小父さんも両親が健在なうちは、故郷・博多に一体何回帰ったことだろう。我が家の旅行と言えば博多行きしかなかったな(笑)。その博多も玄関口の駅から全く変わってしまったし、生まれ育った場所なんて面影すら残っていない!
正に、下のお三方の「心につながる・・・」「遠きにありて思ふもの」「語ることなし」と重なるね~。もう、博多弁も忘れてしまった、小父さんのとってのふるさととは?幼児時代に二人で蒸気機関車を停めた長閑で平和そのものの光景かな?(笑)
春秋
日本経済新聞 2018/8/14付
「血につながるふるさと 心につながるふるさと 言葉につながるふるさと」。9歳で信州の 馬籠を離れた島崎藤村はずっとのちに帰郷したとき、地元の小学校での講演でこう述べ、しばし絶句したという。故郷への思慕をあらわして、これほどいちずな物言いはない。
▼人をそういう気持ちにさせるのが故郷というものだが、さて、目下帰省中の方々はいかがお過ごしだろう。 渋滞にあえいでようやく実家にたどり着いたのに、昔とは景色が違う、親戚や旧友も変わったと落胆することもあろう。「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」 。室生犀星もこう詠んでいる。
▼もっとも、近年は地方を取り巻く現実がどんどん厳しくなり、故郷そのものの消失を招きかねない時代だ。にぎやかだった商店街はゴーストタウンと化し、どこもかしこも空き家だらけである。若者の姿はすっかり途絶え、 先祖の墓には夏草が生い茂る。久しぶりに老親と話しこんで、もしや認知症かと異変に気づく……。
▼ 「ふるさとは語ることなし」 。かつて坂口安吾は故郷・新潟に帰って色紙にこう記し、日本海を望む文学碑にもこの言葉が残る。突き放したような表現だが、そこには生まれ育った土地への万感の思いがこもっていよう。いちいち語らなくても済む、たしかな故郷の存在――それがあったからこその名言であるに違いない。
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