Quantcast
Channel: 小父さんから
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4332

水説 / 熊本から能登へ=元村有希子 / 毎日新聞

$
0
0
火災があった現場で行方不明者らを捜索する警察官ら=石川県輪島市で2024年1月9日午後1時23分、本社ヘリから西村剛撮影

毎日新聞 2024/1/10 東京朝刊

<sui-setsu>

 元日に能登半島を襲った地震は、海底の活断層で起きた破壊が連鎖したとみられている。その範囲は100キロ以上に及ぶ。

 3年前から正体不明の群発地震が続いていた。昨年5月には震度6強の揺れに見舞われた。だが今回はケタ違いの規模だった。被害の全容はいまだ見えない。

 100年間に3度の震災から立ち直った経験をもってしても、救援は思うにまかせない。半島という地形が災いし、自衛隊も、要請を待たず大量の物資を届ける「プッシュ型支援」も滞りがちだ。そもそも現地からの情報が極めて少なく、もどかしさが募る。

 IT企業社長の平野洋一郎さん(60)は5日早朝、車で能登へ向かった。人工衛星を使ったインターネット接続システム「スターリンク」を届けるためだ。

 イーロン・マスク氏率いるスペースX社の通信サービス。大がかりな地上設備が不要で、戦下のウクライナやパレスチナ・ガザ地区で活用されている。

 会社で購入した1台が長野県内のオフィスにあった。平野さんはたまたま、そこで仕事始めを迎えていた。個人的に関わる民間団体「助けあいジャパン」を通じて石川県能登町から依頼され、押っ取り刀で持ち出した。

 レンタカーに「防災活動車」と掲示し能登へ。カーナビは使えず、道路のあちこちが片側交互通行となり渋滞が起きていた。

 普段なら6時間の道のりを12時間かけ、役場にたどり着いたのは深夜。会議室で仮眠し翌日、避難所となった小木中学校の運動場にアンテナを設置した。

 避難所の人々は災後5日にしてようやく「情報砂漠」を脱し、安否や近況を遠方の知人に知らせることができた。

 情報は水、電気と並ぶインフラだ。通信環境があれば、避難所ごとに異なる物資の不足や広範囲の被災状況が瞬時に共有され、より的確な支援が可能になる。

 「誰にも得意分野がある。自分にできることを考え、動くことが大切。それが恩返し、恩送りじゃなかね?」と平野さん。

 熊本出身。8年前に古里が地震に襲われたとき、全国から寄せられた善意を忘れない。能登町と平野さんをつないだ「助けあいジャパン」は東日本大震災直後に発足した。公的支援からこぼれ落ちるきめ細かい要望に応え、「災害関連死ゼロ」を目指す。

 救える命を守り、困りごとや孤立を減らし、さらに次の災害への備えに生かせるか。世界有数の地震大国は、本当の「つよさ」を試されている。(論説委員)


 有難い話です!被災地に身内や知人がいるわけではないのだが、正直なところ私は震災関連のニュースを観ていたらパニック状態になる。

 上記に「100年間に3度の震災から立ち直った経験」とあったがピンと来なかったので検索してみた。たぶん「1923年 関東大震災 マグニチュード7.9 山梨県東部、または神奈川県西部、または相模湾 最大震度6 死者・行方不明者 10万5千人余」、「1995年 阪神・淡路大震災 7.3 兵庫県淡路島北部沖 7 死者 6,434人 行方不明者 3人」以上、住宅構造研究所から。「2011年 東日本大震災 マグニチュード9.0 死者約1万5千人、行方不明者約7千5百人(震災から3ヶ月を超えた6月20日時点)内閣府のページから」この三つを指すのだろう。住宅構造研究所の大地震を見ると数えきれない程の地震が起こっていることに驚く。

 なにはともあれ、能登半島を襲った地震の被災者の方々が一日でも早く落ち着かれることを祈ります。その先に震災復興という大問題があるわけですね。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 4332

Trending Articles