発信箱:親家片(おやかた)=小国綾子
毎日新聞 2014年05月13日 00時18分(最終更新 05月13日 00時21分)
近所の書店のベストセラー棚を見て、驚いた。「親の家を片づける」「親の家をどう片づける」など、似たタイトルの類書が何冊も平積みになっている。本の帯にはセンセーショナルな言葉。 「今、団塊世代以降を次々に襲う、新しくて、大きな問題」。人ごとではないぞ、と大型連休で実家に帰省したばかりの人などはぎくりとするに違いない。私も吸い寄せられるように手に取った。
「親家片」と書いて「おやかた」と読む新語までできているらしい。親が施設に入る時、認知症を患った時、あるいは亡くなった時、40〜60代は膨大なモノの詰まった親の家の片付けに直面する。亡き親の思い出が深過ぎて何も捨てられず、何年もかかってしまう人、「どうしてこんなにゴミが!」と捨てたがらない親と衝突し、親子関係を悪くしてしまう人、親を説得し、捨てさせたは良いものの、親を亡くした後、罪悪感を引きずる人。中には、亡き親の大量の荷物を夫が自宅に持ち込んだせいで夫婦げんかに発展したり、兄弟姉妹とトラブルになったりすることもあるという。
結局、「親家片」はただの片付けではないのだ。戦中戦後の貧しい時代を生き「もったいない」と捨てられない老親の思いが痛いほど分かるからこそ、捨てるのは難しい。自分の親だから割り切れない。そして許せない。
私にもその日はやってくる。大阪の家をいつか妹と片付けるのだろう。「親家片」を通して子供は親と出会い直すのかもしれない。小さな長屋での新婚生活の邪魔にならぬよう、わざと小さく仕立ててもらったという50年前の母の嫁入りだんすを、私は捨てられるのだろうか。
颯颯(さっさつ)さん、我々世代が今からの世の中でもまた主役に踊り出でそうですね!(笑)。昨年の暮れ85歳で亡くなった兄が、先に旅立った義姉と過ごした家の荷持つ必死に減らしていたことを思い出す。兄には子供がいないのでいろいろ努力をしていたが、「簡単には片付けられないよ〜」というのが口癖だった。
とは言うもののある時訪ねたら、キッチンとテーブルの部屋にその隣の部屋は空っぽだったんだな〜。小父さん自身も今ガラクタ?がどんどん増えて行っているけど不要なものは処分しておいてあげるのが親切というものなんだな!
はっはっはっは、「断捨離(だんしゃり)」という言葉をやっと覚えたと思ったら、今度は親家片(おやかた)か!「団捨離(団塊の世代を捨て、社会から切り離そう)」なんて言われはじめなければいいが・・・。せいぜい若い人たちの邪魔にならないように生きて行くとするか〜。
しかし、この「親家片(おやかた)」は深いね〜。