エベレスト山頂に立つ植村直己隊員(日本山岳会エベレスト登山隊)=1970年5月11日午前9時10分、松浦輝夫隊員撮影
毎日新聞 2023/5/11 東京夕刊 有料記事
1970年のきょう、冒険家の植村直己さんは世界最高峰のエベレストの頂上に立った。「先に行ってください」。残りわずかとなり、東南稜(りょう)ルートのリーダーである松浦輝夫さんに先頭を譲った。日本人初の快挙を前にしても、そんな気配りのできる人だった。
植村直己さんの母校、明治大で開かれた企画展=明治大学博物館で2023年5月6日午前10時3分、田原和宏撮影
植村さんの母校、明治大で開かれている企画展を訪れた。世界初の五大陸最高峰登頂(70年)、犬ぞりによる北極点の単独到達(78年)――。多くの冒険を成し遂げたが、84年に厳冬期の北米最高峰マッキンリー(現デナリ)に登頂後、翌日の無線交信を最後に消息を絶った。あれから40年近く。かつて在籍した山岳部にも植村さんを知らない部員がいるという。先輩の足跡を知ってもらおうと、7年ぶりの母校での展示となった。
植村直己さんの最初のパスポート=明治大学博物館で2023年5月6日、田原和宏撮影
登山や極地で使われた装備に交じり、学生服姿の写真が貼られたパスポートが目に留まった。植村さんは64年、大学卒業とともに移民船で海を渡った。所持金は110ドル。4年半近くに及ぶ放浪の旅の始まりだった。皿洗いやブドウ摘み、スキー場で働いて資金を稼いだ。植村さんは後年、こう振り返った。「一番冒険的な行為は何だったか。北極点でもエベレストでもなく、外国を知らず、言葉ができずとも鉄砲玉のように飛び出した、あの時ではなかったか」
1年半前に新装された植村冒険館(東京都板橋区)にも足を運んだ。植村さんは学びの人でもある。北極圏で冒険を始めるにあたり、先住民イヌイットの村で1年近く暮らした。人なつっこい笑顔で村人に溶け込んだ。生肉を食べ、犬ぞりを習った。学芸員の内藤智子さんは「体で経験しながら学んだ。失敗したからこそ身に付けたことも多かったはず」と話す。
対話型AI(人工知能)「チャットGPT」に質問すれば、瞬時に答えが分かるような時代。それでも、生きるすべは身をもって学ぶしかない。植村さんの歩みはそのことを教えてくれる。
著名人との対談をまとめた「植村直己、挑戦を語る」(文春新書)で、植村さんは冒険スキーヤーの三浦雄一郎さんに語っている。「冒険は、行動の大小じゃない(中略)生きている者はすべて冒険をやっている」。先の見えない時代と言われるが、人の本質は変わらない。一歩踏み出せば、新たな世界が待っている。(専門記者)
植村直己さんの足跡は、新聞やテレビでいつも観ていた。私より6歳上か、今驚いたのは数々の冒険をし終えて、マンキンリー(現:デナリ)で遭難したのが43歳の若さだったこと。結婚もされたが、『あの人は風でした:植村直己とその妻』というテレビドラマが特に印象に残っている。
上の記事の植村さんの「冒険は、行動の大小じゃない(中略)生きている者はすべて冒険をやっている」って言葉、素晴らしいと思う。
毎日新聞 2023/5/11 東京夕刊 有料記事
1970年のきょう、冒険家の植村直己さんは世界最高峰のエベレストの頂上に立った。「先に行ってください」。残りわずかとなり、東南稜(りょう)ルートのリーダーである松浦輝夫さんに先頭を譲った。日本人初の快挙を前にしても、そんな気配りのできる人だった。
植村直己さんの母校、明治大で開かれた企画展=明治大学博物館で2023年5月6日午前10時3分、田原和宏撮影
植村さんの母校、明治大で開かれている企画展を訪れた。世界初の五大陸最高峰登頂(70年)、犬ぞりによる北極点の単独到達(78年)――。多くの冒険を成し遂げたが、84年に厳冬期の北米最高峰マッキンリー(現デナリ)に登頂後、翌日の無線交信を最後に消息を絶った。あれから40年近く。かつて在籍した山岳部にも植村さんを知らない部員がいるという。先輩の足跡を知ってもらおうと、7年ぶりの母校での展示となった。
植村直己さんの最初のパスポート=明治大学博物館で2023年5月6日、田原和宏撮影
登山や極地で使われた装備に交じり、学生服姿の写真が貼られたパスポートが目に留まった。植村さんは64年、大学卒業とともに移民船で海を渡った。所持金は110ドル。4年半近くに及ぶ放浪の旅の始まりだった。皿洗いやブドウ摘み、スキー場で働いて資金を稼いだ。植村さんは後年、こう振り返った。「一番冒険的な行為は何だったか。北極点でもエベレストでもなく、外国を知らず、言葉ができずとも鉄砲玉のように飛び出した、あの時ではなかったか」
1年半前に新装された植村冒険館(東京都板橋区)にも足を運んだ。植村さんは学びの人でもある。北極圏で冒険を始めるにあたり、先住民イヌイットの村で1年近く暮らした。人なつっこい笑顔で村人に溶け込んだ。生肉を食べ、犬ぞりを習った。学芸員の内藤智子さんは「体で経験しながら学んだ。失敗したからこそ身に付けたことも多かったはず」と話す。
対話型AI(人工知能)「チャットGPT」に質問すれば、瞬時に答えが分かるような時代。それでも、生きるすべは身をもって学ぶしかない。植村さんの歩みはそのことを教えてくれる。
著名人との対談をまとめた「植村直己、挑戦を語る」(文春新書)で、植村さんは冒険スキーヤーの三浦雄一郎さんに語っている。「冒険は、行動の大小じゃない(中略)生きている者はすべて冒険をやっている」。先の見えない時代と言われるが、人の本質は変わらない。一歩踏み出せば、新たな世界が待っている。(専門記者)
植村直己さんの足跡は、新聞やテレビでいつも観ていた。私より6歳上か、今驚いたのは数々の冒険をし終えて、マンキンリー(現:デナリ)で遭難したのが43歳の若さだったこと。結婚もされたが、『あの人は風でした:植村直己とその妻』というテレビドラマが特に印象に残っている。
上の記事の植村さんの「冒険は、行動の大小じゃない(中略)生きている者はすべて冒険をやっている」って言葉、素晴らしいと思う。