クローズアップ現代+「大震災をつづった子どもたち それぞれの7年」 から抜粋
東日本大震災。あまりの衝撃に多くの人が言葉を失っていた震災直後に、自分の体験や気持ちを、作文につづった子どもたちがいた。あれから7年。人生で最も多感な時期を、震災後に過ごした当時の子どもたちは、いま何を思うのか?それぞれの7年を見つめる。
学校が再開されず、避難所でカードゲームをして過ごしていました。
廣瀬迅人くん“車から出れなくて、たすけをもとめている人が見えました。はじめて見た物は、たくさんの死たいでした。”
あの日から7年。18才になった廣瀬くんです。
廣瀬迅人くん 「書いた、いつ書いたかは忘れた。本当に、こういうことだったのは思い出す。」
震災後は、心がすさむことも多かったといいます。「震災がなかったら?」
廣瀬迅人くん「たぶん、普通に小学生をやっていたと思う。」
明るい性格だった廣瀬くんが変わったのは、中学校に入ったころだったといいます。
廣瀬迅人くん「学校のものにも、人にも八つ当たりしてしまった。」
以前、廣瀬くんが暮らしていた仮設住宅です。
行き場のない感情をぶつけ、壁に穴を開けることもありました。
母 亜耶子さん「本人も自覚していないかもしてないけど、やっぱり震災の見たものとか、
その時の生活、避難所のこととかが消化できなかったのかな。」
震災から5年後、改めて作文を書いた時、廣瀬くんに変化がありました。
“この震災で、好きで死んでったやつなんかいない。だからオレ、
そいつらのためにも、死んだ友だちの分までしっかりと生きていきたい。”
中学を卒業すると働き始めます。おじいさんと同じ、調査捕鯨の船乗りです。毎朝3時に起きて食事を作り、先輩の作業を手伝っています。
「一番最初、船に乗ってクジラをしとめた時は?」
廣瀬迅人くん「でっけーと思った。」
「(作文に書いたように)亡くなった友だちの分まで生きている?」
廣瀬迅人くん「『今こういうことやっているんだよ』って、(友だちに)普通に言える。」
リンク先にはたくさんの子供たちや成長した若者たちの姿が描かれている。廣瀬迅人君の震災がなかったら「たぶん、普通に小学生をやっていたと思う。」という言葉が特に印象に残った。
東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈り致します。
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