写真はスタート地点の土山駅でのコース説明
今日は朝、小さな雨粒が落ちていたせいか参加が23名と少なかった。紅葉も快晴ならばとても気持ちがいいものだが曇天。でも知らず知らずのうちにいい汗をかいていた。今年度の歩こう会は来年の2月の全6回で終わりだ。下は今日の原稿。
おはようございます。ぶらり歩こう会の地図は毎回所長に作成していただいていますが、お手元の地図の右側から播磨町を眺めているのは、ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)という人で1837年に播磨町古宮(こみや)に生まれて、13歳の時に船で江戸に行き、その帰りに暴風雨にあって52日間太平洋を漂流して米国船に救助されて、サンフランシスコに連れていかれて民主主義やカトリックも学び米国市民権もとった人です。帰国して日本で最初の新聞と言われる海外新聞を発刊したそうです。
今日は、ここJR土山駅から国の史跡である大中遺跡まで歩き、帰りは少し南に下がって土山駅まで戻る約5km、万歩計で8000歩くらいのコースで、12:30の解散予定です。
ここを出発したらすぐに地図の「であいのみち」に入りますが、ここは多木製肥所(現在の多木化学)の初代社長が別府港と土山駅をそれまでは、作っていた人造肥料を荷車で土山駅か加古川駅まで運んで貨車に積み込むか、別府港から神戸港まで船積みしていたために軌道建設を思い立った別府鉄道の跡地です。鉄道は1923年(大正12年)に営業が始まり1984年(昭和59年)に廃止されています。
今NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」では群馬県から生糸を運ぶための鉄道建設、また朝ドラの「あさがきた」では北九州の石炭で蒸気機関車を走らせる話が出てきたので面白いなと思ったところです。
今日の主たる目的地の大中遺跡は弥生時代中期から古墳時代中期の代表的な遺跡で敷地内には復元された茅葺の住居が5棟ありますが、いろいろな形の竪穴住居跡が約60棟発見されたそうです。この遺跡は、昭和37年に付近の中学生により発見されたと記されています。
今日は夕べの前夜祭から始まった第25回 大中遺跡まつりも開催されています。この場所で今日の集合写真の撮影を予定しております。が、先に県立考古博物館の展望台にも上がりたく思います。階段で登るとかなりきついです。エレベーターがありますが2回に分けて登ることになると思います。
全体の工程では最初が野添北公園、五重塔がある園満寺(えんまんじ)、喜瀬川にかかっているつり橋型のメロディー橋「ふるさと橋」(音響板をたたくと唱歌「ふるさと」を奏でます)を渡ると大中遺跡公園に到着です。遺跡の出発予定が11:10です。それから喜瀬川沿いに下ると右手に去年も日岡山公園の途中でまた10月3日の鶴林寺に行く途中に少し見えた新井(しんゆ)疎水の埋樋(うずみび・うめどい)がありますが、何でも喜瀬川の下を横切っている水路だそうです。
それから野添住吉神社と愛宕塚古墳の前を通って左に曲がると土山駅に抜ける大通りに出て、後ろの「物見やぐら」が見えはじめます。
今日は朝、小さな雨粒が落ちていたせいか参加が23名と少なかった。紅葉も快晴ならばとても気持ちがいいものだが曇天。でも知らず知らずのうちにいい汗をかいていた。今年度の歩こう会は来年の2月の全6回で終わりだ。下は今日の原稿。
おはようございます。ぶらり歩こう会の地図は毎回所長に作成していただいていますが、お手元の地図の右側から播磨町を眺めているのは、ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)という人で1837年に播磨町古宮(こみや)に生まれて、13歳の時に船で江戸に行き、その帰りに暴風雨にあって52日間太平洋を漂流して米国船に救助されて、サンフランシスコに連れていかれて民主主義やカトリックも学び米国市民権もとった人です。帰国して日本で最初の新聞と言われる海外新聞を発刊したそうです。
今日は、ここJR土山駅から国の史跡である大中遺跡まで歩き、帰りは少し南に下がって土山駅まで戻る約5km、万歩計で8000歩くらいのコースで、12:30の解散予定です。
ここを出発したらすぐに地図の「であいのみち」に入りますが、ここは多木製肥所(現在の多木化学)の初代社長が別府港と土山駅をそれまでは、作っていた人造肥料を荷車で土山駅か加古川駅まで運んで貨車に積み込むか、別府港から神戸港まで船積みしていたために軌道建設を思い立った別府鉄道の跡地です。鉄道は1923年(大正12年)に営業が始まり1984年(昭和59年)に廃止されています。
今NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」では群馬県から生糸を運ぶための鉄道建設、また朝ドラの「あさがきた」では北九州の石炭で蒸気機関車を走らせる話が出てきたので面白いなと思ったところです。
今日の主たる目的地の大中遺跡は弥生時代中期から古墳時代中期の代表的な遺跡で敷地内には復元された茅葺の住居が5棟ありますが、いろいろな形の竪穴住居跡が約60棟発見されたそうです。この遺跡は、昭和37年に付近の中学生により発見されたと記されています。
今日は夕べの前夜祭から始まった第25回 大中遺跡まつりも開催されています。この場所で今日の集合写真の撮影を予定しております。が、先に県立考古博物館の展望台にも上がりたく思います。階段で登るとかなりきついです。エレベーターがありますが2回に分けて登ることになると思います。
全体の工程では最初が野添北公園、五重塔がある園満寺(えんまんじ)、喜瀬川にかかっているつり橋型のメロディー橋「ふるさと橋」(音響板をたたくと唱歌「ふるさと」を奏でます)を渡ると大中遺跡公園に到着です。遺跡の出発予定が11:10です。それから喜瀬川沿いに下ると右手に去年も日岡山公園の途中でまた10月3日の鶴林寺に行く途中に少し見えた新井(しんゆ)疎水の埋樋(うずみび・うめどい)がありますが、何でも喜瀬川の下を横切っている水路だそうです。
それから野添住吉神社と愛宕塚古墳の前を通って左に曲がると土山駅に抜ける大通りに出て、後ろの「物見やぐら」が見えはじめます。