ポーズをとるパトリック・ハーランさん=東京都千代田区で2022年7月5日、和田大典撮影
私はこのパックンことパトリック・ハーランさんの報道1930 - BS-TBSでの特に米国政治に関する政治解説を興味深く聞いている。外国人記者は見た!日本inザ・ワールドのMCも興味深かった。Eテレの英語でしゃべらナイトは楽しかったね。
ハーバード大学を卒業してお笑い芸人になり、報道1930 - BS-TBSに出てもパックン呼ばわりされる彼の人となりが不思議でならなかった。やはり、相当な努力の積み上げがあったことを知ることが出来たね。おまけに資産運用のやり方まで。
毎日新聞 坂根真理 2022/8/13 05:00 (抜粋)左記をクリックすると全文が読めます。
今回は、子どもの時から青年期まで貧しい生活を送っていたという、お笑い芸人のパックンことパトリック・ハーランさん(51)です。【坂根真理】
――あまり裕福とは言えない家庭に育ったそうですね。
両親が離婚したことがきっかけで、7歳ごろから周りより貧乏になりました。母は失業しており、一時期は生活保護を受けていました。お金が無いから十何年間も同じスカートをはいて。ずっとですよ!
フライパンの取っ手が取れても使い続けていたね。母が家計簿を見て泣いていた姿も記憶に残っています。
僕は靴に穴が開いても履き続けたし、上着をなくしても「あなたが悪い」ということで買ってもらえず、トレーナーを重ね着して何とかしのいだね。
あと、牛乳は高いから、ずっと脱脂粉乳を飲んでいた時期もあります。脱脂粉乳は母が就職しても飲んでいたね、とても安いから。
貧しかった日々を振り返るパトリック・ハーランさん=東京都千代田区で2022年7月5日、和田大典撮影
暖房は約16度に設定していました。寒かったけど、その方が毛布のありがたみが分かります。10歳から新聞配達を始め、その前からサマーキャンプの費用を稼ぐためにお菓子の訪問販売や、芝刈りや雪かきのアルバイトをやったこともあります。
周りの友達と同じように遊べないことが悲しかったし、「何の変哲もない豊かな暮らし」をしている普通の人たちが、どうしようもなく恨めしかったです。
母も僕と同じように苦しんで悩んでいたし、僕よりも頑張っていたので、母に対して感謝しかないけど「不公平だなあ」と社会に対しての怒りはありましたね。
――私なら、自分の境遇を呪ってしまいそうです。
成功者に対して「あの人は三塁の場所に生まれてホームに入っただけ。本人は本塁打を打ったつもりだけどね」という批判(の言葉)があるんです。でも、僕は正直、二塁ぐらいに生まれているんですよ。
(出身は)先進国のアメリカですし、まだ差別が深く残っている社会の中で「過半数の人種」でしたし、男性ですしね。差別対象ではなかった。健康体で、頭もルックスもいいしね(笑い)。
僕は二塁に生まれているとは思うんですが、(成功者を見て)「親の七光りで成功してもかっこ悪いぞ」「俺が追いかけて追い抜くぞ」と思っていました。とにかく心がタフになったよね。
同時に、少数の人種だったりして、一塁やホームの所に生まれた人もいます。そうした子どもが成功するのは、二塁にいる僕よりもすごく大変なこと。「僕よりも大変な人がいる」という謙虚な気持ちや、広い視野を持てたと思います。
――貧しかった経験は、現在のご自身にどのように影響していますか。
貧乏のおかげで何事にも屈さない精神力が身についたのは大きいですよ。だからといって、貧乏を経験することを勧めたいわけではありませんよ(笑い)。
「お金が無くなっても絶対に死なない。何とかするぞ」と知恵を働かせてきたので、普通の人よりも生きるすべの引き出しは多いと思います。
大学の奨学金を返済後、投資を続けているパトリック・ハーランさん。資産形成に投資は欠かせないと考えているという=東京都千代田区で2022年7月5日、和田大典撮影
それに、「母を助けたい、困らせたくない」という思いが強かったから、人一倍、勉強も部活も頑張ることができました。部活で活躍したり、テストでいい点数をとったりしたら母が喜びますからね。母を喜ばせることが大きなモチベーションになっていました。
うちの家には、人からもらった古い白黒テレビしか無くて、しかもすぐに壊れるんです。でも、テレビを見ない代わりにたくさん本を読みました。自然とハーバード大を目指せるほどの語彙(ごい)力や基礎知識が養われました。
仕事でタクシーに乗る時も「本当にタクシーに乗っていいの? マジですか」とマネジャーに毎回言ってしまうしね。貧しい家庭で育っているからだと思います。
――世界屈指の名門・ハーバード大を卒業し、日本でもお笑い芸人として大活躍され、経歴だけを見ると輝かしい人生に見えます。どうやってチャンスをつかんだのでしょうか。
――日本では7人に1人の子どもが貧困状態にありますが、そうした子どもや家庭に対してサポートを続けていると聞きました(※2019年国民生活基礎調査によると、中間的な所得の半分に満たない家庭で暮らす「子どもの相対的貧困率」は18年時点で13・5%)。
――子どもの貧困問題を解決するには、どうすればいいのでしょうか。
――記憶に残っているお金の使い方はありますか。
――最後に、どのような資産運用をされているか教えてください。
パトリック・ハーランさん
1970年生まれ、米国コロラド州出身。93年にハーバード大比較宗教学部卒業。同年に来日し、97年にお笑いコンビ「パックンマックン」結成。NHK「英語でしゃべらナイト」などのテレビ番組や報道番組などに数多く出演。2012年から東京工業大の非常勤講師。2児の父でもある。近著に「逆境力 貧乏で劣等感の塊だった僕が、あきらめずに前に進めた理由」(SB新書)がある。
坂根真理2008年入社。岡山支局、東京・地方部、生活報道部を経て、長野支局。生活報道部では、DV家庭で育った子どもを追った連載「消えない傷」シリーズを手掛けた。虐待、性暴力、障害福祉などをテーマに取材を続けている。
私はこのパックンことパトリック・ハーランさんの報道1930 - BS-TBSでの特に米国政治に関する政治解説を興味深く聞いている。外国人記者は見た!日本inザ・ワールドのMCも興味深かった。Eテレの英語でしゃべらナイトは楽しかったね。
ハーバード大学を卒業してお笑い芸人になり、報道1930 - BS-TBSに出てもパックン呼ばわりされる彼の人となりが不思議でならなかった。やはり、相当な努力の積み上げがあったことを知ることが出来たね。おまけに資産運用のやり方まで。
毎日新聞 坂根真理 2022/8/13 05:00 (抜粋)左記をクリックすると全文が読めます。
今回は、子どもの時から青年期まで貧しい生活を送っていたという、お笑い芸人のパックンことパトリック・ハーランさん(51)です。【坂根真理】
――あまり裕福とは言えない家庭に育ったそうですね。
両親が離婚したことがきっかけで、7歳ごろから周りより貧乏になりました。母は失業しており、一時期は生活保護を受けていました。お金が無いから十何年間も同じスカートをはいて。ずっとですよ!
フライパンの取っ手が取れても使い続けていたね。母が家計簿を見て泣いていた姿も記憶に残っています。
僕は靴に穴が開いても履き続けたし、上着をなくしても「あなたが悪い」ということで買ってもらえず、トレーナーを重ね着して何とかしのいだね。
あと、牛乳は高いから、ずっと脱脂粉乳を飲んでいた時期もあります。脱脂粉乳は母が就職しても飲んでいたね、とても安いから。
貧しかった日々を振り返るパトリック・ハーランさん=東京都千代田区で2022年7月5日、和田大典撮影
暖房は約16度に設定していました。寒かったけど、その方が毛布のありがたみが分かります。10歳から新聞配達を始め、その前からサマーキャンプの費用を稼ぐためにお菓子の訪問販売や、芝刈りや雪かきのアルバイトをやったこともあります。
周りの友達と同じように遊べないことが悲しかったし、「何の変哲もない豊かな暮らし」をしている普通の人たちが、どうしようもなく恨めしかったです。
母も僕と同じように苦しんで悩んでいたし、僕よりも頑張っていたので、母に対して感謝しかないけど「不公平だなあ」と社会に対しての怒りはありましたね。
――私なら、自分の境遇を呪ってしまいそうです。
成功者に対して「あの人は三塁の場所に生まれてホームに入っただけ。本人は本塁打を打ったつもりだけどね」という批判(の言葉)があるんです。でも、僕は正直、二塁ぐらいに生まれているんですよ。
(出身は)先進国のアメリカですし、まだ差別が深く残っている社会の中で「過半数の人種」でしたし、男性ですしね。差別対象ではなかった。健康体で、頭もルックスもいいしね(笑い)。
僕は二塁に生まれているとは思うんですが、(成功者を見て)「親の七光りで成功してもかっこ悪いぞ」「俺が追いかけて追い抜くぞ」と思っていました。とにかく心がタフになったよね。
同時に、少数の人種だったりして、一塁やホームの所に生まれた人もいます。そうした子どもが成功するのは、二塁にいる僕よりもすごく大変なこと。「僕よりも大変な人がいる」という謙虚な気持ちや、広い視野を持てたと思います。
――貧しかった経験は、現在のご自身にどのように影響していますか。
貧乏のおかげで何事にも屈さない精神力が身についたのは大きいですよ。だからといって、貧乏を経験することを勧めたいわけではありませんよ(笑い)。
「お金が無くなっても絶対に死なない。何とかするぞ」と知恵を働かせてきたので、普通の人よりも生きるすべの引き出しは多いと思います。
大学の奨学金を返済後、投資を続けているパトリック・ハーランさん。資産形成に投資は欠かせないと考えているという=東京都千代田区で2022年7月5日、和田大典撮影
それに、「母を助けたい、困らせたくない」という思いが強かったから、人一倍、勉強も部活も頑張ることができました。部活で活躍したり、テストでいい点数をとったりしたら母が喜びますからね。母を喜ばせることが大きなモチベーションになっていました。
うちの家には、人からもらった古い白黒テレビしか無くて、しかもすぐに壊れるんです。でも、テレビを見ない代わりにたくさん本を読みました。自然とハーバード大を目指せるほどの語彙(ごい)力や基礎知識が養われました。
仕事でタクシーに乗る時も「本当にタクシーに乗っていいの? マジですか」とマネジャーに毎回言ってしまうしね。貧しい家庭で育っているからだと思います。
――世界屈指の名門・ハーバード大を卒業し、日本でもお笑い芸人として大活躍され、経歴だけを見ると輝かしい人生に見えます。どうやってチャンスをつかんだのでしょうか。
――日本では7人に1人の子どもが貧困状態にありますが、そうした子どもや家庭に対してサポートを続けていると聞きました(※2019年国民生活基礎調査によると、中間的な所得の半分に満たない家庭で暮らす「子どもの相対的貧困率」は18年時点で13・5%)。
――子どもの貧困問題を解決するには、どうすればいいのでしょうか。
――記憶に残っているお金の使い方はありますか。
――最後に、どのような資産運用をされているか教えてください。
パトリック・ハーランさん
1970年生まれ、米国コロラド州出身。93年にハーバード大比較宗教学部卒業。同年に来日し、97年にお笑いコンビ「パックンマックン」結成。NHK「英語でしゃべらナイト」などのテレビ番組や報道番組などに数多く出演。2012年から東京工業大の非常勤講師。2児の父でもある。近著に「逆境力 貧乏で劣等感の塊だった僕が、あきらめずに前に進めた理由」(SB新書)がある。
坂根真理2008年入社。岡山支局、東京・地方部、生活報道部を経て、長野支局。生活報道部では、DV家庭で育った子どもを追った連載「消えない傷」シリーズを手掛けた。虐待、性暴力、障害福祉などをテーマに取材を続けている。