昨日の講座だったが、復習も兼ねて配布資料に基づいてやっとこっとでまとめた。ふーっ!(笑)。しかし、明石に住んでいると言ってもこんなに知らないところがあったのかと感心するところがしきり。
これは「ぶらり歩こう会」の題材にもなりそうで面白い。これを全部歩きつくすには何年くらいかかるだろうか!?明石シニアカレッジふれあい漫歩グループさん、誠に有難うございました。
尚、地図上の位置を示す番号で、19、20、22は記入されていない。
【明石城下町~大蔵谷本陣跡・時の道を含む】
下の写真はクリックにより拡大。アンダーラインがある項目はウエブサイトへリンクしています。
1.織田(おた)家長屋門 織田家は家老職で1652坪の屋敷地
2.明石神社 阪神淡路大震災で壊滅、再建
3.本松寺 庭園は宮本武蔵の作
4.妙見社 本松寺の北側、つつじの名所
5.月照寺 山門は秀吉が伏見城の薬医門として建てたものを将軍秀忠から明石城主・小笠原忠真が貰い受けて移築
6.柿本神社 柿本人麻呂を祀る祠を建てたのが神社のはじまり。
7.高家寺 明石市内で現存する最古の仏堂、平成13年に明石市有形文化財に指定。
8.亀の水 1699年、柿本神社への西の参道が造られた時、手水鉢として設けられたのが始まり。
9.雲晴寺 南総里見八犬伝のモデルとなった里見忠義公の供養塔あり。
10.長寿院 明石藩主である松平家の菩提寺。
11.馬塚碑 平忠度の甥で明石大蔵谷付近で討ち死にした平経正の馬の亡骸を葬った塚があった。
12.両馬川古戦場旧碑 1184年2月、一の谷の戦いに敗れた平家軍の通過地。 平忠度が岡部六弥太に追いつかれ、二人の馬が川をはさんで戦った。
13.白雲桜 白雲桜は柿本人麻呂の「しら雲の色の千種に見ゑつるは このもかのものさくらなりけり」から名付けられた。
14.15.忠度塚、腕塚神社 一ノ谷の合戦に敗れた平忠度(清盛の末弟で、西門の大将)は海岸沿いに西へ逃れた。源氏の将・岡部忠澄に明石の両馬川で追いつかれ、忠度が忠澄を取り押さえ、首を掻こうとした時、。忠澄の部下が、忠度の右腕を切り落とした。 平忠度の右腕を祀る「腕塚神社」と、なきがらを祀る「忠度塚」。
16.稲爪神社 推古天皇の時代に不死身の鉄人を大将とした三韓の軍勢が日本に攻めてきたが、九州では退治できなかった。 四国の伊予の役人、小千益躬が退治せよという命令を受け、一族の守り神「三嶋大明神」に祈ると、神様が現れ、「鉄人の弱みは、鎧兜で守られていない足の裏だから、これを矢で射よ」と言われた。
明石 休天神社 ひな形祭り_2
17.休天神社 菅原道真は延喜元年(901年)、大宰府への途中でここに立ち寄り、明石の駅長(うまおさ)の出迎えを受ける。
18.日本標準時子午線 日本の標準時(中央標準時)の基準となる子午線として明治19年勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」(1886年)で定められた東経135度の経線
19.中崎遊園地ラヂオ塔
建設当時の社会の様相とラジオの普及の過程を物語る。
20.大蔵八幡神社 推古天皇のころ、朝鮮から侵攻してきた鉄人を見事に討った越智益躬公は、伊予三島大明神を祀る稲爪神社を創建。そののち、越智益躬公の子供である越智武男公が、父の偉業を称えるために稲爪神社の辰巳の方角に祠を建てた。
(現在の写真不明) 21.大蔵谷本陣跡
22.大蔵海岸「阪神・淡路大震災モニュメント「明日(あした)」
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