秦の兵馬俑(へいばよう)が自民党の議員団に見えてきた~写真はなぜ秦は、戦国七雄の頂点に立つことができたのか?からお借りした
毎日新聞 2022/7/12 東京朝刊
さまざまな勢力が連携したり、離れたりする「合従連衡(がっしょうれんこう)」という言葉は、中国の故事に由来する。史実に関しては諸説あるが、司馬遷(しばせん)の史記によると戦国時代、強国の秦(しん)に対し他国は連合する合従策で対抗した。だが、秦が個別に連携を促す連衡策を仕掛けたため、分断されてしまう
▲参院選で岸田文雄首相が率いる自民党が改選過半数の議席を得て大勝した。安倍晋三元首相が銃撃で死去する衝撃のさなかの投票だけに、その影響を指摘する声もある。とはいえ、もともと情勢調査では自民の堅調が伝えられていた
▲国会で安全運転に努め、守りに徹して民意の及第点を得た首相である。ただし、一方で与党は巧みに野党に「連衡」の揺さぶりをかけていた。国民民主党を予算案賛成に引き込むなど野党を分断した。焦点の1人区で野党の選挙協力という「合従」を不発に終わらせた与党の戦術勝ちでもあった
▲岸田内閣の政権運営は当面安泰とみて「黄金の3年」という表現すらある。だが、首相がどんな公約を具体的に掲げたかとなると、はっきりしない
▲改憲勢力は伸びたが選挙で項目を絞り込んだわけでもない。有権者の野党への不満が反射的に安定志向を生み、自民の追い風を呼んだというのが実態ではないか
▲それだけに深刻なのは野党の多弱化である。ひとまず合従連衡の駆け引きから離れて、理念、政策、組織を足元から見つめ直してはどうか。さもないと、その後他国を滅ぼした秦のような「超1強」支配の国会になってしまう。
岸田総理は自民党宏池会(自由民主党内で最古の派閥で保守リベラル派、安全保障では日米関係を重視しながら、ハト派的傾向が見られる)の会長だから、いきなり「改憲」採決などしないだろうと信じたい。宏池会は佐藤栄作と袂を分かって旗揚げしたのが始まりで、池田(池田勇人)派→前尾派→大平派→鈴木派→宮澤派→加藤派→堀内派→古賀派→岸田派と変遷したと聞く。
中国の初代皇帝・始皇帝の在位はたった11年(紀元前221年 - 紀元前210年)で秦朝はわずか9年で中国を統一(紀元前905年)し、万里の長城まで完成したそうだが紀元前206年には滅亡した。
毎日新聞 2022/7/12 東京朝刊
さまざまな勢力が連携したり、離れたりする「合従連衡(がっしょうれんこう)」という言葉は、中国の故事に由来する。史実に関しては諸説あるが、司馬遷(しばせん)の史記によると戦国時代、強国の秦(しん)に対し他国は連合する合従策で対抗した。だが、秦が個別に連携を促す連衡策を仕掛けたため、分断されてしまう
▲参院選で岸田文雄首相が率いる自民党が改選過半数の議席を得て大勝した。安倍晋三元首相が銃撃で死去する衝撃のさなかの投票だけに、その影響を指摘する声もある。とはいえ、もともと情勢調査では自民の堅調が伝えられていた
▲国会で安全運転に努め、守りに徹して民意の及第点を得た首相である。ただし、一方で与党は巧みに野党に「連衡」の揺さぶりをかけていた。国民民主党を予算案賛成に引き込むなど野党を分断した。焦点の1人区で野党の選挙協力という「合従」を不発に終わらせた与党の戦術勝ちでもあった
▲岸田内閣の政権運営は当面安泰とみて「黄金の3年」という表現すらある。だが、首相がどんな公約を具体的に掲げたかとなると、はっきりしない
▲改憲勢力は伸びたが選挙で項目を絞り込んだわけでもない。有権者の野党への不満が反射的に安定志向を生み、自民の追い風を呼んだというのが実態ではないか
▲それだけに深刻なのは野党の多弱化である。ひとまず合従連衡の駆け引きから離れて、理念、政策、組織を足元から見つめ直してはどうか。さもないと、その後他国を滅ぼした秦のような「超1強」支配の国会になってしまう。
岸田総理は自民党宏池会(自由民主党内で最古の派閥で保守リベラル派、安全保障では日米関係を重視しながら、ハト派的傾向が見られる)の会長だから、いきなり「改憲」採決などしないだろうと信じたい。宏池会は佐藤栄作と袂を分かって旗揚げしたのが始まりで、池田(池田勇人)派→前尾派→大平派→鈴木派→宮澤派→加藤派→堀内派→古賀派→岸田派と変遷したと聞く。
中国の初代皇帝・始皇帝の在位はたった11年(紀元前221年 - 紀元前210年)で秦朝はわずか9年で中国を統一(紀元前905年)し、万里の長城まで完成したそうだが紀元前206年には滅亡した。