スティーブ・ジョブズ氏のドキュメンタリーは観たことはあったが、この映画で彼がステージでジンーンズにスニーカー履きで立って、若者にとても人気がある光景がやっと分かったような気になった(笑)。
創造しつづけるエンジニアって、世に認められない芸術家と重なるね。彼は組織人では無さそうだし、普通の経営者とも違う。それが世の中を変えてしまうようなことをやるのだから、人の世には変人が必要だということなんだろう。詳しくは知らないがIBMを脅かし、マイクロソフトに模倣されたり、立ち上げた会社(アップル)から追い出されたり、又呼び戻されたり、56歳で没っするまで、きっと彼はまっしぐらに走り抜けたんだろうね。
※下のあらすじ欄に挿入した写真の位置は正確ではありません。
あらすじ
2001年、アップルのCEO スティーブ・ジョブズ(56歳没)は『iPod』を発表した。そこに至る道は1974年の大学時代、すでに始まっていた。退学した後も無料で授業を受け続ける 裸足の若者スティーブ。彼は東洋の思想を求めてインドを旅し、LSDを吸い、将来を模索していた。
1976年、アタリ社でゲーム機を開発するスティーブ。優秀だが他人と協調できないスティーブは、自由を求め、友人のウォズとアップルコンピュータを立ち上げた。 自宅のガレージで家庭用コンピュータの製造を開始するスティーブたち。仲間も少しずつ増えていったが、スティーブの協調性のなさは相変わらずで、恋人のクリス=アンが妊娠しても責任を取ろうとしなかった。
パーソナル・コンピュータ『Apple II』で一世を風靡するアップル。企業は急成長を遂げるが、スティーブの独断は加速する一方だった。 1984年、スティーブは華々しくマッキントッシュの発売を宣言した。しかし、開発の遅れや他社の類似品で業績は悪化し、 最初の仲間ウォズまでがアップルを去って行った。
1985年に アップルを追われ、結婚して妻子と暮らしていたスティーブは、11年後の1996年に 顧問としてアップルに復帰した。翌年、暫定CEOに就任したスティーブは、古参の重役たちを解雇し、最悪の状態の社を率いて新しい一歩を踏み出すのだった。
映画としてはジョブズが復帰した所までで、2012年09月 アップルが株式時価総額で世界一になった事をクレジットで伝えて終わる。~wiki
映画『スティーブ・ジョブズ』予告編
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