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世代の昭和史 / プーチンが反復するスターリンの「賭け」 大反響!特別寄稿・保阪正康 / 毎日新聞

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ロシアのプーチン大統領=2022年3月16日、露大統領府提供・AP

毎日新聞(サンデー毎日)2022/3/18 05:00 有料記事

 現代史研究の第一人者が、旧ソ連・元KGBというプーチンのDNAからウクライナ侵略戦争を歴史から解読する大反響シリーズ第2回。今回は、メルケル前独首相が見たプーチン像を紹介しつつ、プーチンがスターリンのを繰り返そうとする歴史の愚かしさを考察する。

 プーチン大統領によるウクライナ侵攻の背景について、前回では三つの特徴があると書いた。第一は、KGB出身者が持つ強烈な国家意識である。これについては私は、1990年前後の旧ソ連解体時にKGB退職者たち10人余に話を聞いて強い印象を受けた。それがこの3点の最初に挙げる理由なのだが、プーチンの言動にはこの意識が溢(あふ)れているように思えるのである。第二はソ連邦に対する絶対的な自信、そして20世紀のソ連帝国へのノスタルジーである。

 第三が、ソ連邦を倒すに至った大衆デモのような民主主義的動きに対する激しい嫌悪感である。特にこのデモに対しては、権力が倒れる構図を何度も見ているだけに、嫌悪以上の憎悪ともいうべき感情を持っているのではないか。現在もロシア国内では、プーチンの戦争に反対するデモが起こっているようだが、それを片っ端から検挙するといった暴挙に出ている。まだ5、6歳の幼児が護送車に乗せられて泣いている姿がテレビで放映されていたが、まさに見るに堪えない光景が日常の中に見え隠れしているということになるであろうか。

 こうした三つの点を支えるプーチンの心理の底にあるのは何か。

 近刊の書なのだが、元ABCニュースの記者だったカティ・マートンの書いた『メルケル 世界一の宰相』は、メルケルがプーチンの性格、手法、さらにその思想まで十分に見抜いていることが事細かに書かれている。マートンは、メルケルが東ドイツで育ったが故に、そして科学者として対象を突き放して見る分析力に信頼を置いて筆を進めている。その筆によると西側陣営で最もプーチンを見抜いていたのはメルケルであり、逆に正直にプーチンに意見を述べることもあり、プーチンもメルケルには一目置いているともいうのである(今回のプーチンのウクライナ侵攻がメルケル退任後であるのも理由になっているのだろうか)。

 この書の中でメルケルの目を通して描かれるプーチンは次のような像である。

 「メルケルがプーチンに対して抜かりなく対策を講じられるのは、言うまでもなく、長年、ソ連に支配された場所で生きていたからだ。プーチンが仕えていた警察国家に苦しめられた経験を持つメルケルは、プーチンの狡猾さや冷淡さを身をもって理解していた」「ふたりのリーダーの会合に何度も同席しているメルケル内閣の長老トーマス・デメジエールによると、『プーチンが心から敬意を表す国家元首はメルケルだけだ。メルケルにはいつもの手がまるで通用しないのを、プーチンは知っている』とのことだ。〝いつもの手〟とは、常習的な噓と、鈍い相手を混乱させるプーチン特有の妄想を指している」

 さらにマートンが書いているのだが、プーチンにとって強大なソ連帝国がわずかなデモを発端に崩壊したことは信じられないようだ、とも言うのだ。それはデモに対する恐怖となっている、とも分析している。こういう記述の中にプーチンの情報機関育ち特有の性格が見え隠れしている。一つの情報を大きく語ったり、矮小(わいしょう)化したりというのは見事なほど狡猾(こうかつ)だというのであろう。

メルケルが捉えていたプーチンの本質

 プーチンの発想、言葉、さらには身のこなしなどは大体が情報機関出身者に特有な所作であったのだ。無論これは大衆操縦の初歩的な手段である。そしてその背景に暴力的な恐怖感が浮かんでくるとすれば、プーチンは民主主義的指導者よりも独裁者としての資質が見えてくるということになるのであろう。メルケルは、プーチンが理想としている政治指導者は決してゴルバチョフではなく、スターリンだとも見抜いていたというのである。

 もとよりこの書の全てに共鳴、共感するわけではないのだが、少なくともメルケルはプーチンが20世紀の大国主義的意識を範としつつ、21世紀に20世紀のソ連邦を再興させようとしている野望を見抜いていたと断じていいのではないかと思えるのである。

 プーチンとメルケルは同世代である。プーチンは1952年生まれで、メルケルは2歳下になる1954年の生まれである。2人はベルリンの壁が壊れて、東西冷戦がひとまず終わったときにはまだ30代後半に入っていた頃である。人生の半分に差し掛かりつつある時だったとも言えようか。もう一度触れるが、私がモスクワでKGB退職者の会員たちに話を聞いたときには、現役の工作員たちからは聞くことができなかった。退職者たちの年金が払えない財政状態に現役世代を巻き込みたくないとの配慮があったのだろう。

 それを前提に話すことになるのだが、彼らは皆強い口調で怒りの言葉を繰り返した。それは「我々の東西冷戦下の働きについてどう思っているのか」というのであった。情報工作員は冷戦下で西側陣営との間で激しい活動を続けてきたわけだが、それに対して国家はあまりにも冷たいというわけである。それは結果的にソ連邦への回帰現象と一体化していたのである。

 彼らは長年の情報工作員としての仕事で、アルコール依存症になるなどの病を持つのだが、しかし国家意識の強さは他の誰よりも徹底している。自分たちが祖国を守り抜いたという自負は誰にも負けないほどの高揚感を持つ。それが生きることのエネルギーに転じていくのであろう。いずれも自らの人生を国家に捧(ささ)げたことに悔いはないとの言を口にしていた。私は、彼らと対話しているときに、まさに彼らが「ソ連」という国家なのだと受け止めたほどだった。

 もともと彼らは自ら希望してKGBの職員になったのではない。全て国家に呼びだされてこの職に就くように命じられるのだと話していた。ということは国家は国の全ての教育機関に在籍する生徒、学生の成績、性格から人間的な傾向まであらゆることを摑(つか)んでいるということになるのだろう。

 ある工作員は、イギリスやフランスに留学中にスカウトされたと言っていた。こういう国家的な仕事に携わるのは名誉だと思ったとも話していた。そしてこういう情報工作に携わっているうちに、国家主義的な考えになり、さらに国家への抜きんでた忠誠心を持つようになり、民主主義的発想、手法に不快感を持つようになっていくのであろう。そして常に情報と向き合い、分析し、ときに発信するが故に妄想じみた考え方に傾くということになるのであろう。すでに紹介したマートンの『メルケル』に記されているプーチンの性格は、私の見たKGBの老工作員たちとほとんど共通した性格を持っていることに気付かされるのであった。

工作員は指導者になってはいけない

 プーチンがKGB出身であることは、まさに情報に生きた工作員としての資質や性格、さらには言動が骨格にまでどっぷりとつかっているということになるのではないかと思える。今回のウクライナへの「侵略」の動機、その説明、そして全ての事実を隠蔽(いんぺい)しようとする姿勢は、繰り返すことになるのだが、情報工作員は最高指導者になってはいけないとの不文律を裏付けることになるのではないか。特に妄想じみた分析を行う段階に至った場合には危険極まりないとの考えを、今後も残しておくべきだと思うのである。妄想は全て現実から目を塞ぐことになるからだ。

 プーチンが、ゴルバチョフではなくスターリンに自らの指導者像を被(かぶ)せているのは、結果的になのだが、重要な意味を持っている。単にソ連邦への回帰現象といったレベルではなく、あるいはソ連の社会主義体制への復帰ではなく、もっと本質的な意味合いが潜んでいる。この点に私たちは注意を払うべきだと思う。それは何か。プーチンが世界のメディアが見ている前で平気でミサイルを打ち込むその心理は何か、という点である。私はこの点について、あえて二つの視点を提示しておきたい。

 いずれも私の見方となるのだが、大所では間違いではないと考えているのである。

1 20世紀最後の10年に崩壊したソ連帝国の再興。

2 第二次世界大戦の歴史的総括へのソ連の役割の再確認。

 この2点がウクライナ攻撃を支えるプーチン哲学の骨格である。その点を見誤らないようにしなければ、今回の侵略は最終的には説明がつかない。しかもこれらは、これまで説いてきたように情報工作員の心理から出発しているが故に根は深いというべきなのである。

 特にここでは2について、説明をしておかなければならない。これが伏線になっているからであり、ここにこそより本質が含まれているからだ。

 プーチンの心底には西側陣営に対する不信、不安などがあるのだろうが、それは恐怖心と裏返しになっているというのが事実であるように思えるのだ。例えばウクライナに侵攻した理由も、NATOが自国の近くまで進出することへの危機意識の故であることは何度も指摘している。この考えの背景には、西ヨーロッパが必ず軍事的に自分たちを攻めてくる、という恐れが確信になっていることがわかる。かつてのKGBの一員として、東ドイツのドレスデンで勤務していた時の感情やそのソ連が崩壊する有り様を見て、そこに西側陣営の巧妙な情報攪乱(かくらん)工作があったと見ているからであろう。

 2015年は第二次世界大戦の終結から70年である。ヨーロッパ各国ではヒトラー=ドイツを打倒した記念の大きな行事が開かれた。ところがこうしたシンポジウムや各国の歴史学者の間から、「第二次世界大戦はヒトラーとスターリンの野合から始まった」との声が上がった。

 言うまでもなく第二次世界大戦は、1939年9月1日にドイツが一方的にポーランドに進駐して始まったとされている。この開戦のほぼ1週間前の8月23日に独ソ不可侵条約が締結されている。ヒトラーはそれをいいことにポーランドに進駐して、イギリス、フランスと開戦という状態になった。しかしドイツ軍はポーランドのある地点までしか進軍していない。

歴史は愚かな形で繰り返す

 その後、ソ連はその地点まで進駐している(10月)。こうした不可解な史実をもとに独ソ不可侵条約にはウラ議定書、あるいは公開されていない条項があるのではないかと言われてきた。実際にあったのだが、それはヒトラーとスターリンがポーランドの分割を秘密裏に決めていたのである。従って第二次世界大戦は、ドイツとソ連の野合によって始まったと説く歴史学者が増えていった。これに対してプーチンは激高し、ナチス・ドイツと戦い、多くの犠牲者を出してファシズムを打倒したのはソ連の功績だと繰り返し語ったことがあった。

 ドイツとソ連が野合という形で第二次世界大戦を始めたのは事実だと私は思うのだが、この説は第二次世界大戦の途次に独ソ不可侵条約を破ってドイツがソ連に進出して、独ソ戦が始まるやいつのまにか勢いを失っていった。たしかにソ連は独ソ戦で多くの犠牲を出しながら、スターリングラードの防衛戦などを戦っている。ソ連はアメリカ、イギリスなどの連合国に組み込まれ、スターリンはルーズベルトやチャーチルとともに連合国の有力な指導者になっていった。

 このような事実を見ていくと、結果的にはソ連は連合国の勝利を祝う立場にいることは当たっている。

 しかし開戦の経緯を見ていくと、初めから連合国の有力な一員だったわけではない。ヨーロッパの歴史学者やジャーナリストはそのことを指摘して、ソ連の態度に不快の念を表すのであった。このことはこれからも改めて事あるごとに論じられることになっていくであろう。

 プーチンが激高しようがしまいが、第二次世界大戦はスターリンの野望も一因だと考えると、20世紀前半の二つの戦争の意味が変わってくる。この連載でも何度か繰り返したが、第一次世界大戦と第二次世界大戦は連結しているとの見方をとれば、スターリンはこの第二次世界大戦に大きな賭けをしていたこともわかってくる。プーチンがスターリンを自らの目指す指導者像として仰ぐのは、この賭けが今回のウクライナ侵攻と通じていることを、私たちは確認しておくことが必要になるのである。

 歴史は愚かな形で繰り返すのである。(以下次号)

 私にこの論文の内容を論じる力はないが、加藤陽子東大教授も現代史研究の第一人者と公言している作家で評論家の保阪正康さんは、関口宏のもう一度近現代史で毎週歴史解説をされているので、私にはとても親しみがあるし、信頼している。このコラムは米国のバイデンさんや、英国のジョンソンさん、フランスのマクロンさんにも読んでもらいたい気になっったね!そうそう又大統領に復帰するかも知れないトランプさんかその側近にも。

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