく現実生活で何が必要かを見つけ、訴える力がある。はっきりした言葉を使い、忖度(そんたく)しない。今回わりと若い人たちが立候補していることに気づいた。投票行為より立候補のほうに関心があるとすれば、むしろ子供の頃からそこに向けた教育をしていくのもいいかもしれない」
軍拡懸念、いつから?
「2012年、自民党憲法改正草案が発表された。15年、集団的自衛権行使解禁の安保法制が成立、軍事研究募集も始まった。この年は、放送法4条(政治的公平性)の解釈変更が行われ、テレビ局への締め付けが強化されたことが総務省文書で明らかになってもいる。この頃から南西諸島への自衛隊の配備が始まり、20年日本学術会議への人事介入が行われ、22年防衛力強化の有識者会議で、軍事産業の拡大と輸出振興が表明された。これは学者と学問への介入と弾圧、映画など表現の自由への介入が行われた満州事変以降の日本とよく似た状況だ」
「特に大学人としては軍事研究が気になった。15年に防衛装備庁が巨額な軍事研究費を出すことを決めた。各大学それぞれの反応だったが、法政大としては17年、この問題に対する声明を出すとともに公開シンポを行った。その中で私は、デュアルユース(軍民両用)といっても機密保持義務から実際には民生利用しにくく、学問で最も重要な研究の公開性、透明性が犠牲になる、といった軍事研究の特質について説明した。別に研究するな、と言ったわけではないが、総長自ら登壇したことに驚く教員もいた。軍拡の流れが大学と関わるのはまずは研究費の問題なので、避けるわけにはいかなかった。いずれ学術会議問題につながるんだろうなとも思っていた」
学術会議は17年、軍事研究を行わない旨表明した。その3年後の20年、菅義偉首相が同会議推薦の会員候補6人の任命を拒否した。
「さすがにこういう形で来るとは驚いた。しかも、菅さんだった。菅首相誕生時、法政大出身であることを大々的に広報すべきだという意見もあったが、私は抑制的にした。案の定、学問の世界でいうと、とんでもないことをやった。任命拒否に加え、なぜ拒否したか説明もしない。任命拒否された人たちの顔ぶれを見ると政権がこれからやろうとしていることが見えてしまった。軍拡だ」
この問題なお未解決だ。
「学術会議に対し、言うことを聞かないなら民間の団体にすると脅迫している。男性が、俺が食べさせてやっているんだから文句言うな、と言うのと似ている。国のアカデミーの扱い方としておかしい。どの国でもアカデミーの存在理由は政策を考える参考にしたいので専門家の意見を聞かせてもらう、という位置付けだ。研究者は皆自立している。政府が生かしてやっているわけではない」
台湾有事論に疑問あり?
「日中共同声明(1972年9月)は2項で、中華人民共和国を中国唯一の合法政府として承認し、3項で、台湾は領土の不可分の一部という中華人民共和国の主張に対し、日本はその立場を『十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する』としている。92年には中国と台湾の間での『一つの中国』という原則を口頭で確認している。これらを総合すると、中国が何らかの理由で台湾に入っていった時に日本がそれを邪魔する理由はないし、内政干渉になる」
「問題は、なぜ台湾有事が日本有事になるのか、根幹の説明が不十分のまま、43兆円の軍拡議論が進んでいることだ。昨年9月30日の防衛力強化の有識者会議議事要旨では『民間企業の防衛分野への積極的投資』『防衛産業を国力の一環として捉え直した防衛装備品の輸出拡大』をうたっている。産業構造を軍需にシフトさせようとしているようにも見え、腑(ふ)に落ちない。きちんと説明してほしい」
東アジアとの連携を強くするしかない
岸田政権、意外に右?
「岸田政権も安倍晋三政権も同じだ。考え方の根幹に自民党改憲草案のイデオロギーがあり、それに沿ってやっている。後は米国との関係だ。誰が首相になろうと同じことをしている」
「一方で、日米関係は過渡期に来ていると思う。米国の国力の衰えで、いずれは今のように日米安保で守ってくれるでしょうという幻想は持てなくなる。となると中国や東アジアとの関係を強くしていくしか、安全な道はない。それを見越した外交をすべきだと思う」
女性ベースでできない?
「やりたい。そんな声も出ている。上野千鶴子さんの本が中国でたくさん翻訳されているらしい。『82年生まれ、キム・ジヨン』(韓国の作家チョ・ナムジュの小説)も面白い本で、いずれも女性が抱えている問題を扱っている。東アジアの女性は同じ儒教的なイデオロギーの中で、家や家族に縛られてきた。そこでつながることができるのではないか。日本では、厚労省の言う『夫婦と子供2人』というモデル家族は今や5%しかない。今後さらに崩れ、独身率が上がっていく。韓国はもっと進んでいて、中国も同じ傾向だ。東アジア全体で女性たちがうんざりしていることが伝わってくる。全部が少子化に向かっている。そういう意味で東アジアの女性たちの連帯はありうると思う」
◇ ◇ ◇
「女たちの会」をどんな運動体にしたいかと聞くと、田中さん、首に巻いていたスカーフをはずし、その布地にミサイルがハト(平和)に変身する模様がいくつもあしらわれているのを見せてくれた。反軍拡を叫ばなくても、このスカーフをしているだけで意思表示できる息の長い運動とのことだった。田中さんが毎日新聞夕刊に連載していたコラム「江戸から見ると」(3月で終了)は、江戸の題材を使って現代を小気味よく切り裁く江戸っ子気質(かたぎ)の記事だったが、当欄でもその味を引き出せただろうか。
「女たちの会」は6月4日に神保町の専修大でシンポジウムを開く。
たなか・ゆうこ
1952年横浜市生まれ。江戸文学・江戸文化研究者。法政大名誉教授。『江戸の想像力』で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』で芸術選奨文科大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年、紫綬褒章受章。江戸から現代を見透し、非戦の立場から社会的発言を続けている。
くらしげ・あつろう
1953年、東京都生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部を経て、2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員
随分長いコラムだが、関口宏のサンデーモーニングで話す田中優子さんよりもきつい発言だ。いやいや大学運営の立場に「女性」としての観点など知らないことがたくさん述べてある。「厚労省の言う『夫婦と子供2人』というモデル家族」なんて極楽トンボみたいな言葉に聞こえるね。今朝の毎日新聞の1面には「少子化対策5000億円上積み 年3兆円台半ば 首相指示」とあるが財源には踏み込まず年末までに検討だって。これも選挙前のアドバルーン?
国会の野党の主張のインパクトが弱いだけに、学者や言論人が政権をチェックしていただけることに大いに期待しよう。