スタート地点の小父さんのコース案内。シーボルトが描いたスケッチ を拡大コピーして「石の宝殿」の説明
今日はカンカン照りじゃなくってラッキーだった。35名の参加者があり文字通りお喋りしながらの「ぶらり歩き」。 夕べの資料を検索していたら
古墳時代から現代に至るまで、市内で産出されている石材・竜山石(たつやまいし)を採石した形跡がみられる、総面積67万平方メートル、162か所におよぶ遺構である。このうち、竜山(たつやま)と宝殿山(ほうでんやま)にまたがる約11万平方メートル、31か所については、「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」として、他の史跡群とともに国の史跡に一括指定された。古代以前の採石遺跡としては、初の国指定史跡である。
竜山石(たつやまいし)は、加工に適した強度と粘りを有する凝灰岩(火山から噴出された火山灰が地上や水中に堆積してできた岩石)である。採石場の近くを流れる法華山谷川(洗川)からの舟運で西日本各地に運ばれ、時代を問わず建築物や石仏等に利用された。古墳時代中後期の長持形石棺・家形石棺、奈良時代の平城宮および恭仁宮の礎石、近代の旧造幣寮貨幣鋳造所、住友ビルディング、名古屋市公会堂の外壁が知られる。
文化財修復用の石材としても利用される。姫路城の石垣、鳥取藩主池田家墓所の玉垣、山本能楽堂などが知られる。~wiki
そんな予備知識もできた。巨岩と大正天皇の行幸碑もある山上公園が見晴らしがよかったからか、参加者に喜んでいただいたようだ。
神社拝殿直下の急階段、行きはほとんどの人が廻り道したが、帰りはこの階段を下りる人が多かった。
急なのと一段一段の踏み面が狭いためけっこう危険だ。
今日はカンカン照りじゃなくってラッキーだった。35名の参加者があり文字通りお喋りしながらの「ぶらり歩き」。 夕べの資料を検索していたら
古墳時代から現代に至るまで、市内で産出されている石材・竜山石(たつやまいし)を採石した形跡がみられる、総面積67万平方メートル、162か所におよぶ遺構である。このうち、竜山(たつやま)と宝殿山(ほうでんやま)にまたがる約11万平方メートル、31か所については、「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」として、他の史跡群とともに国の史跡に一括指定された。古代以前の採石遺跡としては、初の国指定史跡である。
竜山石(たつやまいし)は、加工に適した強度と粘りを有する凝灰岩(火山から噴出された火山灰が地上や水中に堆積してできた岩石)である。採石場の近くを流れる法華山谷川(洗川)からの舟運で西日本各地に運ばれ、時代を問わず建築物や石仏等に利用された。古墳時代中後期の長持形石棺・家形石棺、奈良時代の平城宮および恭仁宮の礎石、近代の旧造幣寮貨幣鋳造所、住友ビルディング、名古屋市公会堂の外壁が知られる。
文化財修復用の石材としても利用される。姫路城の石垣、鳥取藩主池田家墓所の玉垣、山本能楽堂などが知られる。~wiki
そんな予備知識もできた。巨岩と大正天皇の行幸碑もある山上公園が見晴らしがよかったからか、参加者に喜んでいただいたようだ。
神社拝殿直下の急階段、行きはほとんどの人が廻り道したが、帰りはこの階段を下りる人が多かった。
急なのと一段一段の踏み面が狭いためけっこう危険だ。