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eye 震災時の写真を手に探した影 関東大震災100年 / 毎日新聞

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1897年に完成した上野公園の西郷隆盛像。その周辺は震災直後から行方不明者を捜す張り紙であふれていた。火災を免れた公園内は救護所などが設置されたという=写真右は1923年9月撮影。左は2023年7月、北山夏帆撮影

毎日新聞 023/8/26 16:00

 関東大震災から100年の移り変わりを写真に収めるため、本社に残る1世紀前の写真を手に街を歩いた。1923(大正12)年9月1日に発生し、近代以降で最大規模の被害となった災害の死者・行方不明者は10万人以上に及んだ。

 発生当初の惨状を記録した数百枚から人の営みが伝わる写真を選定した。当時のカメラマンの正確な撮影位置を探し求めて炎天下を汗だくになって歩いた。東京大空襲や高度成長を経た首都圏の風景は形を変え、結局、当時と比較できたのはわずかだった。

 2枚を見比べると、私たちが見慣れた風景に100年前の未曽有の災害が現実味を帯びてくる。東京都防災会議の昨年5月の発表によると、最大震度7の「都心南部直下地震」は今後30年以内に70%の確率で起こると予想されている。

 もし再び大地震が発生したら、我々も公園や駅などの開けた場所に逃げるかもしれない。ファインダーの中に地続きの歴史を垣間見た気がした。【北山夏帆】



焼けた建物や路面電車みられる車両が残る震災当時の銀座中心部とショッピングを楽しむ人たちが行き交う現在の休日の様子が対照的に見えた=写真右は1923年9月撮影。左は2023年8月、宮武祐希撮影



東京・浅草の仲店世(左)や凌雲閣(浅草十二階・同奥)は焼け落ちた。残った浅草寺も1945年の東京大空襲で焼失したが戦後再建された。左の写真は神谷バー屋上から撮影と記録がある。現在は同所からカメラを向けるとビルに阻まれているため、画角を合わせて約50メートル離れた浅草東武ホテルから撮影した=写真左は1923年撮影。右は2023年7月、北山夏帆撮影



日暮里駅(現東京都荒川区)には大勢の避難者が集まった。機関車の周りや客車の屋根の上にまで人であふれかえり、100年後の整然としたホームと比べると混乱の様子が分かる。この1世紀で駅舎も様変わりした。=写真左は1923年9月撮影。右は2023年8月、北山夏帆撮影



神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮の舞殿は倒壊したが、9年後の1932年に再建された。当時の撮影場所には現在、大きな木がたちはだかり舞殿を見ることはできず、視界が開ける大石段の上から撮影した。=写真左は1923年9月、半田義士撮影。右は2023年7月、後藤田由耶撮影

 2023年2月6日発生したトルコ・シリア大地震をふと思い浮かべたが、ウイキペデイアによると死者5万6000人以上というから、関東大震災の犠牲者数の多さに驚く。

 さて、上記の写真半分の2023年の平穏が永遠に続けば、それに越したことはないが、地震ばかりは人間の力では防ぎようがない!頭を巡らせて、いざという時の為に過剰すぎるほどの備えをしておくことしかないのではないだろうか?関東大震災では焼死が多かったとも聞く。

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