ショーン・ヘプバーン・ファーラーさんと生前のオードリー=東北新社提供
毎日新聞 2023/9/16 12:00
往年のハリウッドスター、オードリー・ヘプバーン(1929~93年)が没して今年で30年。「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」、「ティファニーで朝食を」といった映画史に残る名画への出演だけでなく、ジバンシィなどのファッションアイコンやユニセフ親善大使といった多彩な顔を持つ。そんなオードリーに最も身近に接していた一人が、長男のショーン・ヘプバーン・ファーラーさん(63)だ。映画製作者で著述家でもあるショーンさんが、「ローマの休日」の4Kレストア版の日本での公開に合わせ、イタリア・フィレンツェの自宅から毎日新聞のリモートインタビューに応じ、素顔の母について語ってくれた。
「母が贈ってくれた最も美しいプレゼントの一つが、私のために俳優業を一時中断してくれたことです」。開口一番、ショーンさんは明かした。60年7月、オードリーと俳優、メル・ファーラー(17~2008年)との間に、ショーンさんは生まれた。ちょうどオードリーが「尼僧物語」(59年)や「許されざる者」(60年)といった佳作に出演していたころだ。出産翌年、「ティファニーで朝食を」(61年)でハリウッドに復帰し、「シャレード」(63年)や「マイ・フェア・レディ」(64年)といった名作が銀幕を飾るも、その出演歴は「暗くなるまで待って」(67年)で一旦途切れる。
「実は、私が学校に通い始めたため、撮影現場へ連れて行けなくなってしまったのです。その際、彼女はフルタイムで母親業に専念する決断を下しました。ハリウッドの女優であっても、母、妻、そして料理人としてのタスクを同時にこなすスーパーウーマンであることが求められていた時代でした」
息子との時間を銀幕の中で生きるより大切にしたオードリーは、ショーンさんと向き合う際、いつも一人の大人として扱ってくれたという。「母は俳優として、『自分が相手の立場に立ったらどうだろうか』と考えるよう訓練されていました。だから、その姿勢は家庭でも同じで、お互いがお互いを尊重する対等な母と子の関係をとても大事にしていました」。一方的に、「これをしなさい、あれをしなさい」と指示することもなかった。「いつも『私だったらこうするけれど、どうするかはあなたの自由です』とアドバイスを受けました。私を信頼してくれていたのです」
普段の生活では声を荒らげることはなく、またその必要もなかったという。「母を前にすると、誰一人、不作法な振る舞いはできない雰囲気がありました」。ショーンさんはオードリーが放っていた独特のオーラをこう振り返る。オードリーの肖像権の日本窓口である東北新社が男女約1000人を対象に実施した最近のアンケート調査によると、彼女に対するイメージは「上品」「エレガント」「華麗」がトップ3を占めており、そのことを裏付ける。
オードリーの写真を背にするショーン・ヘプバーン・ファーラーさん=東北新社提供
ただし、オードリーはエレガンスを振りまくだけの女性ではなかった。「いつのころでしょうか、レストランで食事をしていると、ウエーターに失礼な態度をとった親戚の一人に対して、声を荒らげたことがありました。その時、私は初めて母の底知れぬパワーを知りました」とショーンさんは思い出す。「女性はスカートをはくのが当然だとされていた時代、母はズボンをはき、まるで日本刀のようにキレのいい明白な価値判断を持っていました。自立したタフな女性でもありました」
オードリーの内面に秘められた底知れぬエネルギーは、映画の配役にも影響を与えたとショーンさんは振り返りながら考える。「相手役が、本来キャスティングすべき俳優の年齢よりずっと年上なのです。そうでもしなければ、彼女のパワーに負けてしまうのです」
言われてみれば、「ローマの休日」では13歳年長のグレゴリー・ペック、「麗しのサブリナ」では29歳年長のハンフリー・ボガート、「昼下りの情事」では28歳年上のゲーリー・クーパーが、それぞれオードリーの相手役をつとめている。特にキャリア前半の20代のオードリーは親子ほど年齢が離れている男優との共演が目立つことに気付く。ほかに、フレッド・アステア(「パリの恋人」)、ケーリー・グラント(「シャレード」)、ピーター・オトゥール(「おしゃれ泥棒」)ら、オードリーと共演した偉大な俳優は少なくない。
「ローマの休日」より、オードリー・ヘプバーンのアン王女(左)とグレゴリー・ペックの新聞記者ジョー=TM&©2023 Paramaount Pictures.All Rights Reserved.
特に、ペックとは「家族のような仲だった」とショーンさんは明かす。そもそも、「ローマの休日」撮影時、まだ無名だったにもかかわらず、オードリーの名が主演としてペックの名とともにクレジットされたのは、彼の強い推しがあったからだとされている。以来、2人は強い友情で結ばれていた。
縁とは不思議なもので、ショーンさんが初めて大きなスクリーンで「ローマの休日」を見たのは、2016年に作品の舞台であるローマで開かれたペックの生誕100年イベントだった。同作が封切られた53年は自身の誕生前。少年時代を過ごした60年代、70年代は、現在のようにDVDやブルーレイ、ストリーミングサービスはなかった。
「ですから、自宅ではシーツをスクリーン代わりに張り、映写機でフィルムをまわして母の出演映画を楽しんでいました」。残念ながら、小さなスクリーンでは作品の細部まで楽しむことはできなかった。「ローマの大スクリーンで明確に映し出された母の顔の表情や動きを目にした時、彼女が米アカデミー賞主演女優賞を受賞した理由をようやく知ることができたのです」とショーンさんは感慨深げだ。今、日本で公開されている高精細な4K版なら、なおさらオードリーの魅力が分かるだろう。
「ローマの休日」より、オードリー・ヘプバーンのアン王女(左)=TM&©2023 Paramaount Pictures.All Rights Reserved.
日本といえば、「母はうどんが大好きでした」とショーンさんは教えてくれた。もともと彼女の好物は、自宅の庭で栽培したトマトを使ったスパゲティ・ポモドーロ。少なくとも週に1回は食卓に上ったという。皿の上で「パスタが泳いでいる」ほどたっぷりとしたソースが特徴だった。
パスタ好きのオードリーは来日した時、うどんを食べるためにホテルから抜け出したこともあるそうだ。まるで、「ローマの休日」で滞在先の大使館を抜け出したアン王女のように。【広瀬登】
長男のショーン・ヘプバーン・ファーラーさんの口からでた、母・オードリー・ヘプバーンの人間性がよく分かる。映画から感じるイメージは、まさにアンケート調査の「上品」「エレガント」「華麗」そのものだが、ユニセフ親善大使をやっていたオードリー・ヘップバーンのエチオピアやソマリアでの表情は別人に見えたよね。
記事に出ているオードリー映画はほとんど観ているということは、やはり私はファンなのかな?元気で居たら94歳のお婆ちゃんなのに。えっ、63歳で亡くなったのか!しわくちゃ顔の写真もよく見ていたのだが・・・。
毎日新聞 2023/9/16 12:00
往年のハリウッドスター、オードリー・ヘプバーン(1929~93年)が没して今年で30年。「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」、「ティファニーで朝食を」といった映画史に残る名画への出演だけでなく、ジバンシィなどのファッションアイコンやユニセフ親善大使といった多彩な顔を持つ。そんなオードリーに最も身近に接していた一人が、長男のショーン・ヘプバーン・ファーラーさん(63)だ。映画製作者で著述家でもあるショーンさんが、「ローマの休日」の4Kレストア版の日本での公開に合わせ、イタリア・フィレンツェの自宅から毎日新聞のリモートインタビューに応じ、素顔の母について語ってくれた。
「母が贈ってくれた最も美しいプレゼントの一つが、私のために俳優業を一時中断してくれたことです」。開口一番、ショーンさんは明かした。60年7月、オードリーと俳優、メル・ファーラー(17~2008年)との間に、ショーンさんは生まれた。ちょうどオードリーが「尼僧物語」(59年)や「許されざる者」(60年)といった佳作に出演していたころだ。出産翌年、「ティファニーで朝食を」(61年)でハリウッドに復帰し、「シャレード」(63年)や「マイ・フェア・レディ」(64年)といった名作が銀幕を飾るも、その出演歴は「暗くなるまで待って」(67年)で一旦途切れる。
「実は、私が学校に通い始めたため、撮影現場へ連れて行けなくなってしまったのです。その際、彼女はフルタイムで母親業に専念する決断を下しました。ハリウッドの女優であっても、母、妻、そして料理人としてのタスクを同時にこなすスーパーウーマンであることが求められていた時代でした」
息子との時間を銀幕の中で生きるより大切にしたオードリーは、ショーンさんと向き合う際、いつも一人の大人として扱ってくれたという。「母は俳優として、『自分が相手の立場に立ったらどうだろうか』と考えるよう訓練されていました。だから、その姿勢は家庭でも同じで、お互いがお互いを尊重する対等な母と子の関係をとても大事にしていました」。一方的に、「これをしなさい、あれをしなさい」と指示することもなかった。「いつも『私だったらこうするけれど、どうするかはあなたの自由です』とアドバイスを受けました。私を信頼してくれていたのです」
普段の生活では声を荒らげることはなく、またその必要もなかったという。「母を前にすると、誰一人、不作法な振る舞いはできない雰囲気がありました」。ショーンさんはオードリーが放っていた独特のオーラをこう振り返る。オードリーの肖像権の日本窓口である東北新社が男女約1000人を対象に実施した最近のアンケート調査によると、彼女に対するイメージは「上品」「エレガント」「華麗」がトップ3を占めており、そのことを裏付ける。
オードリーの写真を背にするショーン・ヘプバーン・ファーラーさん=東北新社提供
ただし、オードリーはエレガンスを振りまくだけの女性ではなかった。「いつのころでしょうか、レストランで食事をしていると、ウエーターに失礼な態度をとった親戚の一人に対して、声を荒らげたことがありました。その時、私は初めて母の底知れぬパワーを知りました」とショーンさんは思い出す。「女性はスカートをはくのが当然だとされていた時代、母はズボンをはき、まるで日本刀のようにキレのいい明白な価値判断を持っていました。自立したタフな女性でもありました」
オードリーの内面に秘められた底知れぬエネルギーは、映画の配役にも影響を与えたとショーンさんは振り返りながら考える。「相手役が、本来キャスティングすべき俳優の年齢よりずっと年上なのです。そうでもしなければ、彼女のパワーに負けてしまうのです」
言われてみれば、「ローマの休日」では13歳年長のグレゴリー・ペック、「麗しのサブリナ」では29歳年長のハンフリー・ボガート、「昼下りの情事」では28歳年上のゲーリー・クーパーが、それぞれオードリーの相手役をつとめている。特にキャリア前半の20代のオードリーは親子ほど年齢が離れている男優との共演が目立つことに気付く。ほかに、フレッド・アステア(「パリの恋人」)、ケーリー・グラント(「シャレード」)、ピーター・オトゥール(「おしゃれ泥棒」)ら、オードリーと共演した偉大な俳優は少なくない。
「ローマの休日」より、オードリー・ヘプバーンのアン王女(左)とグレゴリー・ペックの新聞記者ジョー=TM&©2023 Paramaount Pictures.All Rights Reserved.
特に、ペックとは「家族のような仲だった」とショーンさんは明かす。そもそも、「ローマの休日」撮影時、まだ無名だったにもかかわらず、オードリーの名が主演としてペックの名とともにクレジットされたのは、彼の強い推しがあったからだとされている。以来、2人は強い友情で結ばれていた。
縁とは不思議なもので、ショーンさんが初めて大きなスクリーンで「ローマの休日」を見たのは、2016年に作品の舞台であるローマで開かれたペックの生誕100年イベントだった。同作が封切られた53年は自身の誕生前。少年時代を過ごした60年代、70年代は、現在のようにDVDやブルーレイ、ストリーミングサービスはなかった。
「ですから、自宅ではシーツをスクリーン代わりに張り、映写機でフィルムをまわして母の出演映画を楽しんでいました」。残念ながら、小さなスクリーンでは作品の細部まで楽しむことはできなかった。「ローマの大スクリーンで明確に映し出された母の顔の表情や動きを目にした時、彼女が米アカデミー賞主演女優賞を受賞した理由をようやく知ることができたのです」とショーンさんは感慨深げだ。今、日本で公開されている高精細な4K版なら、なおさらオードリーの魅力が分かるだろう。
「ローマの休日」より、オードリー・ヘプバーンのアン王女(左)=TM&©2023 Paramaount Pictures.All Rights Reserved.
日本といえば、「母はうどんが大好きでした」とショーンさんは教えてくれた。もともと彼女の好物は、自宅の庭で栽培したトマトを使ったスパゲティ・ポモドーロ。少なくとも週に1回は食卓に上ったという。皿の上で「パスタが泳いでいる」ほどたっぷりとしたソースが特徴だった。
パスタ好きのオードリーは来日した時、うどんを食べるためにホテルから抜け出したこともあるそうだ。まるで、「ローマの休日」で滞在先の大使館を抜け出したアン王女のように。【広瀬登】
長男のショーン・ヘプバーン・ファーラーさんの口からでた、母・オードリー・ヘプバーンの人間性がよく分かる。映画から感じるイメージは、まさにアンケート調査の「上品」「エレガント」「華麗」そのものだが、ユニセフ親善大使をやっていたオードリー・ヘップバーンのエチオピアやソマリアでの表情は別人に見えたよね。
記事に出ているオードリー映画はほとんど観ているということは、やはり私はファンなのかな?元気で居たら94歳のお婆ちゃんなのに。えっ、63歳で亡くなったのか!しわくちゃ顔の写真もよく見ていたのだが・・・。