インタビューに答える、漫画家の黒鉄ヒロシさん=東京都渋谷区で2023年4月13日、宮本明登撮影
毎日新聞 2023/5/12 東京夕刊 有料記事
注目の連載 野口麗子
東京・原宿の竹下通りはもはや、若者や外国人でごった返すかつての光景に戻っている。通り過ぎると、待ち合わせ場所の会館のラウンジはうそのような静けさに包まれていた。窓際の席に腰を落ち着けた漫画家の黒鉄ヒロシさん(77)は3年半に及ぶ新型コロナウイルス禍での生活で、本格的に外出したのは6回目だと明かす。
「元々、漫画家というのは自由業で、外にはあまり出ないんです。そもそも能動的な性格だったら、この職業をやっていないわけですよね。コロナが流行したからといって、生活が変わったということはない。漫画を描いて本を読み、心の外出として映画のDVDを見るぐらい。収集した昔の映画が山のようにあるので」。中でも、名優スティーブ・マックイーンが若きポーカー勝負師を演じた米映画「シンシナティ・キッド」(1965年)が記憶に残った。「マックイーンの主演作の中で、これは今になって名画じゃないかと思い始めた。面白いものは、自分で発見しないとだめだよね。僕らはその発見をプロに任せすぎた」と自嘲気味に語る。
多趣味でギャンブル通として知られたが、今も続けているのは競馬だけ。「カードもそうだけどマージャンもね、相手がある程度うまくないと勝負にならない。しかし僕としては、相手になる人たちが死んじゃったので」と寂しさをにじませる。「麻雀放浪記」をはじめギャンブル小説で知られる阿佐田哲也さんは卓を囲む仲だった。「阿佐田さんの作品は、ほぼ全作読みましたが、期待を裏切らない」と作家としても信頼を寄せた。
コロナ禍で気づいた重要なことは、ほかにもある。「僕、酒が好きだと思い込んでいただけで、好きじゃなかったね。あれだけ毎晩飲んでいたのに、最近はうちでほとんど飲まない。社交の方が好きだったということでしょう。外に出て意見の異なる人に会って、帰り道でそれは違うと舌を出しているのが楽しかったんだろうね。なぜアルコールが必要かというと、めいてい状態を楽しむため。でも実は、本や物作りを楽しんでいる時も、めいてい状態に近かった」
テラス席に出てたばこを吸い始めた黒鉄さんの手には、自作のライターが握られている。フランスの名女優がかたどられており、趣味人らしい物作りの一端をのぞかせる。「自慢じゃなくて、物作りはみんなができること」と強調し、深刻なコロナ禍も「自己点検ができたことだけはよかった」と総括する。一方でこの3年半を振り返ると、釈然としないことも多い。「医学とは何か、命とは何かをきちんと考える好機にしなければならなかったはずなのに。日本人は特に、価値観を見直すべき時だった」と問題視する。
8日には感染症法上、季節性インフルエンザなどと同じ「5類」となった。「この間、みんなどう対応していいか分からないから、上から下までおたおたしてしまった。為政者も国民をどちらへ連れていくべきか分からず、落としどころを探っている感じがする。自分の都合のいい結論にもっていく政治家はセンスが悪い」と断じる。
喜寿を迎えても、辛口評論家ぶりがさえる。
コロナ禍で、忠臣蔵を題材にした漫画「1702忠臣蔵」を完結させた。「小学生ぐらいから資料を集め、ずっとやりたかった。そろそろ、私ごときでよければまとめたい」と宿願をかなえた。全4巻で計1000ページを超えるが、「1日に30ページを描けるので、苦労はゼロ」。約2年で一気に描き上げた。「忠臣蔵を読解すれば、生き続けたいという未練と死を迎える覚悟が入っていることが分かる」。作品には「生と死」という永遠のテーマがあるという。
1702忠臣蔵 (1) 雪の本゜(試し読みあり)
「死」に興味を抱いたのは5歳の頃だった。当時、高齢者は自宅で亡くなることが多く「死がものすごく身近にあった」。それから、文学にのめり込むことで死生観が深まっていったという。
最初に心が満たされたのは、小学校に入って読んだ江戸川乱歩全集だった。「とにかく本ばかり読み始めて。早熟だったから、発見が多かった」。中でも、森鷗外の「高瀬舟」に衝撃を受けた。「(弟殺しの)罪に処された男が舟に乗せられる話ですが、世の中のゆがみを突き放すような独特の視座があった。かすみのかかった山奥で高笑いするみたいなものを感じたんですよ。流人の話の中に、へばりついているユーモアに気づいた。死というものは寂しさや未練が募り、どうしようもなく笑うしかない。笑いとは何かを突き詰めたら、諦観ですよ」
文学にへばりつくユーモア。「僕はどうしても、笑いがないとやっていけない人間なので」。漫画家になるつもりで美大をやめ、デビューした20代の頃に出会ったのが吉行淳之介ら文学者だった。彼らと交流し、話題に上った本はすかさず読んだ。梶井基次郎、坂口安吾、筒井康隆と、読書遍歴を重ねた。「子どもの頃から笑いを自らの中心軸に据えていた」という黒鉄さんも、筒井さんの作品には心を揺さぶられたという。
「ユーモアにも、桁というものがあるんですよ。世界的に見ると、イギリスの文化にはブラックに近い独特のユーモアがある」。その代表として名を挙げたのは、70年前後に旋風を巻き起こした英コメディー集団のモンティ・パイソンだった。「彼らのインタビューを見ていて確か、何をやっても死んじゃうんだから仕方がないよね、と言っていた。イギリス人の文化には死が張り付いていて、奥が深いと思いました。実は、日本もかつてはそうだったはずなんです。でも日本はそれを隠して、無意味な陽気さにすり替えてしまった。何十年も前だけど、星新一さんがもう書くのをやめると言ったことがあった。どうしてかと聞いたら、元の作品や主題を知らない人が増え、パロディーができなくなってきたんだって」。日本人の教養は劣化しているとみる黒鉄さんは、文化や風習の伝承がうまくいっていないと嘆いた。
プロ野球好きの黒鉄さん。筋金入りの巨人びいきは言うまでもないが、ここで触れたのは米大リーグの大谷翔平選手だった。だが、二刀流の活躍への論評に「無常観」を織り交ぜるところが黒鉄節。「人間の体を考えると、どんなにケアして睡眠をとっても、投げて打つことは無理でしょう。エンゼルスでチームメートのマイク・トラウト選手の方が選手生命が長いのは明白です。だから、僕らは大谷桜を見ているようなものです。満開の今をみんなでめでている。考えてみたら、スタジアムの中心で咲いている大谷選手を見つめる観客も悲喜こもごもで、さまざまな人生が詰まっている」
黒鉄さんが、良寛らの歌人が好きだったと語っていたことを思い出した。良寛の句<散る桜 残る桜も 散る桜>には無常観がにじんでいる。
インタビューは死生観から文化論、ひいては野球談議に及んだ。黒鉄さんは取材を終えてテラス席から戻ると、ウイスキーを1杯注文した。「酒はやめたはずなんだけど、飲みたくなっちゃった」。そう言って、にやりとした。【野口麗子】
■人物略歴
黒鉄ヒロシ(くろがね・ひろし)さん
1945年、高知県生まれ。武蔵野美術大商業デザイン科中退。「新選組」で文芸春秋漫画賞、「赤兵衛」で小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞。テレビでは、辛口コメンテーターとしても活躍した。近著に「1702忠臣蔵」(幻冬舎コミックス)。
私は黒鉄ヒロシさんの漫画も好きで、テレビ出演したときにも好感を持っていたのだが、今、ウイキペデイアを眺めたら漫画もテレビも気に入ったものが思い出せない(汗)。だけど人生の先輩として、読書家として含蓄があることを話しておられるね。私は大谷翔平ファンだけど、「僕らは大谷桜を見ているようなものです。満開の今をみんなでめでている。」って面白い視点だと思う。江川に野茂に松坂大輔の三元投手だって確かに桜の満開時に騒いでいたのかも知れない。
そういう黒鉄さんもどんなことがあっても毎年巨人は優勝するとし、何があっても巨人が優勝すれば世の中は安泰だとこじつける「安心理論」を披露していた(wiki)そうだが(笑)、NHKでよくやっている「黒鉄ヒロシ100年インタビュー」みたいなテレビで大いに語ってもらいたいね。
毎日新聞 2023/5/12 東京夕刊 有料記事
注目の連載 野口麗子
東京・原宿の竹下通りはもはや、若者や外国人でごった返すかつての光景に戻っている。通り過ぎると、待ち合わせ場所の会館のラウンジはうそのような静けさに包まれていた。窓際の席に腰を落ち着けた漫画家の黒鉄ヒロシさん(77)は3年半に及ぶ新型コロナウイルス禍での生活で、本格的に外出したのは6回目だと明かす。
「元々、漫画家というのは自由業で、外にはあまり出ないんです。そもそも能動的な性格だったら、この職業をやっていないわけですよね。コロナが流行したからといって、生活が変わったということはない。漫画を描いて本を読み、心の外出として映画のDVDを見るぐらい。収集した昔の映画が山のようにあるので」。中でも、名優スティーブ・マックイーンが若きポーカー勝負師を演じた米映画「シンシナティ・キッド」(1965年)が記憶に残った。「マックイーンの主演作の中で、これは今になって名画じゃないかと思い始めた。面白いものは、自分で発見しないとだめだよね。僕らはその発見をプロに任せすぎた」と自嘲気味に語る。
多趣味でギャンブル通として知られたが、今も続けているのは競馬だけ。「カードもそうだけどマージャンもね、相手がある程度うまくないと勝負にならない。しかし僕としては、相手になる人たちが死んじゃったので」と寂しさをにじませる。「麻雀放浪記」をはじめギャンブル小説で知られる阿佐田哲也さんは卓を囲む仲だった。「阿佐田さんの作品は、ほぼ全作読みましたが、期待を裏切らない」と作家としても信頼を寄せた。
コロナ禍で気づいた重要なことは、ほかにもある。「僕、酒が好きだと思い込んでいただけで、好きじゃなかったね。あれだけ毎晩飲んでいたのに、最近はうちでほとんど飲まない。社交の方が好きだったということでしょう。外に出て意見の異なる人に会って、帰り道でそれは違うと舌を出しているのが楽しかったんだろうね。なぜアルコールが必要かというと、めいてい状態を楽しむため。でも実は、本や物作りを楽しんでいる時も、めいてい状態に近かった」
テラス席に出てたばこを吸い始めた黒鉄さんの手には、自作のライターが握られている。フランスの名女優がかたどられており、趣味人らしい物作りの一端をのぞかせる。「自慢じゃなくて、物作りはみんなができること」と強調し、深刻なコロナ禍も「自己点検ができたことだけはよかった」と総括する。一方でこの3年半を振り返ると、釈然としないことも多い。「医学とは何か、命とは何かをきちんと考える好機にしなければならなかったはずなのに。日本人は特に、価値観を見直すべき時だった」と問題視する。
8日には感染症法上、季節性インフルエンザなどと同じ「5類」となった。「この間、みんなどう対応していいか分からないから、上から下までおたおたしてしまった。為政者も国民をどちらへ連れていくべきか分からず、落としどころを探っている感じがする。自分の都合のいい結論にもっていく政治家はセンスが悪い」と断じる。
喜寿を迎えても、辛口評論家ぶりがさえる。
コロナ禍で、忠臣蔵を題材にした漫画「1702忠臣蔵」を完結させた。「小学生ぐらいから資料を集め、ずっとやりたかった。そろそろ、私ごときでよければまとめたい」と宿願をかなえた。全4巻で計1000ページを超えるが、「1日に30ページを描けるので、苦労はゼロ」。約2年で一気に描き上げた。「忠臣蔵を読解すれば、生き続けたいという未練と死を迎える覚悟が入っていることが分かる」。作品には「生と死」という永遠のテーマがあるという。
1702忠臣蔵 (1) 雪の本゜(試し読みあり)
「死」に興味を抱いたのは5歳の頃だった。当時、高齢者は自宅で亡くなることが多く「死がものすごく身近にあった」。それから、文学にのめり込むことで死生観が深まっていったという。
最初に心が満たされたのは、小学校に入って読んだ江戸川乱歩全集だった。「とにかく本ばかり読み始めて。早熟だったから、発見が多かった」。中でも、森鷗外の「高瀬舟」に衝撃を受けた。「(弟殺しの)罪に処された男が舟に乗せられる話ですが、世の中のゆがみを突き放すような独特の視座があった。かすみのかかった山奥で高笑いするみたいなものを感じたんですよ。流人の話の中に、へばりついているユーモアに気づいた。死というものは寂しさや未練が募り、どうしようもなく笑うしかない。笑いとは何かを突き詰めたら、諦観ですよ」
文学にへばりつくユーモア。「僕はどうしても、笑いがないとやっていけない人間なので」。漫画家になるつもりで美大をやめ、デビューした20代の頃に出会ったのが吉行淳之介ら文学者だった。彼らと交流し、話題に上った本はすかさず読んだ。梶井基次郎、坂口安吾、筒井康隆と、読書遍歴を重ねた。「子どもの頃から笑いを自らの中心軸に据えていた」という黒鉄さんも、筒井さんの作品には心を揺さぶられたという。
「ユーモアにも、桁というものがあるんですよ。世界的に見ると、イギリスの文化にはブラックに近い独特のユーモアがある」。その代表として名を挙げたのは、70年前後に旋風を巻き起こした英コメディー集団のモンティ・パイソンだった。「彼らのインタビューを見ていて確か、何をやっても死んじゃうんだから仕方がないよね、と言っていた。イギリス人の文化には死が張り付いていて、奥が深いと思いました。実は、日本もかつてはそうだったはずなんです。でも日本はそれを隠して、無意味な陽気さにすり替えてしまった。何十年も前だけど、星新一さんがもう書くのをやめると言ったことがあった。どうしてかと聞いたら、元の作品や主題を知らない人が増え、パロディーができなくなってきたんだって」。日本人の教養は劣化しているとみる黒鉄さんは、文化や風習の伝承がうまくいっていないと嘆いた。
プロ野球好きの黒鉄さん。筋金入りの巨人びいきは言うまでもないが、ここで触れたのは米大リーグの大谷翔平選手だった。だが、二刀流の活躍への論評に「無常観」を織り交ぜるところが黒鉄節。「人間の体を考えると、どんなにケアして睡眠をとっても、投げて打つことは無理でしょう。エンゼルスでチームメートのマイク・トラウト選手の方が選手生命が長いのは明白です。だから、僕らは大谷桜を見ているようなものです。満開の今をみんなでめでている。考えてみたら、スタジアムの中心で咲いている大谷選手を見つめる観客も悲喜こもごもで、さまざまな人生が詰まっている」
黒鉄さんが、良寛らの歌人が好きだったと語っていたことを思い出した。良寛の句<散る桜 残る桜も 散る桜>には無常観がにじんでいる。
インタビューは死生観から文化論、ひいては野球談議に及んだ。黒鉄さんは取材を終えてテラス席から戻ると、ウイスキーを1杯注文した。「酒はやめたはずなんだけど、飲みたくなっちゃった」。そう言って、にやりとした。【野口麗子】
■人物略歴
黒鉄ヒロシ(くろがね・ひろし)さん
1945年、高知県生まれ。武蔵野美術大商業デザイン科中退。「新選組」で文芸春秋漫画賞、「赤兵衛」で小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞。テレビでは、辛口コメンテーターとしても活躍した。近著に「1702忠臣蔵」(幻冬舎コミックス)。
私は黒鉄ヒロシさんの漫画も好きで、テレビ出演したときにも好感を持っていたのだが、今、ウイキペデイアを眺めたら漫画もテレビも気に入ったものが思い出せない(汗)。だけど人生の先輩として、読書家として含蓄があることを話しておられるね。私は大谷翔平ファンだけど、「僕らは大谷桜を見ているようなものです。満開の今をみんなでめでている。」って面白い視点だと思う。江川に野茂に松坂大輔の三元投手だって確かに桜の満開時に騒いでいたのかも知れない。
そういう黒鉄さんもどんなことがあっても毎年巨人は優勝するとし、何があっても巨人が優勝すれば世の中は安泰だとこじつける「安心理論」を披露していた(wiki)そうだが(笑)、NHKでよくやっている「黒鉄ヒロシ100年インタビュー」みたいなテレビで大いに語ってもらいたいね。