岡本行夫さん=2007年11月28日、東京都港区
元外交官でこの方のテレビでの解説はとても分かり易く好きだった。ファンだったのかも知れない。74歳という若さで、しかも新コロナウイルスに感染されての結果だとは残念でならない。
心からご冥福をお祈り申しあげます。
岡本行夫さんが遺した言葉 ~ 論座・朝日新聞デジタル 2020年05月08日
日本の安全保障を巡る議論は、日本の成長を妨げてきた事なかれ主義の象徴だ
牧野愛博 朝日新聞編集委員(朝鮮半島・日米関係担当)
外交評論家の岡本行夫さんが4月24日、亡くなった。
5月7日夜、報道各社が一斉に流した速報を半ば信じたくない思いで聞いていたが、8日朝、岡本さんが代表取締役を務めていた岡本アソシエイツから改めて訃報を伝えるメールが届き、愕然とした。
岡本さんと初めて出会ったのは、1996年11月に橋本龍太郎内閣で首相補佐官に就任されたころだった。当時、外務省担当だった私は、岡本さんのタブーにとらわれない外交論に魅了された。岡本さんの考え方には、保守が唱える「日米同盟死守」も、革新が訴える「憲法9条死守」もなかった。常に自分で学び、自分で考えていた。
橋本内閣では沖縄問題に、再び首相補佐官となった小泉純一郎内閣ではイラクの問題にそれぞれ取り組んでいた。岡本さんも1991年までは外交官であり、公僕であった。ただ、当時から異色の外交官と言われていた。
外務省の後輩の1人から岡本さんらしい逸話を聞いたことがある。北米一課長時代、岡本さんはいつも外出していた。記者はもちろん、外務省の同僚たちも岡本さんを探し回っていた。外部で政治家や外交官、様々な人と会っていたらしい。岡本さんは課長席に背広をいつもかけておき、「在庁中」というアリバイを作っていたという。
「米国ばかりみていると、足元がおろそかになる」
米国と韓国での4年半の勤務を終えて昨春に帰国した私は、昨年6月12日、岡本さんと久しぶりに面会した。帰国報告のつもりだったが、いつものように、独自の視点と豊富な経験に裏打ちされた岡本さんの話に圧倒された。話題は安全保障が中心だった。
最初の話題は、近年、「米政府の言いなりで、米国兵器を爆買いしている」という批判があるFMS(米国による対外有償軍事援助)だった。FMSは近年、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」などの調達で増加傾向にある。2019年度予算ではFMSは7千億円余りになり、防衛費全体の1割以上を占めた。
岡本さんは「米国のことばかりみていると、足元がおろそかになる」と嘆いた。「米国にばかり武器を発注するから、国内産業に受注が回らない。このままでは先細りだ」と語った。最近も、防衛産業から撤退した企業が出たため、航空機の操縦席を覆うキャノピーや車輪などの製造が国産でできなくなりそうだとも語った。
岡本さんが言いたかったのは、「米国にばかり追従するな」という論理だけではなかった。「武器輸出三原則の緩和は、死の商人を作る」という主張とどうやって折り合いをつけるかということだった。米国に頼らない防衛産業の育成を目指すなら、自衛隊だけではなく広く海外にマーケットを広げてやる必要が出てくるからだ。
岡本行夫さん=2016年3月30日、東京都港区
岡本さんの話を聞きながら、私はかつて自衛隊の知人の言葉を思い出した。知人は名古屋で戦車を製造している企業を視察した当時の思い出を語ってくれた。大きな工場内に、ポツンポツンと陸上自衛隊に納入する戦車が置かれていた。陸自だけを相手に商売をしているから、大量生産の必要がないわけだ。視察に同行した企業の担当者は「カネさえ出してくれたら、どこにも負けない良い戦車をつくってやるのに」と残念そうに語ったという。
「北朝鮮は絶対に核を放棄しない」
岡本さんとの会話は次に、米朝協議に移った。岡本さんは、2回の米朝首脳会談を取材した私の話を聞いた後、こう語った。「北朝鮮は絶対に核を放棄しない。北朝鮮の経済力はアフリカのガボンなみだ。そんな国を米国が相手にするのは核があるからだ」
岡本さんは2018年6月の米朝首脳共同声明について「外交文書として稚拙な表現があった。おそらく、米国の事務方が作ったものではないだろう」と指摘した。米朝が「北朝鮮の非核化」とせず、「朝鮮半島の非核化」で合意したことで、北朝鮮は、米国が非核化しない限り、核を放棄しないと言い張る「核軍縮交渉」に出るだろうと予言した。
そのうえで、岡本さんは日本政府の対応を論じた。米国の抑止力があるから、北朝鮮が日本を攻撃する可能性はほとんど無いだろう。でも、安全保障には万全を期すべきだ」
そして、岡本さんが北朝鮮に対する抑止力として主張したのが、「敵基地攻撃能力」だった。岡本さんは「イージス・アショアは、北朝鮮が飽和攻撃(迎撃能力を超える大量同時攻撃)をしかけてきたら、手に負えなくなる。実質的な抑止を考えるなら、敵基地攻撃能力だ」と語った。
「最近は皆さんお忙しいみたいだねえ。僕ももう70代だから」
実は、日本政府は敵基地攻撃能力についての準備を進めている。2017年末、米国が開発した戦闘機に搭載できる長距離巡航ミサイル「JASSM(ジャズム)―ER」(射程900キロメートル超)導入の方針を決めた。
当時、日本の安全保障関係者の間では「敵基地攻撃能力を事実上保有することになった」という評価が飛び交ったが、国論の分裂を避けたのか、政治の世界では議論にならなかった。
すでに、1956年には「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところとは考えられない」とする政府統一見解も出ている。岡本さんは、こうした背景も踏まえたうえで、タブーを恐れずに、議論を進める必要性を説いた。
岡本さんは、深まらない日本の安全保障を巡る議論について「日本の成長を妨げてきた事なかれ主義の象徴だ」とも語った。
気がつけば、2時間近い時間が経っていた。慌てて辞去すると、最後に事務所が入ったビルの出口まで見送ってくれた。「昔は、政治部の人たちを中心に、よく話をしたんだけれど、最近は皆さんお忙しいみたいだねえ。僕ももう70代だから」と語っていた。もったいない話だと思い、「是非、次回は会社の若手と意見交換してください」とお願いして別れた。岡本行夫さん=2014年9月26日
この春に「会社で1時間議論したら、後は居酒屋で続きを」という約束がかなわず、今はとても悲しい。
関口宏サンデーモーニングで岡本さんが、黒板に白墨書きして説明されいた部分だけの録画を残して何回か読んでいた。まだまだ聞きたかったな~。今晩はBSフジLIVEプライムニュースでの岡本さんの出演時に述べられたことを時間をとって解説されていた。
牧野愛博朝日新聞編集委員様には「岡本行夫さんが遺した言葉」を記していただき礼を言います。
元外交官でこの方のテレビでの解説はとても分かり易く好きだった。ファンだったのかも知れない。74歳という若さで、しかも新コロナウイルスに感染されての結果だとは残念でならない。
心からご冥福をお祈り申しあげます。
岡本行夫さんが遺した言葉 ~ 論座・朝日新聞デジタル 2020年05月08日
日本の安全保障を巡る議論は、日本の成長を妨げてきた事なかれ主義の象徴だ
牧野愛博 朝日新聞編集委員(朝鮮半島・日米関係担当)
外交評論家の岡本行夫さんが4月24日、亡くなった。
5月7日夜、報道各社が一斉に流した速報を半ば信じたくない思いで聞いていたが、8日朝、岡本さんが代表取締役を務めていた岡本アソシエイツから改めて訃報を伝えるメールが届き、愕然とした。
岡本さんと初めて出会ったのは、1996年11月に橋本龍太郎内閣で首相補佐官に就任されたころだった。当時、外務省担当だった私は、岡本さんのタブーにとらわれない外交論に魅了された。岡本さんの考え方には、保守が唱える「日米同盟死守」も、革新が訴える「憲法9条死守」もなかった。常に自分で学び、自分で考えていた。
橋本内閣では沖縄問題に、再び首相補佐官となった小泉純一郎内閣ではイラクの問題にそれぞれ取り組んでいた。岡本さんも1991年までは外交官であり、公僕であった。ただ、当時から異色の外交官と言われていた。
外務省の後輩の1人から岡本さんらしい逸話を聞いたことがある。北米一課長時代、岡本さんはいつも外出していた。記者はもちろん、外務省の同僚たちも岡本さんを探し回っていた。外部で政治家や外交官、様々な人と会っていたらしい。岡本さんは課長席に背広をいつもかけておき、「在庁中」というアリバイを作っていたという。
「米国ばかりみていると、足元がおろそかになる」
米国と韓国での4年半の勤務を終えて昨春に帰国した私は、昨年6月12日、岡本さんと久しぶりに面会した。帰国報告のつもりだったが、いつものように、独自の視点と豊富な経験に裏打ちされた岡本さんの話に圧倒された。話題は安全保障が中心だった。
最初の話題は、近年、「米政府の言いなりで、米国兵器を爆買いしている」という批判があるFMS(米国による対外有償軍事援助)だった。FMSは近年、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」などの調達で増加傾向にある。2019年度予算ではFMSは7千億円余りになり、防衛費全体の1割以上を占めた。
岡本さんは「米国のことばかりみていると、足元がおろそかになる」と嘆いた。「米国にばかり武器を発注するから、国内産業に受注が回らない。このままでは先細りだ」と語った。最近も、防衛産業から撤退した企業が出たため、航空機の操縦席を覆うキャノピーや車輪などの製造が国産でできなくなりそうだとも語った。
岡本さんが言いたかったのは、「米国にばかり追従するな」という論理だけではなかった。「武器輸出三原則の緩和は、死の商人を作る」という主張とどうやって折り合いをつけるかということだった。米国に頼らない防衛産業の育成を目指すなら、自衛隊だけではなく広く海外にマーケットを広げてやる必要が出てくるからだ。
岡本行夫さん=2016年3月30日、東京都港区
岡本さんの話を聞きながら、私はかつて自衛隊の知人の言葉を思い出した。知人は名古屋で戦車を製造している企業を視察した当時の思い出を語ってくれた。大きな工場内に、ポツンポツンと陸上自衛隊に納入する戦車が置かれていた。陸自だけを相手に商売をしているから、大量生産の必要がないわけだ。視察に同行した企業の担当者は「カネさえ出してくれたら、どこにも負けない良い戦車をつくってやるのに」と残念そうに語ったという。
「北朝鮮は絶対に核を放棄しない」
岡本さんとの会話は次に、米朝協議に移った。岡本さんは、2回の米朝首脳会談を取材した私の話を聞いた後、こう語った。「北朝鮮は絶対に核を放棄しない。北朝鮮の経済力はアフリカのガボンなみだ。そんな国を米国が相手にするのは核があるからだ」
岡本さんは2018年6月の米朝首脳共同声明について「外交文書として稚拙な表現があった。おそらく、米国の事務方が作ったものではないだろう」と指摘した。米朝が「北朝鮮の非核化」とせず、「朝鮮半島の非核化」で合意したことで、北朝鮮は、米国が非核化しない限り、核を放棄しないと言い張る「核軍縮交渉」に出るだろうと予言した。
そのうえで、岡本さんは日本政府の対応を論じた。米国の抑止力があるから、北朝鮮が日本を攻撃する可能性はほとんど無いだろう。でも、安全保障には万全を期すべきだ」
そして、岡本さんが北朝鮮に対する抑止力として主張したのが、「敵基地攻撃能力」だった。岡本さんは「イージス・アショアは、北朝鮮が飽和攻撃(迎撃能力を超える大量同時攻撃)をしかけてきたら、手に負えなくなる。実質的な抑止を考えるなら、敵基地攻撃能力だ」と語った。
「最近は皆さんお忙しいみたいだねえ。僕ももう70代だから」
実は、日本政府は敵基地攻撃能力についての準備を進めている。2017年末、米国が開発した戦闘機に搭載できる長距離巡航ミサイル「JASSM(ジャズム)―ER」(射程900キロメートル超)導入の方針を決めた。
当時、日本の安全保障関係者の間では「敵基地攻撃能力を事実上保有することになった」という評価が飛び交ったが、国論の分裂を避けたのか、政治の世界では議論にならなかった。
すでに、1956年には「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところとは考えられない」とする政府統一見解も出ている。岡本さんは、こうした背景も踏まえたうえで、タブーを恐れずに、議論を進める必要性を説いた。
岡本さんは、深まらない日本の安全保障を巡る議論について「日本の成長を妨げてきた事なかれ主義の象徴だ」とも語った。
気がつけば、2時間近い時間が経っていた。慌てて辞去すると、最後に事務所が入ったビルの出口まで見送ってくれた。「昔は、政治部の人たちを中心に、よく話をしたんだけれど、最近は皆さんお忙しいみたいだねえ。僕ももう70代だから」と語っていた。もったいない話だと思い、「是非、次回は会社の若手と意見交換してください」とお願いして別れた。岡本行夫さん=2014年9月26日
この春に「会社で1時間議論したら、後は居酒屋で続きを」という約束がかなわず、今はとても悲しい。
関口宏サンデーモーニングで岡本さんが、黒板に白墨書きして説明されいた部分だけの録画を残して何回か読んでいた。まだまだ聞きたかったな~。今晩はBSフジLIVEプライムニュースでの岡本さんの出演時に述べられたことを時間をとって解説されていた。
牧野愛博朝日新聞編集委員様には「岡本行夫さんが遺した言葉」を記していただき礼を言います。