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人生の筋トレ術 / 心身に大変化「75歳の壁」をどう乗り越える? / 毎日新聞

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作家の楠木新さん

人生の筋トレ術  /  心身に大変化「75歳の壁」をどう乗り越える?   西川敦子・フリーライター

毎日新聞 2023年3月26日

 心はまだまだ若いつもりでも、体はしんどくなりがち――。心身のギャップが生じやすい75歳前後。第二の思春期ともいえる不安的な時期に、私たちはどう備えればいいのでしょうか。心の危機を乗り越えて人生を味わい尽くす方法を、元神戸松蔭女子学院大学教授で中高年のキャリア・生き方を取材し続ける作家・楠木新さん(68)に聞きました。

上り坂派から下り坂派へ―意識転換がカギ

 ――人生100年時代と言われますが、一方で「75歳の壁」という言葉もよく聞かれます。内閣府の「2022年版高齢社会白書」によると、日常生活に制限なく暮らせる「健康寿命」は男性が73歳、女性が75歳。少し前のデータにはなりますが、12年に行われた東京大学高齢社会総合研究機構の「長寿社会における暮らし方の調査」でも、70代後半以降、独力で外出・買い物できなくなる人が増えていくとされます。

 楠木:私の取材では、「大病をしなければ80歳くらいまでは自立して過ごせる」と語る人が多いように思います。統計を見るとたしかに75歳がひとつの壁になりそうです。

 60歳時点の平均余命を見ると、男性が85歳ぐらい、女性は90歳ぐらいまで生きる計算になります。つまり75歳前後の年代は、体の自立度はやや下がっていくものの、「死を意識するにはまだまだ早い年ごろ」というわけです。

 これに対し、60~74歳は一般には体も元気だし、多くの人は仕事も楽になり、家族の扶養義務も軽くなって、時間的にゆとりが生まれます。私は、この期間を「黄金の15年」と呼んで、人生で最も楽しめる時期だと考えています。

 ――高齢期にもさまざまな段階があるということですね。

 楠木:そのとおりです。たとえば68歳の私と91歳の母親とでは行動半径も違うし、求めているものもかなり異なります。定年を迎えてから死ぬまでをひとくくりに「老後」とするのでなく、老いの段階に応じて生き方を考えるべきではないでしょうか。

 ――「黄金の15年」「75歳の壁」を経て、いよいよ「超高齢期」へと近づいていくわけですが、気になるのが75歳前後の年ごろです。心と体で変化のスピードにギャップがあると、精神的に不安定になりがちです。「75歳の壁」を上手に乗り越える方法はあるのでしょうか。

 楠木:私は約10年にわたり、500人以上の定年後の人たちに取材をしてきました。そこから見えてきたのは、幸せに年齢を重ねている人は「未来の不安より、今を生きることに集中している」ということです。

 たとえば、生命保険会社を55歳で退職したHさん(73)は、60代後半を過ぎて母親を自宅で介護し続けました。母親の食事もすべて彼が作りました。衰えていく親の姿を目の当たりにして、「人は最後は朽ちていくのだ」という思いをあらたにしたそうです。

 92歳で母親が亡くなったとき、彼がたどりついた結論は「70代の今は死ぬことや最期の迎え方などはなるべく考えまい。今できることを楽しもう」というものでした。

 今、Hさんは、昔の友人たちとバンド活動にハマっているそうです。バンド仲間との他愛のないおしゃべりの時間が楽しくてしかたないのだとか。現役時代は時間をムダにするのが大嫌いで、仕事を効率的にこなしていたHさん。自身も自分の変化に驚いているのだと言います。



 歳をとると、忙しかった頃は視界に入らなかった道端の草花に目がとまったりする。人生の下り坂だからこそ見えてくる景色を彼は今、存分に楽しんでいるのだなと感じました。

 ――老いの兆候が表れ始めたら、人生の上り坂ではなく下り坂を楽しめるよう、意識を切り替えたほうがよさそうですね。

 楠木:老いは誰にとっても不安なものですが、避けることはできません。失われていく若さや健康にしがみつくより、残っている能力を生かして楽しむ心構えが必要だと思います。

 できないことが増えても「できることを楽しむ」、持っていないことを嘆くよりも「持っているもので満足する」姿勢が大切だと思います。

「三つの過去」に注目すると未来が見えてくる

 ――今できることを楽しみたいけれど、何をしていいかわからないという人もいます。内閣府の調査では、生きがいを感じていない60歳以上の高齢者はおよそ20%と5人に1人でした。

 楠木:やりたいことを見つけるのが苦手というシニアはもと大企業の管理職など、いわゆるエリートの方によく見られます。日本の組織には主体性を前面に打ち出しにくいカルチャーがあります。会社から「個性を発揮しろ」と言われて、真に受けてやってみたらエライ目に遭うこともあります(笑い)。そのため現役時代の姿勢のままでは、「さあ、自分の好きなことをやるぞ」と思い立っても何も考えつかない人は少なくありません。

 私は講演やセミナーなどで、シニアのみなさんにこれからの3~5年間に取り組みたいことを箇条書きにした「やりたいことリスト」の作成を呼びかけています。具体的な活動に結び付く「やりたいことリスト」をスラスラ書ける人はそれに取り組んでいけばよい。ただうまく書けない人には「自分史シートを作成しましょう」とアドバイスしています。

 自分の可能性を信じ、探る力はシニアにとっても必要不可欠です。もちろん子どものように無限大の未来を思い描けるわけではありません。年をとったら、自分の可能性を広げるよりも、むしろどのように絞り込むかが問われます。



 まずは自分自身の歩みを振り返り、やりたいことのヒントがないか探ってみましょう。「楽しい、幸せだ」と感じていたのは何をしているときだったか。途中でやり残したことはなかったか、もっと追求してみたかったことは何か――。人によっては、それが生じた年月を歴史年表のように書き込む人もいます。昔の写真や、小学校時代の通知簿にある先生の所見欄を読み直す人もいました。

 自分史の書き方はごくシンプル。「学生時代」「新入社員時代」「中堅社員時代」「シニア社員時代」といった具合に時代を区切り、それぞれ印象的な出来事を思いつくままに書いていけばよいと思います。一度に書ききる必要はなく、気楽に少しずつ書き足していけばよいのです。

 ただし、過去を振り返るときに気を付けてほしいことがあります。自分のキャリアをけっして否定しないでください。悔いの残ることや不遇な出来事にこそ次のステップのヒントが隠れていることが多いのです。

 私自身、47歳でうつ状態になり、休職と復職を繰り返した経験がきっかけで、新しい人生を考え始めました。働く意味をテーマに据え、会社勤めのかたわら取材・執筆活動を始めたのは50歳のときです。

 ――つらい出来事も「75歳の壁」を乗り越えるための糧になるのですね。

楠木:実際、「年を重ねて「いい顔」で生きている人」には以下の3パターンがあることが、これまでの取材からわかっています。

 ①子どもの頃、興味・関心があったことを深掘りしている

 ②長く取り組んだ仕事の延長線上で新しいテーマに出合っている

 ③病気や災害、リストラなど不遇な出来事をきっかけに転機を図った

多くの聴衆を前に講演する楠木新さん=北九州市小倉北区のリーガーロイヤルホテル小倉で2019年9月4日、上入来尚撮影

 インタビューを続けていて驚いたのは、③の人が意外に多いことでした。人は物事が順調に運んでいるうちはなんとか現状を維持しようとするもの。働くことに違和感があったとしても、今もっているものをなかなか手放せません。築き上げてきた実績や評価、人的ネットワークなどをなくすのが怖いからです。③の人々は、危機に遭遇したからこそ割り切って生き方を変えやすくなるのでしょう。①~③を重複して抜き出している人は特に充実して過ごしているとの印象が私にはあります。

 ――自分史はいわば、人生最後のテーマの「ネタ帳」というわけですね。「子どもの頃、興味・関心があったこと」「長く取り組んだ仕事から」「人生の不遇な出来事」の三つに注目してみると、やりたいことが思い浮かびそうです。

 楠木:そうですね。昔過ごした場所を歩くこともいいですよ。生まれ育った町でもいいし、学生時代を過ごした場所や、現役時代に働いた地域でもいい。懐かしい風景に接することで忘れていた記憶や、過去の自分の姿があらためてよみがえってくるかもしれません。

 ちなみに私は神戸市にある歓楽街で少年時代を過ごしたのですが、当時はいわゆるアウトローのご近所さんが多かった。生活は豊かではなかったが、人情味のある人ばかりでした。

 昼間からぶらぶらしてみんなに「ヒモさん」と呼ばれていたおっちゃんなどは、「女性の悩みをとことん聞いてやることが肝心だ」と聞きもしないのにヒモの極意を教えてくれたりしたものです。生まれ育った場所の記憶を思い起こすことは、私がぜひやりたいことの一つですね。先日は、子どもの頃を過ごした場所を巡って、プロフィル写真を撮ってみました。

 ――心理学では、過去に経験した意味ある出来事に関する記憶を「自伝的記憶」と呼ぶそうですね。自伝的記憶はアイデンティティーの形成に深くかかわっているだけでなく、未来の方向づけにもつながるといれています。

 楠木:たしかに未来の不安ではなく、夢に目を向けたいものです。人生の終末に向けて準備する終活がはやっていますが、それはいったん横において、75歳が近づいてきたら人生の再スタート、「リ・スタート」を企画してみてはどうでしょうか。先述した「自分史」と「やりたいことリスト」を使って早めに準備を始めましょう。

 私は数年前から、死ぬ前に食べたい昼食をランキング形式で記録しています。「最後の晩さん」ならぬ「最後の1カ月に食べるランチ」として、ベスト30をつけています。不動の1位は、小さい頃から食べている地元の豚まんです。それを食べていると、小学生当時の私も、仕事を投げ出して休職していた私も、初めて本を出版できて喜んでいた私も、みんな一緒に食事をしているかのような感覚にとらわれるのです。



 このランキング表は定期的に入れ替えます。外出して昼食を自由に食べに行ける年齢が仮に75歳までだとすると、私にはもう2000回しか残っていません。一回たりとも無駄にできないのです。

 このように人生の終着点から考えて、日々の生活に生かすことも、今を生きることにつながります。

◇くすのき・あらた 楠木ライフ&キャリア研究所代表。1954年神戸市生まれ。京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。勤務と並行して「働く意味」「個人と組織の関係」をテーマに取材・執筆に取り組む。2015年に定年退職後、神戸松蔭女子大学教授を4年間務める。「75歳からの生き方ノート」(小学館)、「定年後」(中公新書)、「転身力」(中央公論新社)など著書多数。

特記のない写真はゲッティ

  正に60~74歳は私も「黄金の15年」と感じていたね!(笑)。そうしてちょうど75歳の今からは、はて、何をしようかな?と考えていた矢先に素晴らしい記事を見つけた。だからと言って今の今閃いた訳でもないのだが、この文章の中にはたくさんのヒントが詰まっている気がする。「『最後の晩さん』ならぬ『最後の1カ月に食べるランチ』として、ベスト30を記す」なんてのも面白いね。

 確かに「黄金の15年」には山歩きが最高だったが、現在はウォーキングやっていて、岩がごつごつした山に登ったり下りたりするのは、無理になってきたと感じているし、自分史も随分前からちょこちょこ書いていたが、現在は、確認に開くことはあっても何も書いていない!

 う~~ん、「超高齢期」に向けての自分の道が拓けたら楠木新先生にお礼の手紙を書かなくては。第一「75歳の壁」なんて言葉も意識も全く持っていなかった。毎日新聞さんに、フリーライターの西川敦子さん共々お礼申し上げます。

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