本作は痴呆症(認知症および老年学)をいち早く扱った文学作品である。高齢者介護に奮闘する家族の姿は現代にも十分通じるものがあり、介護医療の難しさは不変であることを思い知らされる作品といえる。出版当時空前のベストセラーとなり、痴呆・高齢者介護問題にスポットが当てられることになった。その関心度の高さから「恍惚の人」は当時の流行語にもなった。
ベストセラーとして世に迎えられたが、文壇からは「あんなもの小説じゃない」との声や、丹羽文雄の『嫌がらせの年齢』には及ばないなどの批評があがったほか、文学賞選考からも外されるなどの冷遇を受け、有吉はショックを受けた。さらに印税1億円を老人ホームに寄付しようとしたところ多額の贈与税を課されることが分かり、有吉は新聞広告を打ってその不合理を訴えた。
刊行後34年を経た現在(2006年)と比べると、仕事を抱えながら自分が茂造の面倒をほぼ一手に見ることについて、嫁の昭子が不満を抱くだけで結局はそのまま破綻をきたさないところに時代状況の違いが見られる。また認知症になった茂造が不可解な「他者」として描かれ、その内面心理の動きに全く関心が払われないところは、現在の認知症介護の観点からすると問題を含むであろう。(ウィキペディア)
左は1973年の映画での森繁久彌と高峰秀子。右は2006年のテレビ制作の打ち合わせか?三宅祐司・三國連太郎・(ひとりおいて)竹下景子
いやはや、また強烈な本に出くわした。1972年(昭和47)に出た本だが、『恍惚の人』というタイトルだけは知っていた。
雪の日、昭子は法律事務所の仕事の帰り食料品を買い込み家に帰ろうとしたら、血相を変えて老人がオーヴァーもなしで傘もささず歩いているのに行き違う。それが義父であり家に連れて帰り庭続きの義母(75歳)とのお離れに別れる。昭子は掃除洗濯夕飯の用意をしていると、台所の硝子窓を叩いて義父がやって来て「婆さんが起きてくれないものだから、私は腹が空いてかなわんのです。・・・いくら言っても起きてくれません」と。なんと義母はこの時すでにお離れで亡くなっていた。
これが物語の始まりなんだな。これから312ページの痴呆老人(84歳)と昭子(40歳代)の介護、50歳代の仕事人間の夫と高校生の一人息子の生活が書き連ねてある。
半ばすぎまではとても暗いが読むのを止められない。なんだか身内にでも起こりそうな題材であるし、このようには成りたくない痴呆老人が自分の行く末のような錯覚も覚えた。老人クラブ、老人福祉主事、老人ホーム、徘徊、精神病院、たび重なる医師の往診と今の世の中を予見したような題材は、こうして40年も前に小説として書き記されているこには驚嘆した。
舅であるお爺ちゃんは、昔は嫁をいびり倒していたらしく、この物語のはじまり頃には息子のことも認識できないのに、嫁の昭子だけをあてにする生活から、最後には言葉は「もしもし」だけで、反応は笑みのみになった。ある時、人格欠損な驚天動地の出来事があった後に昭子の説明とお爺ちゃんが診察を受けると、医師は「そうですか、大分戻られたようですね。」という表現をした。読んだ時にピンとこなかったのだが、この言葉にこのお爺ちゃんのすべて集約されていることに後で気づいた。
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