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高丘コミセン高齢者大学  「二見地区の古刹と史跡を訪ねて」 / 明石シニアカレッジ

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二見町の変遷
 江戸時代の二見町域は1633年には幕府領だったが、1843年には武蔵野国埼玉群忍藩(おしはん)の飛地となり幕府領と忍藩領を繰り返し、1951年にやっと明石市に編入されたんだそうだ。

  

   

 極楽寺・・・「今昔物語」巻17第20に記されている寺。阿弥陀堂の裏には「夜泣きの塔」があり、昭和始めに神戸の富豪が数百円で買い取って庭に置いたところ、以来富豪の家族には不幸が続いた上、「二見に帰りたい」と泣くので戻されたという。



 威徳院・・・ 行基が開山したといわれる真言宗のお寺。江戸時代、御厨神社の別当寺である海雲寺には2院4坊を有していたが、廃仏毀釈によって威徳院は廃されたが威徳院の名が親しまれていたため、昭和16年に威徳院に改称した。
 



 御厨神社・・・神社の名前である御厨とは台所という意味である。神社の御厨は伊勢神宮と加茂社に限られているが伊勢神宮とかかわりがあるのかどうかは不明である。境内には管公腰掛松があり、菅原道真が左遷される際、立ち寄ったとされる。




 弘法大師・・・弘法大師が旅の途中、この地の寺に立ち寄り、地元の人にお世話になったのでそのお礼として、大師が錫杖で地を叩くと清水が湧きだしたと言われる。この地は海に近いため井戸水に海水が混じるのに良い水が湧くことから生まれた話かも。




  
  このようなトーンで二見地区の古刹と史跡他の白沙壮(リンクなし)、観音寺二見横河公園君貢神社と仮寝の岡端応寺二見三義人西大神宮と東大神宮徳源寺長徳禅寺二見浦築港記念碑の合計15ヶ所をパワーポイントやユーモアを交えての出前講座、約2時間聞くことが出来た。グループの6名の方は、我々の学級とほぼ同じ年代のシニアカレッジで「明石西国観音巡り」をされていることには敬意を表します。お忙しい中、誠に有難うございました。大いに見習わなくてつくづく思った。そうそう、パワーポイントの編集技術もすばらしい!今、気付いたのだがこの内の一ヶ所にも行ったことがない!

 下は、「長徳禅寺」の襖絵で四季を表す83点が所蔵されているそうだ。   

   

 

 

 

   

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