毎日新聞 2013年06月22日 大阪夕刊
兵庫・播州地方に夏の訪れを告げる「姫路ゆかたまつり」が今夕はじまる。250年以上前の夏至のこと。風流大名と呼ばれた当時の姫路城主・榊原政岑(まさみね)が、城内にあった長壁(おさかべ)神社を現在の姫路市立町に分社して祭り、「領民も気楽に浴衣で……」と促したのが由来という。
24日までの期間中、日が落ちる前から多くの浴衣が通りを彩る。浴衣姿なら、姫路城をはじめ西隣の庭園、動物園や美術館常設展などの入場が無料に。周辺のバス運賃半額、映画は1000円で楽しめる特典も。露店数約800は西日本一の規模。開幕を飾る走馬灯を手にした子たちのパレードもほほ笑ましい。
十数年前、姫路に赴任。あの街で一番好きだったのがゆかたまつりだ。姫路城撮影を天職とし、昨年10月に70歳で亡くなった地元写真家、北村泰生(たいせい)さんの話が心に残る。「私の写真は常にお城が主役。でも、ゆかたまつりは人が主役でお城は遠景。作品に幅を持たせてくれます」
今は平成の大修理中で大天守は見えないが、懐かしさが募る。街並みも変わったろう。夕刊勤務が明けたらその足で、久方ぶりに訪ねてみようか。【広田正人】
「姫路ゆかたまつり」の長壁(おさかべ)神社は2度くらい参ったことがあったかな。一度目は一人で、二度目は確かかみさんと(笑)。大勢の人ごみの中を行列して進むと、小さな小さなお社があった。まあ、お社が大きくてもみんなの楽しみは露天の方が多いが、今考えるととても素朴で庶民のためのお祭り感は強い。いいお祭りだ!
由 緒
当神社の御祭神二柱は、刑部親王とその王女の富姫である。今より遠く一千余年の昔、姫路域の位置する姫山に、地の神として祀られた。刑部親王は皇位継承問題に関して、藤原百川の諷言により、皇太子の地位を廃せられた方で、富姫はその皇女である。幼き頃より、永く姫山の地に住まれ、ここで逝去された。以後二人は、姫山の地の守護神として、この処に祀られた。代々の守護職、国司から厚い保護を受け、一般の人々からも厚い尊敬を受けた。
豊臣秀吉、池田輝政が姫路城を築き、地神様の長壁袖社は、鎮座地が城内となり、一般庶民の参拝は不可能になった。江戸時代の姫路城主、榊原政岑公は、越後の高田への転封に際し、立町の地に長壁禅社の御分霊を祀り、庶民も気楽に、ゆかた姿で祭祀に参加してよいとのお達しをした。以後、姫路の地は6月22、23、24日の夏至の日の長壁神社の祭礼の日から、ゆかたを着る慣わしとなった。姫路の町の夏の空高く神前に名物のまわりとうろうを奉献し、千軒の露店が町中をうめ、ゆかた姿の母親と幼稚園児が城内の本宮から立町長壁神社まで幼児行列を行う。(兵庫県神社庁)から
兵庫・播州地方に夏の訪れを告げる「姫路ゆかたまつり」が今夕はじまる。250年以上前の夏至のこと。風流大名と呼ばれた当時の姫路城主・榊原政岑(まさみね)が、城内にあった長壁(おさかべ)神社を現在の姫路市立町に分社して祭り、「領民も気楽に浴衣で……」と促したのが由来という。
24日までの期間中、日が落ちる前から多くの浴衣が通りを彩る。浴衣姿なら、姫路城をはじめ西隣の庭園、動物園や美術館常設展などの入場が無料に。周辺のバス運賃半額、映画は1000円で楽しめる特典も。露店数約800は西日本一の規模。開幕を飾る走馬灯を手にした子たちのパレードもほほ笑ましい。
十数年前、姫路に赴任。あの街で一番好きだったのがゆかたまつりだ。姫路城撮影を天職とし、昨年10月に70歳で亡くなった地元写真家、北村泰生(たいせい)さんの話が心に残る。「私の写真は常にお城が主役。でも、ゆかたまつりは人が主役でお城は遠景。作品に幅を持たせてくれます」
今は平成の大修理中で大天守は見えないが、懐かしさが募る。街並みも変わったろう。夕刊勤務が明けたらその足で、久方ぶりに訪ねてみようか。【広田正人】
「姫路ゆかたまつり」の長壁(おさかべ)神社は2度くらい参ったことがあったかな。一度目は一人で、二度目は確かかみさんと(笑)。大勢の人ごみの中を行列して進むと、小さな小さなお社があった。まあ、お社が大きくてもみんなの楽しみは露天の方が多いが、今考えるととても素朴で庶民のためのお祭り感は強い。いいお祭りだ!
由 緒
当神社の御祭神二柱は、刑部親王とその王女の富姫である。今より遠く一千余年の昔、姫路域の位置する姫山に、地の神として祀られた。刑部親王は皇位継承問題に関して、藤原百川の諷言により、皇太子の地位を廃せられた方で、富姫はその皇女である。幼き頃より、永く姫山の地に住まれ、ここで逝去された。以後二人は、姫山の地の守護神として、この処に祀られた。代々の守護職、国司から厚い保護を受け、一般の人々からも厚い尊敬を受けた。
豊臣秀吉、池田輝政が姫路城を築き、地神様の長壁袖社は、鎮座地が城内となり、一般庶民の参拝は不可能になった。江戸時代の姫路城主、榊原政岑公は、越後の高田への転封に際し、立町の地に長壁禅社の御分霊を祀り、庶民も気楽に、ゆかた姿で祭祀に参加してよいとのお達しをした。以後、姫路の地は6月22、23、24日の夏至の日の長壁神社の祭礼の日から、ゆかたを着る慣わしとなった。姫路の町の夏の空高く神前に名物のまわりとうろうを奉献し、千軒の露店が町中をうめ、ゆかた姿の母親と幼稚園児が城内の本宮から立町長壁神社まで幼児行列を行う。(兵庫県神社庁)から