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ミュージックはあるが、ソングはない=近藤勝重 / 毎日新聞

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阿久悠 氏(1937年2月7日 - 2007年8月1日)
  
  阿久悠さんの歌をちょっと見ただけでも1971年「また逢う日まで」尾崎紀世彦、1976年「北の宿から」都はるみ、1977年「勝手にしやがれ」沢田研二、1978年「UFO」ピンク・レディー、1980年「雨の慕情」八代亜紀 以上日本レコード大賞での大賞受賞曲で、1973年「ジョニィへの伝言」ペドロ&カプリシャス、1986年「熱き心に」小林旭ほか5曲は日本レコード大賞・作詩賞。さらに1981年「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行、1982年「契り」五木ひろし、1984年「北の螢」森進一などなどありとあらゆるソングが並んでいるね。

 最近の紅白歌合戦やレコード大賞で人気を博している歌は知らないけれど、小父さんの頭にすーっと入ってくるものは無さそうだ。小父さんに一つ分かることは、現代版のミュージックなるものはリズムが全面に押し出されているのかな?それにメロディがついて、最後に歌詞なんだろうか!?若者はフィーリングで感じ取って紅白歌合戦もレコード大賞もフィーリングで視聴率を稼いでいるのじゃーないかな。

 音楽、音痴の小生が感じていることはこの程度です、近藤勝重先生!それ以前に平成に流行っている歌を全然聴いていないのかも知れません。


昨今ことば事情  ミュージックはあるが、ソングはない=近藤勝重

毎日新聞 2018年6月15日 東京夕刊 昭和歌謡を代表した阿久悠氏の次のひと言は、今となっては遺言(いげん)のように思えてくる。

 「ミュージックはあるが、ソングはない」平成に入って十数年過ぎたころの発言だ。歌が人の心に残るのは詞なんだと言い、その時代にしか似合わない言葉を自然に表したものが歌だと強調しておられた。

 自ら作詞も手がけた演出家の  久世光彦氏は著書「歌が街を照らした時代」で阿久氏のことをこう書いている。「彼が書いた歌が、<あのころ>という時代に、色を添え、匂(におい)を与えたのもほんとうである。1970年代、そう言っていいくらい、阿久さんは力のある歌をたくさん書いた。大きな絵筆で、<時代>という壁に巨大な壁画を描きなぐっていた」

  尾崎紀世彦さんの「また逢(あ)う日まで」(昭和46年)や  ジュリーの「時の過ぎゆくままに」(昭和50年)……など、氏の作詞した数々の歌を口ずさんでいた僕らは、やがて平成に入って演歌はともかく曲のテンポの明らかな違いに気づき、戸惑いを覚え、歌いづらくなった。

 8ビートの昭和歌謡で育った人にとって16ビートの曲に乗る歌詞は意味を持った言葉ではなく、単なる音にすぎない歌もある。そう嘆いていた  平尾昌晃氏の言葉も思い出される。「歌は世に連れ」も一概には言えない時代になったということか。(客員編集委員)




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