年に2回の恒例の「私の意見・体験発表」で6人の方々が下記の通り見事に発表を繰り広げられた。
1.認知症とその対策
認知症700万人時代が2025年時代にやってくる。認知症は酒やたばこと関係なしにやってくるので厄介だ。
誰でもなる可能性あり。薬も絶対に効果ありというものは存在しない。
認知症の予防としては
①バランスの良い食事
老化の原因となる過剰な活性酸素除去除去する物質を多く含む食品・・ブルーベリー、大豆、ごま、そば、緑茶など
②考える習慣
記憶力を意識的に使う。頭を使う趣味を持つ。
③適度な運動を心がける。
有酸素運動を習慣に。・・ウォーキング、体操、水泳、水中歩行 ほか
2.感謝の日々
コミュニティセンターが家の近くで、高齢者大学、コーラス、料理など80歳になっても多くを学べるので感謝です。
「名も知らぬ 可愛い花が がんばれと 散歩の我に語ってゆれる」
幼児の頃、生死を彷徨ったり、虚弱体質の子供時代、戦争中は焼夷弾の中を逃げ回ったことあり。小学校時代にコーラスに目覚め、ヘンデル オラトリオ「メサイア」との出逢いから混成合唱の楽しみも知った。フェスティバルホールで唄う機会も得た。その後、交通事故での絶対安静状態もあり。
婚約もしていたが、後遺症のことも考えて婚約を断った。その後見合い結婚、子供も授かり、親や義母、義父の介護をしたり両親が阪神淡路大震災で家が全壊して明石に一時避難したり、両家の親やご主人が亡くなってからは家庭菜園もはじめた。
畑で出来たものを油絵も描いている。年1回の学生時代のギャラリー展示にも参加。また放送大学に入ってからは短歌、川柳、なども知った。声を出すことが好きなので家を締め切って、テレビを点けて「埴生の宿」など7曲くらい大きな声で歌うと気分がすかっとされるとか。
3.私の夢舞台
幼い頃から歌舞伎好きの祖母によく歌舞伎を見に連れて行ってもらっていた。踊りも習ってよく幕間に踊っていた。家庭に入って何もすることが無くなって「自分には踊りがあったんだ」とそれから30年続けている。
ここでスクリーンに映し出されたビデオを二つ拝見。「雪の舞い」・・・江戸城大奥御年寄の江島(絵島)歌舞伎役者の生島新五郎。「安宅の松風」・・・義経主従は奥州に逃れる途中で、 安宅の関にさしかかる。
スクリーンを望遠で撮る(滅茶苦茶出来が悪いが雰囲気だけ ↓)
なんと、国立文楽劇場に、大阪新歌舞伎座でも舞われていた。長い長い花道も歩かれ「市川海老蔵になったつもりだった」とか。
<休憩>
4.ホンマの明石市民となるまで
難聴で会話が激減で脳トレのつもりで発表。
転勤族で生まれは静岡・三島。転勤11回 引っ越し15回 殆ど社宅住まいだったのが、どういうわけか明石の高丘に住むことになった。
(勤務地その1) 静岡、東京、横浜、大阪、東京、尾道
土地神話に乗って横浜にどこか住むところはないか?いくつか応募したが、すべて落選。
大阪泉北ニュータウンも応募→落選。
そして明石の大久保の分譲に応募したところ当たった。
下見は1回だけ、明石市もその時初めて訪れた。だが東京に転勤。抽選も契約も東京からやって来て実施。
2年以内に家を建てなければいけないということだったが、今度は尾道に転勤。赴任の途中にホテルに泊まって
ハウスメーカーとした交渉、後は担当者に尾道に来てもらって家をて建てて、家族だけを明石に住まわ せる。
(勤務地その2)今度は神戸、それから北陸の小松~岩国~福井~・・・この間はずっと単身赴任生活。
家族サービスはゼロで月に1~2度家に帰ってくるくらい。それから~大阪(出向)
大阪に勤務している時に阪神淡路大震災が発生し、ホテルに1か月居候、朝4時起きで乗り継ぎ乗り継ぎで
往復6時間の通勤を1月半した。
退職して、コミュニティセンターの囲碁サークル、太極拳、サークル連絡協議会などをやってやっと明石
の市民意識を出て来て家も建て替え、ついの住処にしようとやっと考えはじめた。
コミュニティーセンターに支えられたことがとても大きい。♪雪山賛歌というのがあるけど、
自分は♪コミセン雪山賛歌だと。
5.高丘に移住して
北海道の富良野市出身。なんでここに来たかとみんなから言われる。息子がここに住んでいて最後は
「どうもならん!」と思ってここに来た。「親父、そんなところで寝転んでテレビ見ておったら駄目だ。
学校に入れ」と息子に言われた。
富良野市の人口は2万3千人くらい、明石市は29万5千人くらい。富良野は13分の1、反対に面積は
601ヘクタールで明石は49ヘクタールで全く逆で明石は12分の1くらい。自分もここに来る気もなかったけど
息子の嫁が大久保の人で「爺ちゃんおいで」と言ってくれた。引っ越そうと思って貯金を下ろそうと思ったら
郵便局で詐欺にひかかったんじゃーないかと思われて、警察も来るは、息子の会社も嫁も留守で2時間
くらい徹底的に調べられた。
ここに来たら60年前の彼女とばったり出くわした。団地のサークルに誘われ入って「富良野から来た」と
言ったら自分も住んでいたと。よくよく話したら家の隣に住んでいたことがわかった。
また、孫の三世代交流のグランドゴルフを見に行ったら、「あなたも入りなさい」と誘われクラブを
買って来てくれと家内に頼んだら「私も買う」ということで、今は年間200日くらいグランドゴルフに
参加している。
「いつも楽しく学ぶのは 高齢者大のおかげです 指導の先生有難う 生徒の皆さん有難う」という歌を
作ってみた。
それと、この高齢者大学の校歌を作ったらどうかと思う。ところが土地のことが分からない
ので中学や高校の校歌をあっちこっち嫁さんに調べてもらった。そのいいとこひらって、皆さんの知恵を
拝借して作ったらどうかなと思っている。
みんなに言われることは「北海道から来たら、こんな気温は寒くないでしょう」と。
違う違う暑いは暑いし、寒いのはどこに行っても寒いですよと今朝もグランドゴルフでみんなで笑った。
6.原子力発電について
原発建設経験者の詳しい原発の種類などの説明、解説があった。加圧水型発電プラント、沸騰水型
発電プラント、原子力燃料サイクル、プルサーマルとは?
今、再稼働や廃炉ほかが話題になっているなか、まっすぐに原発建設に携わってきた方の情熱のような
何かを感じた。
いやー、正に「私の意見・体験発表」そのものだったね。というのは小父さんが通って来た人生は、そんなたくさんの人生の中のほんの一部であることを、こうしてまとめてみて実感する。日本列島の中のちっぽけな歯車だということを!人生の先達の口から出る言葉はどれも含蓄がある。小父さんはまだまだ「ひよっこ」だね!
今日も訪問 ありがとうございます。
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