写真はブログ走れ!ぷぅこからお借りした
しあわせのトンボ:光る海辺の公園にて=近藤勝重
毎日新聞 2014年02月07日 東京夕刊
2月初めの春めいた日の午後、電車に乗って海辺の公園に出かけた。緑も多い公園だが、今は落葉の林にも日がくまなく差し込んでいる。そのぶん広々として、めっぽう明るい。
芽が兆す桜やほつほつと花をつけ始めた梅林の周辺のベンチには、高齢の男性が腰を下ろしている。首をかしげて近寄るハトに声をかけ、何羽も集まってくると、パンくずを与えている人がいる。また見れば、野鳥を撮るのだろう、カメラを手にした人もいる。以前、野良猫を抱きかかえ、その猫と同じように目を閉じている人がいたが、この日は見かけなかった。
みんな思い思いの時間を過ごしているのだろうが、胸中の感情までは読み難い。定年後の居場所を求め、この公園に来ている人もいることだろう。その人たちの中には、ほの見えてきた老いと孤独にうろたえている人だっているかもしれない。逆に、組織や人との結び目を解いて、やっと味わう解放感に浸っている人だっているだろう。しかしそんな安らぎも、やがては退屈極まりなくなったとしたらどうなるのか。元に戻りたい。いや二度とご免と思うかどうか。
こちらの想像はとりとめがないが、確かなことはハトの群れや、その周囲で跳びはねているスズメのほか、ヒヨドリ、ムクドリ、さらには野良猫といった生き物たちと共に彼らがいるということだ。
人間、いかに生きるか、などと聞いたふうなことはともかく、人生に何を求めるかは人それぞれであろう。それはそれで大切なことに思えるが、人間もまた自然界の生き物である以上、生きようとするのは本能に違いない。そうだとすると、生の果てる時に実感できるのは、人生はどうであれ「生きた」という生き物感覚に凝縮されるのではなかろうか。
ふと、そんな思いにとらわれてベンチの人を眺めると、彼らが豊かな自然と共に自然な姿で生きているように思えてならなかった。
鳥たちが春まだ浅い海を渡っていく。波が乱舞する光の子のように見える。そうか、生きているということはこの明るさ、この光なんだな、とそんなことも思わせられた。(専門編集委員)
※き‐ざ・す【兆す/×萌す】・・・草木が芽を出す。芽生える。「新芽が―・す」
こんな時間も持たなければいけないな!仕事を離れて7年弱、いろんなことで時間を潰してきた。春になったら写真の舞子公園に出掛けてみよう!
しあわせのトンボ:光る海辺の公園にて=近藤勝重
毎日新聞 2014年02月07日 東京夕刊
2月初めの春めいた日の午後、電車に乗って海辺の公園に出かけた。緑も多い公園だが、今は落葉の林にも日がくまなく差し込んでいる。そのぶん広々として、めっぽう明るい。
芽が兆す桜やほつほつと花をつけ始めた梅林の周辺のベンチには、高齢の男性が腰を下ろしている。首をかしげて近寄るハトに声をかけ、何羽も集まってくると、パンくずを与えている人がいる。また見れば、野鳥を撮るのだろう、カメラを手にした人もいる。以前、野良猫を抱きかかえ、その猫と同じように目を閉じている人がいたが、この日は見かけなかった。
みんな思い思いの時間を過ごしているのだろうが、胸中の感情までは読み難い。定年後の居場所を求め、この公園に来ている人もいることだろう。その人たちの中には、ほの見えてきた老いと孤独にうろたえている人だっているかもしれない。逆に、組織や人との結び目を解いて、やっと味わう解放感に浸っている人だっているだろう。しかしそんな安らぎも、やがては退屈極まりなくなったとしたらどうなるのか。元に戻りたい。いや二度とご免と思うかどうか。
こちらの想像はとりとめがないが、確かなことはハトの群れや、その周囲で跳びはねているスズメのほか、ヒヨドリ、ムクドリ、さらには野良猫といった生き物たちと共に彼らがいるということだ。
人間、いかに生きるか、などと聞いたふうなことはともかく、人生に何を求めるかは人それぞれであろう。それはそれで大切なことに思えるが、人間もまた自然界の生き物である以上、生きようとするのは本能に違いない。そうだとすると、生の果てる時に実感できるのは、人生はどうであれ「生きた」という生き物感覚に凝縮されるのではなかろうか。
ふと、そんな思いにとらわれてベンチの人を眺めると、彼らが豊かな自然と共に自然な姿で生きているように思えてならなかった。
鳥たちが春まだ浅い海を渡っていく。波が乱舞する光の子のように見える。そうか、生きているということはこの明るさ、この光なんだな、とそんなことも思わせられた。(専門編集委員)
※き‐ざ・す【兆す/×萌す】・・・草木が芽を出す。芽生える。「新芽が―・す」
こんな時間も持たなければいけないな!仕事を離れて7年弱、いろんなことで時間を潰してきた。春になったら写真の舞子公園に出掛けてみよう!