毎日新聞 2013年06月07日 東京夕刊
◇ハッピーの伝道師、次なる挑戦は農園
日本で暮らして25年。「ちょいワルおやじ」が代名詞となったパンツェッタ・ジローラモさんの新たな挑戦は野菜づくり。今、山梨県内で貸農園を準備中だ。「多くの地元の人たちに使ってもらい、みんなでわいわいやりたい」。自分も畑に入り、取れた野菜は朝市に出す計画とか。
真っ赤なイタリア車を乗り回し、しゃれたレストランでワイングラスを傾けながら女を口説く−−都会的なイメージそのものの男がシャツの胸をはだけた格好で土を耕すのだろうか。うそだろう?と疑問を抱き、なぜ?と聞いた。
「ハッピーでいることね、そのことをもっと広めたいから」。会話に「ハッピー」を何度もちりばめながら、「人生で一番大事なことだと思っているんだ。仕事ではお金を考えざるを得ないけど、お金、お金だけでは人間がおかしくなっちゃう」。
その先に見えてきたのが、仲間を募って自然を満喫する農園らしい。
サッカー少年だったジローラモさんが初めて日本を訪れたのは1986年。その9年前に亡くなった父親の友人から一緒に行かないかと誘われた。2週間の滞在だったが、思い描いていた「侍の国」とまったく違う日本に興味を覚えるには十分だった。いったん帰国。父親が経営していた建築会社は兄が継いでいる。「イタリアには守るものがなかった」。日本人女性との結婚がイタリアを飛び出すことを決断させ、2年後に再来日した。「人間関係は厳しい環境の中から生まれてくるのではなくて、ハッピーな雰囲気のなかにこそ、いい関係が待っていると思うんですよ」。根っからのポジティブ人間の持論である。
パンツェッタ・貴久子夫人
民放のサッカー番組で解説したのがきっかけで、NHK教育テレビのイタリア語講座に出演。「みている人をハッピーにするため、人の家に上がりこむように話しちゃった」。お堅い教師がまじめに外国語を教えるスタイルの語学番組が普通だったころ、ジローラモさんのやり方は斬新だったに違いない。番組は人気を博した。
ファッション好きのジローラモさんはカジュアルで派手な自前の服で出演した。その姿がファッション関係者の目に留まり、2001年創刊の男性雑誌「LEON」(主婦と生活社)のモデルの仕事につながった。ハッピーな雰囲気に結果がついてきた。時はITバブルの香りがプンプンするころ。40代でお金のある男性の生き方を提案していったら、それがちょいワルおやじだった。
「おしゃれしたい、もてたいということに男だとか女だとか、年だとかは関係ない。なのに、日本ではそれを出さないようにしている男性が多いね。でも、飲んでいるとき、知らないおじいさんにキスされたことがある。ジローラモさんのおかげで変わることができたよって。やろうと思えば、だれでもできること」
ちょいワルおやじは「ハッピー」の伝道師なのだ。
その彼が50歳に。ワルのぎらついた色気は、シワ深い顔に落ち着きつつあるようだ。取材の際、女性が髪留めに使うピンクのゴムが左手首にしてあった。「アクセントになってかわいいでしょ」。年を重ねてもちゃめっ気はたっぷり。
故郷アベッリーノの山あいの風景が重なるという山梨の農園は、ただのおやじになることに満足しない男の挑戦だ。デフレのせいか引きこもりがちになった日本人に「ハッピー」な生き方を忘れるな、と言っているような気がしてならない。
どんな“ちょいワル農園”になるのか、楽しみだ。【内野雅一】
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■人物略歴
◇Panzetta Girolamo
1962年イタリア南部アベッリーノ生まれ。ナポリ建築大学で学び、歴史的建築物の修復に携わる。近著に「イタリア人式楽観思考法」。
なるほどね〜。小父さんに何か足りないと思ったらこの“ちょいワルさ”だな(笑)。デニムのズボンに紺のブレザーで白シャツね。でもイタリア人みたいに歯の浮くようなご婦人口説きなんて一朝一夕には真似できないし・・・。
うん、ジローラモさんみたいに適当に生きなければ!いつも鏡見てファッションから入門するか。しかし、菜園をやっている人は本当に多くなったね。近所の知人も3人畑やっていて、自治会の寄り合いの時なんかにいつもお土産に野菜を貰うし、このブログに来られるpinkyさん、shoppgirlさんもブログ上で菜園の紹介がある。菜園やったら持てるかな?ちょっと動機が不純だな(爆)。