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The・経営者:密着 トヨタ自動車・豊田章男社長/上(その1) 創業家出身、孤独と覚悟 毎日jp

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愛知県豊田市の元町工場を視察する豊田章男社長(右から3人目)=2013年7月13日、米川直己撮影 

   

The・経営者:密着 トヨタ自動車・豊田章男社長/上(その1) 創業家出身、孤独と覚悟
毎日新聞 2013年09月02日 東京朝刊

◇どうせなら、会社守って死んだるわ
「社長を続けられない、と思ったこともある」。8月26日、豊田章男(とよだあきお)・トヨタ自動車社長(57)の自宅で2009年6月の社長就任以来の思いをたずねると、こんな答えが返ってきた。「社長になるまで僕はいろんなことを知らされていなかったんじゃないかと思った」

 祖父は創業者の豊田喜一郎、父は経団連会長も務めた豊田章一郎名誉会長(88)。社内で気を使われ続けてきたことを豊田は「入社以来、アンタッチャブルな存在だった」と表現し、笑ってみせた。「創業家のお坊ちゃま」というレッテルは常についてまわった。豊田個人を批判する雑誌報道もあった。豊田はずっと孤独を感じてきた。「番頭のような人が欲しかった」

 社長就任直後から、米ゼネラル・モーターズ(GM)との合弁工場の閉鎖決定(09年8月)、自動車レースF1からの撤退(同11月)と、「やめるとか、撤退とか、誰も喜ばない決断が多かった。文句は言われても、誰もよくやったとは言ってくれない」と振り返る。ただ、一方で「責任を取ることと、決めること。これが社長の役割なんだと思い知らされたのは成果だった」という。

 社長に就任する直前の09年5月、トヨタは71年ぶりの営業赤字(4610億円)転落を発表。リーマン・ショックの影響が続き、円高も進行、原材料価格も高騰し、経営環境は悪化していた。世界1位をトヨタと争っていたGMさえ経営破綻した。

 そんな中、米国での大規模リコール(回収・無償修理)問題が起きる。09年8月、カリフォルニア州で起きたトヨタの高級ブランド、レクサス車による死亡事故が発端だ。豊田も10年2月24日、米議会の公聴会に出席し、それまで彼の人生で経験したことのない非難、叱責を浴びた。

 当時を関連会社首脳がこう振り返る。「対応を一歩間違えば大変なことになったかもしれない。しかし、逃げれば済む、という状況ではなかった」。豊田は「米国で直接、安全性を訴えるしかない」と、自ら渡米を訴えたが、社内やOBからは難色を示す声が出た。就任1年に満たない社長では不安だったのか。「あの時は僕をつぶすのが目的だとも思った。どうせなら、会社を守って、ずばっと死んだるわ、という感覚だった」。当時を思い出す口調は、温厚な相貌には似合わないほど強いものだった。

豊田は「間違いなく、トヨタ存亡の機だった」と言い切る。「でも、トップの仕事は会社を守ること。試練があったのはよかった。そこが出発点だった」

       ◇

 12年に世界で975万台を販売し世界一に返り咲いたトヨタ。13年3月期連結決算で、5年ぶりに1兆円を超える営業利益(1・32兆円)を達成し、復活を遂げた。「ここ数年で、僕自身も変わったと思う」と豊田。しかし、道のりは平たんではなかった。社長就任前から4年強、密着してきた記者が報告する。(敬称略)

<続きはこちら>密着:トヨタ自動車・豊田章男社長/上(その2) 桜に誓う「再出発」



 ほう、もう社長就任から4年も過ぎたのか!社長になりたての頃は、フォミュラーレースなんかに出るってんで遊んでいるのかい?なんてこのブログにも書いたけど荒波を乗り越えて来た人の話は重みを感じて興味深い。小父さんもオーナーがトップにいる会社に勤めていたのでついついイメージが重なってしまう。

 品質最優先なんて、今やテレビ人気NO1の「半沢直樹」を書きおろした池井戸潤氏の小説にこのテーマがたくさん出てくる。そうだよね、日本発のメーカーの製品こそそれが売り物だと思う。

 でも、今の日本は過当競争で価格破壊の為のコストダウンで品質も低下して行っているのも事実ではないだろうか。豊田章男社長(57歳)さん、池井戸潤(50歳)さん、どうか明日の日本も引っ張って行ってくださいね。 


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