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岸部一徳さんに聞く 音楽人だった自分と「俳優の職業」 / 週刊エコノミスト Onlineから毎日新聞 

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俳優の岸部一徳さん=蘆田豪撮影

週刊エコノミスト Onlineから
岸部一徳さんに聞く 音楽人だった自分と「俳優の職業」

毎日新聞 2021年10月2日
スクリーンの中で抜群の存在感を放つ俳優の岸部一徳さん。それでも「僕自身は特に、個性があるなんて思ったことがない」という。そんな岸部さんが考える「本来の自分」とは──。

(聞き手=りんたいこ・ライター)

── 9月23日公開の映画「総理の夫」では政界のドン、原久郎を演じています。出演の決め手は?

岸部 政界物は嫌いじゃないのと、脚本自体も軽めで楽しく見られる一方で、政界の縮図みたいなものがちゃんと描かれていた。それから、(映画などでは)いつも当たり前に総理大臣の奥さん役はいるけれど、女性が総理大臣になるストーリーは初めてで、その夫がどういうふうに描かれるのかな、と。意外と面白く書かれていましたね。

── たまたまですが、映画公開のタイミングが、総選挙の実施時期と近くなりそうですね。

岸部 (総理の夫役の)田中圭さんは若い人に人気があるので、この映画を通して若い人にも現実の政治の世界に興味を持ってもらえればと思っています。僕(が演じる役)自体がすごくいい人じゃないのも面白いかなと。この立場の人は現実の政治の世界では普通にいるわけで、時代劇の悪役でもないので特に役作りはしませんでしたよ。

── 映画では、中谷美紀さん演じる少数野党・直進党党首の相馬凛子が、日本初の女性総理大臣となります。岸部さんは、女性の総理大臣をどう思いますか。

岸部 外国では女性の総理大臣はいますが、日本は意外と古くて、まだ男中心の社会。政治の世界で女性が総理大臣になるのは難しい問題がいっぱいあるのでしょうが、日本も早くそうなればいいと思いますよ。

「ハラグロ」の存在感

映画「総理の夫」より
<作家の原田マハさんによる同名小説を映画化した映画「総理の夫」。田中さん扮(ふん)する鳥類学者、相馬日和(ひより)の妻、凛子が総理大臣になり、“総理の夫”となって平穏だった生活がかき乱される様子がユーモラスにつづられていく。岸部さんは腹に一物ある民心党の党首、原久郎を演じ、主人公の日和が「原久郎だけにハラグロ」と言う通り、怪しげな存在感を放っている。>

── 普段、役作りはどのように?

岸部 役作りという言葉を、どういう芝居をしようとか、こういう役だからどう作っていこうという意味で捉えるなら、僕はあまりそういうことはしません。今回のような政治の話だったら、テレビのニュースに登場する政治家の人たちの関係性を考えてみるとか、金融の話だったら金融のことを事前に勉強する。それが役作りなのかもしれません。

── 演じる役の性格を考えるより、外を固めると?

岸部 それもありますが、例えば、「ドクターⅩ 外科医・大門未知子」(2012年から続く米倉涼子さん主演のテレビ朝日系ドラマ。岸部さんは大門が「師匠」と慕う元医師・神原晶役で出演)だと、ここでスキップしてくださいと言われたら、それは、米倉さんがやっている役と僕がやっている役の関係性から、演出家や脚本家の人が、(ドラマを)面白くしようと考えたもので、僕自身はスキップにどんな意味があるのだろうとは考えないです。自分流のスキップを楽しくやるまでですね。

── 岸部さんほどの俳優でも、できない表現はありますか。

岸部 昔はよくありました。ここで驚いてくれとか、もっと楽しい顔をしてくれとか……。でも、できないものはできない。今は、「分かりました」と言って僕が僕流に驚いたら、周囲が受け入れてくれるようになりました(笑)。

「死の棘」で手応え

<1967年にデビューしたグループサウンズ「ザ・タイガース」のベーシストとして活躍した岸部さん。ボーカルの沢田研二さんや弟でギタリストの岸部シローさんらをメンバーに人気を集めた。71年に解散後も「PYG」「井上堯之バンド」で音楽活動を続けたが、やがて才能に限界を感じ、音楽の世界から離れる決意をする。その時、俳優の仕事を勧めたのが、「寺内貫太郎一家」など70年代の人気ドラマを手掛けた演出家の久世光彦さんだった。久世さんの紹介で樹木希林さんの事務所に入り、名前も当時の「岸部修三(おさみ)」から、樹木さんが命名した「一徳」に変えて俳優人生をスタートさせた。しかし、新たな人生の手応えを得るには時間がかかった。>

── 俳優として駆け出しのころは?

岸部 俳優をやり始めたけれど仕事はあまりない。生活は本当に貧乏のどん底みたいなものですよ。でもそんなに苦にはならなかった。ザ・タイガースからいきなり俳優に、というのではなく、徐々に社会に慣れていっていたので、何とか生活しながら続けていました。

── 作家・島尾敏雄さんの私小説を映画化した「死の棘」(90年)に出演し、翌年の日本アカデミー賞では最優秀主演男優賞を獲得しました。俳優として手応えをつかんだ作品はやはり「死の棘」ですか。

岸部 そうですね。しんどい作品でしたが、小栗康平監督と半年ほど一緒にやり、俳優ってこういうふうなことかなと理解して、これから(俳優として)やっていこうと思ったのはそこからですね。

やっぱり「音楽人間」
日本武道館での「ザ・タイガース同窓会コンサート」でベースを弾く岸部さん=1982年・3月
── 「こういうふうなこと」とは?

岸部 個性を自分で付けないということです。そのころ、自分が芸能界でどうやって生き残っていくかと考えていて、俳優の個性とは、色が何もないところに一つ一つ経験を積んで自分で色を付けていくものだと思われていますが、僕はその個性を付けない場所にいて、監督が作品ごとに個性を付ける方がいいのかなと考えました。長いこと俳優をやっていると、「渋いですね」とか「存在感がありますね」とか言われるようになるのですが、僕自身は特に、個性があるなんて思ったことがないのです。

 それと、俳優というのは芝居やせりふを通して表現していくものですが、小栗さんは見せる表現と見せない表現があるとすると、見せない表現のほうが深く届くという考えの人だった。例えば、「愛しています」という言葉があるとすると、その言葉を使わないで相手のことを思ってそこにいてくれと。要するに「何も出すな」というわけです。最初はその意味が全然分からなかった。でも、やり終わって映像を見て、ああこういうことだったんだと分かっていったんです。

── 俳優の仕事をするうえで心掛けていることはありますか。

岸部 一生懸命やるということです。脚本をちゃんと読むとか、監督の考えを理解するとか、相手の芝居とのバランスとかいろんなことはありますが、とにかく一生懸命やらないといけません。

 ちょっと立派なことを言うと、俳優という仕事を通して、質のいい人間になりたいと思っています。でも、それを目指すと何かしら矛盾が生まれるんです。名バイプレーヤーとか名優と人に言われたり、映画で賞をもらったりすると、自分でもうっかりそういう俳優だと思い始めます。けれど、そう思い始めたことに自分で気付き、本来の僕というものを残し続けることが、質のいい人間につながっていく気がします。

── 「本来の僕」とは?

岸部 今は、気付いたら音楽なんか比じゃないくらい長く俳優をやっていますが、たまに沢田研二さんや昔のメンバーに会うと、やっぱり自分は音楽人間だったな、これが本来の自分だな、と思うんです。この仕事は好きでやっていて、この先(俳優を)どれぐらい続けられるか分からないですが、人からどう評価されたかで終わるのは嫌だと思いますよ。

── つらかった時もあったかと思いますが、どのように乗り越えてきたのでしょう。

岸部 僕は小さい時から意外と楽観的なので、究極のつらい経験がないんです。戦後の、貧乏なんてなんてことないという中を生きてきたのでね。たまたま運よくこういう世界につながりましたが、そうじゃなければどんな人生だったかと思います。

僕の父は子どもに対して、こうしろああしろ、これは気をつけろとか何も言わなかった。勉強しろもね。ただ、新聞と本は読めと言われて、新聞だけはいつも読んでいたんです。新聞を通して世の中を見てきた人間からすると、今の時代は広く世の中を見ることが難しくなっているのかもしれませんね。

「最後が楽しみ」

── 新聞やテレビを見る若い人はどんどん減っていますね。

岸部 そうですね。だから、小さな世界の中しか見えていないように思えるんですが、僕はやっぱり、世の中を広く見るくせみたいなものはどこかにあると思っています。人生にはいろんな局面があり、ばくちという言い方はおかしいですが、結局、賭け事みたいにどちらかを自分で決めないといけない。右と決めたら左は経験できないのでね。僕は一か八かといったらおかしいけれど、究極の選択は全部自分でしてきました。

 でも、意外に今の若い人たちは、全体を見て大半の人が選ぶ方を選択するんです。100人のうち90人が右だったら、自分は左に行くという人は少ないんじゃないでしょうか。僕らのような団塊世代には、そういう強さがあるような気がします。終戦後の貧乏世代ですね。それを考えると、なかなか面白い人生だったと楽観的に思っています。

── 66歳だった13年、ザ・タイガースの再結成コンサートを東京・日本武道館を皮切りに全国7都市で開催しました。またやる予定は?

岸部 70代半ばになるとなかなか難しいです。(メンバーの)沢田さんも、森本(太郎さん)も、瞳(みのるさん)も、加橋(かつみさん)も、それぞれみんな今も音楽をやっていますが、全員が集まってやる機会があるかは分からない。ただ、小さいところで、楽しい感じでならできるかなとは思いますけどね。

── 今後の抱負は。

岸部 特にないんです。僕も俳優を長くやってきて、今どのあたりのポジションにいるか分かりませんが、健康であったとしても、年齢とともに出番がなくなっていく方へ向かっているわけです。そういう中で、引き際を考えることがあります。例えば今年7月、ずっと休場していた横綱・白鵬が大相撲名古屋場所で全勝優勝したように、あんな状態で引退するのが僕の理想ですね。

 自分の(俳優人生の)最後はどんなふうになるのか、ある意味楽しみです。もうちょっとじたばたするのか、自分はここにいます、と手を挙げたくなるのか分からないですけどね。でもまあ、あと20年も30年もできないですから、好きな監督や好きな俳優さんと、いい企画、いい脚本の作品を一緒に作るというのが、唯一の楽しみになっていくんじゃないでしょうか。

●プロフィール●

岸部一徳(きしべ・いっとく)

 本名・岸部修三(しゅうぞう)。1947年1月生まれ、京都府出身。67年、グループサウンズのバンド「ザ・タイガース」のベーシストとしてデビュー。71年の解散後も「PYG」「井上堯之バンド」で音楽活動を続ける。75年、ドラマ「悪魔のようなあいつ」への出演を機に俳優に転身。映画「死の棘」(90年)で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。今年10月放送開始のドラマ「ドクターⅩ 外科医・大門未知子」第7シリーズでは、大門が「師匠」と慕う元医師・神原晶を演じる。
 
 私は遅生まれだから、学年は私の1年上なんだ!頑張ってはりますね。人の半生は面白い。中学の同窓生が東京の大学に行って福岡に帰り「ザ・タイガースってバンド知ってるか?下宿の近くの一軒家に住んでいて道を歩いているとエレキ音は聞こえてくるし、最寄りの電車の駅ではファンがキャキャー言ってる」と聞いてしばらくするとテレビから「シーサイド・バウンド」って聞こえてきたので笑ってしまった。これを畳の上の一軒家で練習しているのかと?

 岸部一徳さんは、「抑えられなかった感情」 映画「象の背中」という撮影裏話も読んで、映画館で「やるね~」とその演技に感心したものだが、1年前だったか、テレビ「ドクターⅩ」の再放送を楽しんだが、面白い役もやるものだと観ていた。でも私には音楽と俳優の関係は胸の内でどうなっているんだろうとよく思っていた。

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