私の幼少時代の思い出は、みな伊豆の小さい土蔵に関連を持っている――。
おぬい婆さんとの、土蔵での生活。著者自身の少年時代を描いた自伝小説。
洪作少年は、五歳の時から父や母のもとを離れ、曾祖父の妾であったおぬい婆さんとふたり、土蔵で暮していた。村人たちの白眼視に耐えるおぬい婆さんは、洪作だけには異常なまでの愛情を注いだ。
――野の草の匂いと陽光のみなぎる伊豆湯ヶ島の自然のなかで、幼い魂はいかに成長していったか。著者自身の幼少年時代を描き、なつかしい郷愁とおおらかなユーモアの横溢する名作。
本文より
おぬい婆さんは前屈みの姿勢で途中から足を交互に早く動かして、両手をやたらに振って、半ば駈けるようにして近寄って来た。
「何かな、坊(ぼう)! 」
おぬい婆さんは息を切らして言った。
「ばあちゃ、何でもない」
洪作が言うと、おぬい婆さんは用事があろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいといった表情で、
「婆ちゃが鼠に引かれるで、あすになったら、早く帰っておいで。一晩、泊ってやったら、それで充分じゃ。何もぐずぐずといつまでも門野原などに居てやる必要はない。……」(本書60ページ)
こちらで「試し読み」が出来ます「しろばんば」
著者の言葉
私は今でも、おかのお婆さん(本書『しろばんば』では「おぬい婆さん」)の墓石の前に立つと、祖母の墓に詣でている気持ではなく、遠い昔の愛人の墓の前に立っている気持である。ずいぶん愛されたが、幾らかはこちらも苦労した、そんな感慨である。
私は幼時を振り返ってみて、幼少時代を郷里の伊豆の山村で過したことをよかったと思う。温暖な伊豆のこととて、自然と闘ったり、自然の持つ荒々しいものに耐えて行くという生き方とは無縁であったが、自然の懐ろの中に全身で飛び込んで、優しく抱かれて生い育つことができたのは仕合せだったと思う。(「幼き日のこと」より)
井上靖(1907-1991)
旭川市生れ。京都大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社に入社。戦後になって多くの小説を手掛け、1949(昭和24)年「闘牛」で芥川賞を受賞。1951年に退社して以降は、次々と名作を産み出す。「天平の甍」での芸術選奨(1957年)、「おろしや国酔夢譚」での日本文学大賞(1969年)、「孔子」での野間文芸賞(1989年)など受賞作多数。1976年文化勲章を受章した。
2022年06月17日に映画『わが母の記』を観てブログ投稿して5ヶ月を経てやっとこさ、井上 靖 著「しろばんば」を読み終えた。なにせ文庫本もPCの画面も長く見ていると文字がぼやけてくるのでどうしようもない。眼科に検査をしてもらっても「異常なし」と言われるし・・・。
大正4,5年の話だが、洪作少年が暮らしていた伊豆の湯ヶ島って文明から離れた山奥なんだね。ある時おぬい婆さんと洪作が、豊橋に住んでいる両親の家に行くことになったが、まずは6人乗りの馬車に乗って、次は軽便鉄道とやらに乗り換え、沼津で駅前の旅館に泊まり翌日は、地響きをたててホームに乗り込んで来る怪物のような乗物(汽車)に乗り、富士山も見ながら静岡を過ぎて豊橋に着く。(私は地図を見ながら確認したが)随分な田舎暮らしから凄い旅をしたものだと私は感じたね。なんだか明治の岩倉使節団が欧米の世界に初めて接したような大旅行みたい。
井上靖 の小説と言ったら『敦煌』『楼蘭』みたいな作品しか知らなかったので、とても興味深かった。なんでも、川端康成『伊豆の踊子』、梶井基次郎『筧の話』、若山牧水『山桜の歌』もこの小説の舞台、湯ヶ島温泉なのだとか。
おぬい婆さんとの、土蔵での生活。著者自身の少年時代を描いた自伝小説。
洪作少年は、五歳の時から父や母のもとを離れ、曾祖父の妾であったおぬい婆さんとふたり、土蔵で暮していた。村人たちの白眼視に耐えるおぬい婆さんは、洪作だけには異常なまでの愛情を注いだ。
――野の草の匂いと陽光のみなぎる伊豆湯ヶ島の自然のなかで、幼い魂はいかに成長していったか。著者自身の幼少年時代を描き、なつかしい郷愁とおおらかなユーモアの横溢する名作。
本文より
おぬい婆さんは前屈みの姿勢で途中から足を交互に早く動かして、両手をやたらに振って、半ば駈けるようにして近寄って来た。
「何かな、坊(ぼう)! 」
おぬい婆さんは息を切らして言った。
「ばあちゃ、何でもない」
洪作が言うと、おぬい婆さんは用事があろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいといった表情で、
「婆ちゃが鼠に引かれるで、あすになったら、早く帰っておいで。一晩、泊ってやったら、それで充分じゃ。何もぐずぐずといつまでも門野原などに居てやる必要はない。……」(本書60ページ)
こちらで「試し読み」が出来ます「しろばんば」
著者の言葉
私は今でも、おかのお婆さん(本書『しろばんば』では「おぬい婆さん」)の墓石の前に立つと、祖母の墓に詣でている気持ではなく、遠い昔の愛人の墓の前に立っている気持である。ずいぶん愛されたが、幾らかはこちらも苦労した、そんな感慨である。
私は幼時を振り返ってみて、幼少時代を郷里の伊豆の山村で過したことをよかったと思う。温暖な伊豆のこととて、自然と闘ったり、自然の持つ荒々しいものに耐えて行くという生き方とは無縁であったが、自然の懐ろの中に全身で飛び込んで、優しく抱かれて生い育つことができたのは仕合せだったと思う。(「幼き日のこと」より)
井上靖(1907-1991)
旭川市生れ。京都大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社に入社。戦後になって多くの小説を手掛け、1949(昭和24)年「闘牛」で芥川賞を受賞。1951年に退社して以降は、次々と名作を産み出す。「天平の甍」での芸術選奨(1957年)、「おろしや国酔夢譚」での日本文学大賞(1969年)、「孔子」での野間文芸賞(1989年)など受賞作多数。1976年文化勲章を受章した。
2022年06月17日に映画『わが母の記』を観てブログ投稿して5ヶ月を経てやっとこさ、井上 靖 著「しろばんば」を読み終えた。なにせ文庫本もPCの画面も長く見ていると文字がぼやけてくるのでどうしようもない。眼科に検査をしてもらっても「異常なし」と言われるし・・・。
大正4,5年の話だが、洪作少年が暮らしていた伊豆の湯ヶ島って文明から離れた山奥なんだね。ある時おぬい婆さんと洪作が、豊橋に住んでいる両親の家に行くことになったが、まずは6人乗りの馬車に乗って、次は軽便鉄道とやらに乗り換え、沼津で駅前の旅館に泊まり翌日は、地響きをたててホームに乗り込んで来る怪物のような乗物(汽車)に乗り、富士山も見ながら静岡を過ぎて豊橋に着く。(私は地図を見ながら確認したが)随分な田舎暮らしから凄い旅をしたものだと私は感じたね。なんだか明治の岩倉使節団が欧米の世界に初めて接したような大旅行みたい。
井上靖 の小説と言ったら『敦煌』『楼蘭』みたいな作品しか知らなかったので、とても興味深かった。なんでも、川端康成『伊豆の踊子』、梶井基次郎『筧の話』、若山牧水『山桜の歌』もこの小説の舞台、湯ヶ島温泉なのだとか。