8月21日にSNSに投稿された、アフリカの砂漠とみられる場所で話すプリゴジン氏=Razgruzka_Vagnera telegram channelの動画から・AP
毎日新聞 2023/8/24 20:17 有料記事 抜粋
ロシアの民間軍事会社「ワグネル」の創設者プリゴジン氏が搭乗する航空機が23日に墜落し、死去したと伝えられた。元はプーチン政権とつながりを持つ実業家の一人に過ぎなかったが、ロシアが2022年2月に隣国ウクライナで始めた「特別軍事作戦」に深く関与し、今年6月下旬には一時、武装蜂起して政権を揺るがす存在にまでなっていた。プリゴジン氏とは混乱の今を象徴するアンチヒーローだったのか。
「支配体制の一角」のアピール戦術
謎とスキャンダルがついて回ったプリゴジン氏の「最期」は唐突で衝撃的だった。搭乗したジェット機がロシア西部トベリ州に墜落し、死去の一報が世界を駆け巡った。露国内での本拠地だった北西部サンクトペテルブルクからは、その死を悼んで花を手向ける人々の姿が報じられている。
前日の22日には、6月の反乱に同情的だったと指摘されたロシア軍のスロビキン航空宇宙軍総司令官の解任が報道されたばかりだった。
反乱を起こし、ロシア南部軍管区司令部付近に展開するワグネルの兵士ら=露南部ロストフナドヌーで2023年6月24日、ロイター
ロシアが特別軍事作戦を開始してほどなく、プリゴジン氏はネット交流サービス(SNS)を舞台に情報発信に乗り出した。批判の矛先は、前線で苦戦するロシア軍や統括する露国防省の幹部に向かう。さらに、ワグネルは軍事作戦の一翼を担うようになり、戦闘服姿でタカ派として振る舞うプリゴジン氏は発言力を強めた。
レバダセンターのレフ・グトコフ所長=モスクワで2023年8月22日、大前仁撮影
レバダセンターのグトコフ所長は今月22日に毎日新聞の取材に応じ、「プリゴジン氏が人々を引きつけたのは、(軍の)汚職や弱さを告発し、愛国主義的なスローガンを訴えたからだった」と指摘した。これらを巧みに論じたことで一部国民から支持されたに過ぎないと強調。軍事作戦が続く中、ロシア社会で取り残された人々を守るような存在ではなかったと分析する。
実際、プリゴジン氏はプーチン大統領を頂点とする支配体制の一角を担う人物だった。大統領府のケータリング(仕出し)を担うことで「プーチン氏のシェフ」の異名を取り、頭角を現していく。14年にロシアがウクライナ東部の紛争に介入したタイミングでワグネルを創設し、親露派武装勢力を支援。政情不安定なアフリカや中東の国々にも部隊を派遣し、軍事活動にとどまらず、鉱山権益の獲得など、正規軍には難しい「汚れ仕事」にも従事した。
プーチン氏、政敵次々退ける
2000年に初当選したプーチン大統領は、首相に横滑りした4年間(08~12年)も実権を握り続け、長期政権を築いてきた。この間には政敵や大物実業家から政治的な挑戦を受けたが、退けてきた歴史がある。
初期のプーチン政権に挑んだ一人は、03年当時に石油企業ユコスの社長だったミハイル・ホドルコフスキー氏(60)だ。豊富な資金を駆使して野党を支持し、翌04年の大統領選ではプーチン氏の対抗馬として出馬する意向を表明した。しかし03年秋に脱税などの容疑で逮捕されて、13年に保釈されるまで収監された。釈放後のホドルコフスキー氏はドイツへ出国し、欧州を活動拠点としている。
ボリス・ベレゾフスキー氏(故人)は、1990年代半ば以降、露政財界で強い影響力を持った新興財閥(オリガルヒ)のトップの一人で、エリツィン政権時代に権勢を誇った。00年の大統領選でプーチン氏の当選に力を貸したが、大統領就任後のプーチン氏とは対立関係に転じた。
その後に亡命先の英国でプーチン政権の打倒を唱え、反体制派の活動家を支援した。13年に滞在先のロンドンの自宅で自殺したと発表されたが、他殺と疑う見方もある。
アレクセイ・ナワリヌイ氏=モスクワで2019年9月、大前仁撮影
弁護士出身のアレクセイ・ナワリヌイ氏(47)はプーチン政権や政府の高官らの汚職を追及する運動を皮切りにして、13年にモスクワ市長選に出馬するなど政界進出も試みた。しかし、18年大統領選では過去に横領罪で有罪判決を受けたことを取り沙汰されて、出馬資格を取り消された。20年夏には毒を盛られて重体に陥り、翌年に逮捕されて、現在は他の罪状も含めて服役を続けている。【モスクワ大前仁】
政府関与の可能性「非常に高い」
■畔蒜泰助・笹川平和財団主任研究員
プリゴジン氏による武装反乱はプーチン大統領の統治能力に疑問符が付きかねない大きな事件であり、統治を再強化するには決着をつける必要があった。今回の墜落について、政府が関与している可能性は非常に高いと考えられる。
畔蒜泰助・笹川平和財団主任研究員=本人提供
プーチン氏は来年の大統領選では再選が確実視されている。その統治を疑問に思うエリートが中長期的に増えるような土壌を残して新たな任期を迎えるのを避けるため、引き締めを図ろうとしたのだろう。市民の間ではプリゴジン氏の人気は既に落ちており、反発などは起きないとみられる。
プリゴジン氏はベラルーシにいる限りにおいては命を保証されていたが、利権を持つアフリカで活動する意欲を最近も示し、頻繁に国外へ移動していた。アフリカでの活動を巡ってロシア政府・軍と競合するようになったことや、政府がワグネルの利権のありかを見定めて政府管理下に置くことが可能と判断した結果が、今回の件につながった可能性もある。
墜落機にはワグネルの他の幹部も乗っていたとみられる。反乱収束後、ワグネルの部隊は解体され露軍に吸収されることになったが、幹部を失ったことで今後、その流れが強まるだろう。プーチン氏と、ベラルーシのルカシェンコ大統領との関係に波風が立つこともないと思われる。【聞き手・山衛守剛】
読んでいたらハリウッド製作のサスペンスやスパイ映画みたいなことが、ロシアでは普通にまかり通っているようだ。どんな屁理屈でも独裁国家では通るのだろう。
ん?日本の戦国時代でもそうだったのかな?いや戦国時代だというと応仁の乱(1467年)から徳川家康が豊臣家を滅ぼした1615年頃までを指すのだそうだ。いやはや、大河ドラマ「どうする家康」観ていてもよく似た展開が毎週流れてるね(笑)。平和な日本に生まれて本当によかったとつくづく思う。
毎日新聞 2023/8/24 20:17 有料記事 抜粋
ロシアの民間軍事会社「ワグネル」の創設者プリゴジン氏が搭乗する航空機が23日に墜落し、死去したと伝えられた。元はプーチン政権とつながりを持つ実業家の一人に過ぎなかったが、ロシアが2022年2月に隣国ウクライナで始めた「特別軍事作戦」に深く関与し、今年6月下旬には一時、武装蜂起して政権を揺るがす存在にまでなっていた。プリゴジン氏とは混乱の今を象徴するアンチヒーローだったのか。
「支配体制の一角」のアピール戦術
謎とスキャンダルがついて回ったプリゴジン氏の「最期」は唐突で衝撃的だった。搭乗したジェット機がロシア西部トベリ州に墜落し、死去の一報が世界を駆け巡った。露国内での本拠地だった北西部サンクトペテルブルクからは、その死を悼んで花を手向ける人々の姿が報じられている。
前日の22日には、6月の反乱に同情的だったと指摘されたロシア軍のスロビキン航空宇宙軍総司令官の解任が報道されたばかりだった。
反乱を起こし、ロシア南部軍管区司令部付近に展開するワグネルの兵士ら=露南部ロストフナドヌーで2023年6月24日、ロイター
ロシアが特別軍事作戦を開始してほどなく、プリゴジン氏はネット交流サービス(SNS)を舞台に情報発信に乗り出した。批判の矛先は、前線で苦戦するロシア軍や統括する露国防省の幹部に向かう。さらに、ワグネルは軍事作戦の一翼を担うようになり、戦闘服姿でタカ派として振る舞うプリゴジン氏は発言力を強めた。
レバダセンターのレフ・グトコフ所長=モスクワで2023年8月22日、大前仁撮影
レバダセンターのグトコフ所長は今月22日に毎日新聞の取材に応じ、「プリゴジン氏が人々を引きつけたのは、(軍の)汚職や弱さを告発し、愛国主義的なスローガンを訴えたからだった」と指摘した。これらを巧みに論じたことで一部国民から支持されたに過ぎないと強調。軍事作戦が続く中、ロシア社会で取り残された人々を守るような存在ではなかったと分析する。
実際、プリゴジン氏はプーチン大統領を頂点とする支配体制の一角を担う人物だった。大統領府のケータリング(仕出し)を担うことで「プーチン氏のシェフ」の異名を取り、頭角を現していく。14年にロシアがウクライナ東部の紛争に介入したタイミングでワグネルを創設し、親露派武装勢力を支援。政情不安定なアフリカや中東の国々にも部隊を派遣し、軍事活動にとどまらず、鉱山権益の獲得など、正規軍には難しい「汚れ仕事」にも従事した。
プーチン氏、政敵次々退ける
2000年に初当選したプーチン大統領は、首相に横滑りした4年間(08~12年)も実権を握り続け、長期政権を築いてきた。この間には政敵や大物実業家から政治的な挑戦を受けたが、退けてきた歴史がある。
初期のプーチン政権に挑んだ一人は、03年当時に石油企業ユコスの社長だったミハイル・ホドルコフスキー氏(60)だ。豊富な資金を駆使して野党を支持し、翌04年の大統領選ではプーチン氏の対抗馬として出馬する意向を表明した。しかし03年秋に脱税などの容疑で逮捕されて、13年に保釈されるまで収監された。釈放後のホドルコフスキー氏はドイツへ出国し、欧州を活動拠点としている。
ボリス・ベレゾフスキー氏(故人)は、1990年代半ば以降、露政財界で強い影響力を持った新興財閥(オリガルヒ)のトップの一人で、エリツィン政権時代に権勢を誇った。00年の大統領選でプーチン氏の当選に力を貸したが、大統領就任後のプーチン氏とは対立関係に転じた。
その後に亡命先の英国でプーチン政権の打倒を唱え、反体制派の活動家を支援した。13年に滞在先のロンドンの自宅で自殺したと発表されたが、他殺と疑う見方もある。
アレクセイ・ナワリヌイ氏=モスクワで2019年9月、大前仁撮影
弁護士出身のアレクセイ・ナワリヌイ氏(47)はプーチン政権や政府の高官らの汚職を追及する運動を皮切りにして、13年にモスクワ市長選に出馬するなど政界進出も試みた。しかし、18年大統領選では過去に横領罪で有罪判決を受けたことを取り沙汰されて、出馬資格を取り消された。20年夏には毒を盛られて重体に陥り、翌年に逮捕されて、現在は他の罪状も含めて服役を続けている。【モスクワ大前仁】
政府関与の可能性「非常に高い」
■畔蒜泰助・笹川平和財団主任研究員
プリゴジン氏による武装反乱はプーチン大統領の統治能力に疑問符が付きかねない大きな事件であり、統治を再強化するには決着をつける必要があった。今回の墜落について、政府が関与している可能性は非常に高いと考えられる。
畔蒜泰助・笹川平和財団主任研究員=本人提供
プーチン氏は来年の大統領選では再選が確実視されている。その統治を疑問に思うエリートが中長期的に増えるような土壌を残して新たな任期を迎えるのを避けるため、引き締めを図ろうとしたのだろう。市民の間ではプリゴジン氏の人気は既に落ちており、反発などは起きないとみられる。
プリゴジン氏はベラルーシにいる限りにおいては命を保証されていたが、利権を持つアフリカで活動する意欲を最近も示し、頻繁に国外へ移動していた。アフリカでの活動を巡ってロシア政府・軍と競合するようになったことや、政府がワグネルの利権のありかを見定めて政府管理下に置くことが可能と判断した結果が、今回の件につながった可能性もある。
墜落機にはワグネルの他の幹部も乗っていたとみられる。反乱収束後、ワグネルの部隊は解体され露軍に吸収されることになったが、幹部を失ったことで今後、その流れが強まるだろう。プーチン氏と、ベラルーシのルカシェンコ大統領との関係に波風が立つこともないと思われる。【聞き手・山衛守剛】
読んでいたらハリウッド製作のサスペンスやスパイ映画みたいなことが、ロシアでは普通にまかり通っているようだ。どんな屁理屈でも独裁国家では通るのだろう。
ん?日本の戦国時代でもそうだったのかな?いや戦国時代だというと応仁の乱(1467年)から徳川家康が豊臣家を滅ぼした1615年頃までを指すのだそうだ。いやはや、大河ドラマ「どうする家康」観ていてもよく似た展開が毎週流れてるね(笑)。平和な日本に生まれて本当によかったとつくづく思う。