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上はコミセン所長による講評。発表者の熱が入りすぎたのか、講評時間が足りなくなってしまった!(笑)。毎度のことだが、各班の代表の人が大きな人生経験や、玄人はだしの趣味や病魔との戦い等をしみじみと語られ、その情熱が伝わってきた。小父さんも細々と何かをやっているつもりではあるが、長い人生にはまだ星の数ほどの未経験なことや知識が散りばめられていることを痛感する。なにしろ皆エネルギッシュだね!平均年齢75歳で小父さんは若手のはずなんだが、ボヤボヤしていると置いてきぼりにされてしまいそう。
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上の写真と下の発表要旨は順不動(一人は司会者)
(私の趣味について)
パンフラワーをたくさん作っていたが、委員長にスライドを撮っていただいたものも合わせて紹介する。周辺の公園や道沿いに咲いている花を創作。素材は樹脂粘土です。タペストリー、ハワイアンキルト、私の服や、幾つかの服は班の方に着てもらってファッションショーを今日やりたかったとか(笑)。すべてて縫いです。家の中は手芸だらけになっている。山のような作品群を持参されていて休憩時間は皆が集まって作品に見入っていた。
(痛風とのつきあい)
4年前、右足のつけねが赤くなって激しい痛みがきた。“風が吹いても痛む”ことから、“痛風”と呼ばれるようになった言われる。痛風は、体内で尿酸が蓄積することにより、引き起こされ尿酸には血液に溶けにくい性質があるため、体内で尿酸濃度が高い状態が続くと、溶けきれなくなり、関節などにたまって結晶化するがその結晶が何らかの刺激によって剥がれ落ちると、白血球が剥がれた結晶を異物と認識して攻撃して炎症が起こり、痛みが生じることになる。
薬療法にも肝臓との兼ね合いを見ておく必要あり。
自分で考えた注意点としては、食べ過ぎないこと、食べ物に偏りがないこと、アルコールは飲まない。軽い有酸素運動をやること、水分をたっぷり取る。
(この頃少し頑張っている事~ピアノに憧れて~)
子供の小学校時代にコーラス部に入って、その時のピアノ伴奏に魅せられて、40代の後半に一年発起した。
それまでは琴一筋だった。
今日は、この方のピアノ伴奏で2曲を合唱した。
1.知床旅情
2.われら人生六十から(鉄道唱歌替歌)
♪われら人生六十から 心もからだも元気にて 七十で迎えに来たならば ただ今お留守といいなさい♪
(八十・・・まだまだ早い、九十・・・そんなにせくな、百・・・ころ見ていくよ と続く)
歌が好きな方が多いので皆気持ちよく楽しく唄っていた。
(臼杵と吉四六(きっちょむ)さん)
故郷大分県臼杵市に吉四六さんの町があり、子供の頃父親に布団の中で、毎日吉四六(きっちょむ)さんの話を聞きながら眠った記憶がある。
平安時代から鎌倉時代にかけて彫られた、国宝臼杵石仏(H7年指定の61体の磨仏群)や国指定の風連鍾乳洞あり。戦国時代のキリシタン大名・大友宗麟が臼杵に築城。また天正少年遣欧使節団を派遣した。
吉四六(きっちょむ)さんは、臼杵市野津町生まれで名は広田吉衛門と言い、小庄屋を努め、苗字帯刀を許された由緒ある家柄で吉衛門がなまって(きっちょむ)さんという愛称で呼ばれた。年貢の取り立てに苦しむ農民の味方になり、相談役となってトンチで手助けしたりリーダー的存在だったようだ。
(恩師の教え)
小学校の先生、大学教授、最後の船場商人、日本の繊維業界のリーダーの方々には大変お世話になったが、その中から世界で初めてアンテナを発明した大学教授の話をさせていただく。ドイツの戦闘機のメッサーシュミットにもそのアンテナが付けられレーザー(Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation)に利用した。その教授からいただいた言葉は「物事は深く考えること!」。ある時に、起業することになって考えに考え抜いていたらふと腕がひとりでに動きだした!自動書記(霊感書記)とも言うらしい。これが恩師が言った「真剣に考えなさい」というものかと気付かされる。その時の代償として胃潰瘍になり、痛風にもなりながら会社を興すことは出来た。「下手な考え休むに似たり」とも言う言葉もある(笑)。
(私の生まれ育ったところ 歴史散歩~そして別れ)
上皇が出家して僧になった時、法皇と呼ぶ。清盛が法皇を幽閉したのは後白河天皇方と崇徳上皇方の皇位継承をめぐる兄弟争い。氷室神社の氷室とは氷を夏まで蓄える部屋、祇園神社の88の石段を登ると大輪田泊が見渡せる。この神社には浴衣を着て下駄を履き夜店を楽しんだこと、小学校の時野球部に籍を置いていたが訓練でこの階段の上り下りがあり苦しかった思い出もある。88段は末広がりで縁起が良いのだが、訓練で疲れて帰って伸びた自分の足は八の字に広がっていた。野球のボールの縫い目は百八、人間の煩悩の数を表している。熊野神社は祭神は伊弉諾命、伊弉冉命だが福原遷都の際清盛が再建などなど発表者の17か所の所縁の有る場所は平清盛の足跡が多い。今、清盛の評価は皆さんにお任せするが、日宋貿易で神戸の礎を築いたこと、日本の首都・福原京を築いたこと大きな功績だと力強く言っておられた。
今日も訪問 ありがとうございます。
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(私の趣味について)
パンフラワーをたくさん作っていたが、委員長にスライドを撮っていただいたものも合わせて紹介する。周辺の公園や道沿いに咲いている花を創作。素材は樹脂粘土です。タペストリー、ハワイアンキルト、私の服や、幾つかの服は班の方に着てもらってファッションショーを今日やりたかったとか(笑)。すべてて縫いです。家の中は手芸だらけになっている。山のような作品群を持参されていて休憩時間は皆が集まって作品に見入っていた。
(痛風とのつきあい)
4年前、右足のつけねが赤くなって激しい痛みがきた。“風が吹いても痛む”ことから、“痛風”と呼ばれるようになった言われる。痛風は、体内で尿酸が蓄積することにより、引き起こされ尿酸には血液に溶けにくい性質があるため、体内で尿酸濃度が高い状態が続くと、溶けきれなくなり、関節などにたまって結晶化するがその結晶が何らかの刺激によって剥がれ落ちると、白血球が剥がれた結晶を異物と認識して攻撃して炎症が起こり、痛みが生じることになる。
薬療法にも肝臓との兼ね合いを見ておく必要あり。
自分で考えた注意点としては、食べ過ぎないこと、食べ物に偏りがないこと、アルコールは飲まない。軽い有酸素運動をやること、水分をたっぷり取る。
(この頃少し頑張っている事~ピアノに憧れて~)
子供の小学校時代にコーラス部に入って、その時のピアノ伴奏に魅せられて、40代の後半に一年発起した。
それまでは琴一筋だった。
今日は、この方のピアノ伴奏で2曲を合唱した。
1.知床旅情
2.われら人生六十から(鉄道唱歌替歌)
♪われら人生六十から 心もからだも元気にて 七十で迎えに来たならば ただ今お留守といいなさい♪
(八十・・・まだまだ早い、九十・・・そんなにせくな、百・・・ころ見ていくよ と続く)
歌が好きな方が多いので皆気持ちよく楽しく唄っていた。
(臼杵と吉四六(きっちょむ)さん)
故郷大分県臼杵市に吉四六さんの町があり、子供の頃父親に布団の中で、毎日吉四六(きっちょむ)さんの話を聞きながら眠った記憶がある。
平安時代から鎌倉時代にかけて彫られた、国宝臼杵石仏(H7年指定の61体の磨仏群)や国指定の風連鍾乳洞あり。戦国時代のキリシタン大名・大友宗麟が臼杵に築城。また天正少年遣欧使節団を派遣した。
吉四六(きっちょむ)さんは、臼杵市野津町生まれで名は広田吉衛門と言い、小庄屋を努め、苗字帯刀を許された由緒ある家柄で吉衛門がなまって(きっちょむ)さんという愛称で呼ばれた。年貢の取り立てに苦しむ農民の味方になり、相談役となってトンチで手助けしたりリーダー的存在だったようだ。
(恩師の教え)
小学校の先生、大学教授、最後の船場商人、日本の繊維業界のリーダーの方々には大変お世話になったが、その中から世界で初めてアンテナを発明した大学教授の話をさせていただく。ドイツの戦闘機のメッサーシュミットにもそのアンテナが付けられレーザー(Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation)に利用した。その教授からいただいた言葉は「物事は深く考えること!」。ある時に、起業することになって考えに考え抜いていたらふと腕がひとりでに動きだした!自動書記(霊感書記)とも言うらしい。これが恩師が言った「真剣に考えなさい」というものかと気付かされる。その時の代償として胃潰瘍になり、痛風にもなりながら会社を興すことは出来た。「下手な考え休むに似たり」とも言う言葉もある(笑)。
(私の生まれ育ったところ 歴史散歩~そして別れ)
上皇が出家して僧になった時、法皇と呼ぶ。清盛が法皇を幽閉したのは後白河天皇方と崇徳上皇方の皇位継承をめぐる兄弟争い。氷室神社の氷室とは氷を夏まで蓄える部屋、祇園神社の88の石段を登ると大輪田泊が見渡せる。この神社には浴衣を着て下駄を履き夜店を楽しんだこと、小学校の時野球部に籍を置いていたが訓練でこの階段の上り下りがあり苦しかった思い出もある。88段は末広がりで縁起が良いのだが、訓練で疲れて帰って伸びた自分の足は八の字に広がっていた。野球のボールの縫い目は百八、人間の煩悩の数を表している。熊野神社は祭神は伊弉諾命、伊弉冉命だが福原遷都の際清盛が再建などなど発表者の17か所の所縁の有る場所は平清盛の足跡が多い。今、清盛の評価は皆さんにお任せするが、日宋貿易で神戸の礎を築いたこと、日本の首都・福原京を築いたこと大きな功績だと力強く言っておられた。
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